To view articles in English only, click HERE. 日本語投稿のみを表示するにはここをクリック。点击此处观看中文稿件한국어 투고 Follow Twitter ツイッターは@PeacePhilosophy and Facebook ★投稿内に断り書きがない限り、当サイトの記事の転載は許可が必要です。このブログの右サイドバーにある Contact Us フォームで連絡ください。Re-posting from this blog requires permission unless otherwise specified. Please use the Contact Us form in the right side-bar to contact us.

Friday, November 28, 2008

(Japanese) Play "NABI/Comfort Women" (Written by Chungmi Kim)

(This article is about the play "NABI/Comfort Women," (written by Chungmi Kim) performed on November 21, 2008 at Evergreen Cultural Centre in Coquitlam, BC, Canada. See here for the English version.)


被害者と心でつながること、そして絶望から希望へ

―演劇「ナビ/コンフォート・ウィメン」(キム・チョンミ作)を鑑賞して―


ピース・フィロソフィー・センター
乗松聡子

筆舌に尽くしがたい苦難と屈辱の経験を背負いながら人間はどうやって現在を生きていくのか。過去を捨てて現在に生きていくのか、それとも現在から自らを遮断して過去の中に生きてくのか、あるいは現在の中の過去を見つめながら一瞬一瞬を生きていくのか。旧日本軍に性奴隷とされた女性たちはそれぞれの選択を生きつつ、今新たな道を歩み始める―。

2008年11月21日、カナダ西海岸・バンクーバー近郊の町コクィットラムにあるエバーグリーン文化センターの劇場で日本軍「慰安婦」をテーマにした演劇「ナビ/コンフォート・ウィメン」(原作キム・チョンミ、演出バン・ウンミ)を鑑賞した。この劇はもともと「コンフォート・ウィメン(Comfort Women)」という題で英語で書かれたものであるが、このバンクーバー公演は韓国語(英語、中国語の字幕付き)で上演された。3日間、のべ6回に渡る公演の第2回目に行ったのだが、定員260余りの劇場は満席であった。「ナビ」は韓国語で「蝶」の意味である。私の理解では、蝶はこの作品で象徴的な意味を持っており、被害者の女性たちが証言を通じて尊厳と自由を取りもどす過程を、蝶が羽ばたく姿に重ねている。

あらすじはこうである。舞台は1994年のニューヨーク。キム・ユニは娘家族と共にひっそりとした生活を送っていた。ある日、ニューヨーク大学の学生である孫のジナが勇んで帰ってくる。今度、第二次世界大戦中に旧日本軍に「慰安婦」とされた被害者たちが国連に招かれ証言をするためにニューヨークに来ているのだという。ユニは、そういった人たちと関わるのはやめなさいとジナをたしなめるが、ジナは言う。「実は二人のハルモニを今家に連れてきているの。」動揺するユニの前に二人のハルモニ(おばあちゃん)が現れた。過去の辛い体験を話しつつ豪快に笑い歌うタフなハルモニたちは、ユニの冷たい態度が気に入らない。しかし話しているうちにハルモニたちはユニのおかしな様子に気づく。爪先の傷跡、そして背中に入れ墨の跡らしきものが・・・ハルモニの一人ボキは、ユニを良く見て思い出した。昔、日本軍将校付の「慰安婦」であった「花子」ではないかと問いかけられ、ユニは激しく否定する。ユニの心の中に死んだ母の声―「あれは悪夢だったのよ。悪夢に過ぎなかったのよ。忘れなさい。」―と共に恐ろしい記憶が次々とよみがえってくる。封印した過去と直面したユニは耐えられずに自ら死を選ぶ。そこに孫のジナが駆けつけユニを抱きしめる。「ハルモニ、私はおばあちゃんを心から誇りに思う。」息を吹き返したユニはジナに「窓を開けて」と頼む。ジナが開けた窓からは、部屋全体を照らす陽光とさわやかな風が吹き込んでくる。

最後のシーンでは会場全体から涙を抑えきれない様子が伝わってきた。何を隠そうこの私も、そして一緒に行った中国人の平和活動仲間であるハン・アーク君も泣いていた。日本軍「慰安婦」問題はもちろん知っていたし昨年はソウルで日本大使館前の抗議デモ(毎週水曜日に元「慰安婦」とその支援者が行うデモで、17年間続いている)にも参加し、ハルモニたちが共同生活を送る「ナヌムの家」にも行ってきた。この問題を専門に扱う東京の博物館「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)の会員にもなって関心を持ってきた。女性たちの悲惨な体験とその後の苦悩を、本当に理解するなどできないことは承知しつつ自分なりにわかろうとしていた。しかしこの劇を見て、いかに自分の理解がまだまだ知的理解に留まっていたかを思い知った。この劇に出てくる「花子」という日本名を与えられたユニは15歳のときに連行され、器量が良いので将校専用の「慰安婦」にさせられる。他の「慰安婦」からは「あなたは一人しか相手にしないから梅毒にならなくてすむ」などと妬まれたりした上、最終的には将校にも暴力を振るわれ、別の慰安所に移送されて多くの「慰安婦」と同じようにたくさんの兵士から強姦を受けることになる。戦後は母親から全てを悪夢だと思って忘れるように言われ、結婚し子どもを産むが、夫に「慰安婦」であったことが知れ、そこでまた暴力を受ける。この劇に出てくる数々のリアルな回想シーンが、本や証言で聞いた話を生々しく再現させ、観る人の心に迫る。後援団体であるBCアルファのテクラ・リット代表は「被害者との心情的なつながりを育んでほしい」と語っているが、 まさしくこの劇によって、私はハルモニたちとの心のつながりを深めることができたと思う。また、世界では今も進行中の戦争や内紛で、多くの市民、特に子どもや女性が犠牲となり、また性暴力という犯罪は紛争地域だけではなく一般社会でもいまだに多発している。この劇が提示するテーマは、旧日本軍「慰安婦」問題に限らず、そして決して過去のことではなく人類が直面する現在の問題として捉えていく必要がある。

この劇を観てもう一つ感銘を受けたのが、主人公ユニの絶望から希望への転換である。「慰安婦」であった過去を隠して結婚し、何も知らない娘夫婦や孫と一見幸せに暮らしているが、突然目の前に現れた二人の被害者を前に隠し続けることができなくなり、50年近く封印をしていた過去と対峙することになる。それは自分の中に今も住む、傷ついて癒されないままでいる少女時代の自分だけでなく、将校の専属として他の女性たちよりも「ましな」待遇を受けた経験や、一緒に逃亡を試みた友人を見捨てなければいけなかった体験への深い罪悪感や、自分が悪いのではないとわかりつつ家族に真実を打ち明けられなかった葛藤といった全ての耐え難い感情と向き合うことになる。ユニが死を選ばなければいけない理由など一つもないのに、そうするに至ったユニの苦悩が痛いほどわかった。しかしここで死なないで欲しい。お願いだから死なないでと心の中で叫んでいる自分がいた。この劇で孫のジナ役の女優は「慰安婦」時代のユニも演じている。死の淵をさまよい目覚めたときに自分を抱きしめていた孫のジナを見て、苦しみを知らなかった少女の自分と重なっただろう。そして未来の世代を担うジナに希望を見出したであろう。そしてそのジナの愛情を受け、「誇りに思う」と言われたことで、生き続ける勇気を得ていく。長崎の被爆者である下平作江さんを思い出す。戦後、病気と貧困と絶望の中「死ぬ勇気と生きる勇気のどちらかを選択しなければいけなかった」状況で、生きる勇気を選んだ人だ。状況は違うとはいえ、戦争を生き延びた人たちがその苦悩や絶望の先に勇気や希望を見出していく過程には、家族や友人、支援者たちの愛情が重要な役割を果たすことは間違いないと思う。この劇のユニには孫という存在があったが、多くの性奴隷の被害者たちは、この劇の二人のハルモニのように、頼れる家族はいない。そうすると一体誰がハルモニたちにジナのような愛情を注ぐことができるのか。それは、この劇を見た一人一人、そしてこの性奴隷の問題を直視し、ハルモニたちを支援していく私たち一人一人に託されているのではないだろうか。ユニは人間性というものへの一縷の信頼を頼りに生き延びる決心をした。その信頼に応える責任は、国境や性別、立場を超えて、私たち人間の一人一人にあるものだと固く信じる。
劇作家キム・チョンミ氏によると、「コンフォート・ウィメン」は2004年秋にニューヨークのオフ・ブロードウェイで初めて上演された。この戯曲は『ニュー・プレイライト:2005年のベスト戯曲』(スミス&クラウス出版)に収録された。2005年の5月には、韓国語版の戯曲「ナビ」として、ソウル・シアター・フェスティバルで上演された。演出家のバン・ウンミは、2005年の秋に自らの劇団「ナビ・シアター・カンパニー」を立ち上げた。この劇団はそれ以来韓国で200回に上る公演を行い、この秋のトロントとバンクーバーでの初の海外公演に至った。このコキットラム市での上演は、劇団ハヌリという、バンクーバー地元の劇団がプロデュースした。劇団ハヌリのマーケティング・ディレクターのケヴィン・ソン氏によると、ハヌリは19年の歴史を持つ劇団で、メンバーはおもにコリアン系カナダ人だという。今回はキャスト7人全員とスタッフ4人が韓国から来加した他は、劇団ハヌリの20人余の地元スタッフが協力し、この公演を実現させた。会場にはコリアン系だけではなく、ヨーロッパ系、中華系、日系等のさまざまなカナダ人の顔ぶれがあった。世界にこの問題への認識を広めるという意味で、多文化社会バンクーバーでの公演には大きな意味があったであろう。これをきっかけに韓国外での公演が広まり、特に日本での公演が実現することを願っている。

(Japanese) Reporting the Peace Museum Conference in White Rock

11月の会報告 11月8日(土) に、11月の'ホワイトロックの会がありましたので、ご報告いたします。

参加者は6名とちょっと少なめでしたが、学生さんから人生の先輩まで幅広い層からの方々が参加してくださり、質問や意見交換を交えながらの活発な会となりました。今回は、乗松聡子さんが参加された「第6回国際平和博物館会議」(10月6日~10日@京都・広島)の報告をしていただきました。

国際平和博物館会議は3年毎に開かれており、第六回目の今回は立命館大学国際平和ミュージアム、京都造形美術大学、広島平和記念資料館等の共催で行われました。海外23カ国からの参加者(70名)を含めて、約3000名が参加されたそうです。

日本には、平和博物館が多くある!これはあまり知られていないことだと思いますが、世界に約150ある平和博物館のうち60(約40%)は日本にあると言われているそうです。それだけ日本が戦争による痛みを覚えているということなのかもしれませんね。

平和博物館とは?Interbational Network of Museum for Peace の定義によると、「平和博物館」とは”平和の文化を気づくための場所である”ということです。

「平和博物館」と言っても、様々な形・考え・展示の方法などがあることを、今回教えていただきました。日本の博物館は戦争の悲惨さを訴えたものが多いそうですが、中には戦争の被害者としての立場からの展示だけでなく、加害者側の立場からの展示をおこなっている平和博物館もあるということです。残念なのは、それらのあえて加害展示に取り組んでいる博物館に対する攻撃が今も続いているということです。私たちは、戦争とか平和を考えるときに様々な角度から事実を検証して判断する'必要があると思うのですが、困難も多いようです。

日本にある平和博物館今回、乗松聡子さんに日本にある平和博物館を紹介していただきました。広島の平和記念資料館、長崎の原爆資料館は有名ですが、他にもたくさんの平和のための取り組みをしている博物館があります。機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてください。
・女たちの戦争と平和資料館(WAM: Women's Active Museum on World Peace)   2005年~。松井やより氏の寄付により設立。従軍慰安婦問題などを扱っている。東京。  
 
・岡まさはる平和記念館  (長崎)
・立命館国際平和博物館
・大阪国際平和センター
・草の家    (高知)
・中帰連・平和記念館  (埼玉)  日本の侵略戦争についての蔵書多数。

これらは、加害展示に取り組んでいる博物館だということです。小さな博物館が、過去の事実を伝えるために信念をもって展示を続けているのは、すごいことだと思いました。

平和市長会議 「平和博物館会議」の最後に秋葉広島市長の講演があり、核廃絶運動「2020ビジョン」(2020年までに、核兵器を完全に廃絶する)が打ち出されたそうです。また、秋葉市長は、「市民の安全に本当に責任を持てるのは、国ではなくて市である」という考えのもとに「平和市長会議」(国ではなく市を中心とした平和組織)を軸に、これらの活動を進められているそうです。この会議には、カナダの市も多数加盟しています。

以下は 聡子さんのpeace philosophyのサイトでの会議の報告です。詳しい報告はこちらにされていますので、どうぞご覧ください。 http://peacephilosophy.blogspot.com/2008/10/japanese-report-of-6th-international.html

「平和」と一言に言っても、そこにはいろいろな考え方や思想があるのだということを改めて思わされた「11月の会」でした。

戦争の写真等の展示の仕方により、「平和」よりもかえって憎しみをあおることになってしまったり、残虐・悲惨な写真等の展示をするべきかどうか、などは今回の「平和博物館会議」でも、論議になったということです。

でも、このような事実を伝えてくれる「平和博物館」の資料によって、「2度とこのような悲惨なことを繰り返してはならない」と、実際に戦争を体験していない私たちが強く思わされるという点で、その存在は重要だと思います。「平和博物館」を守っておられる多くの方々に、感謝したいと思います。

聡子さん、どうもありがとうございました。今回も、聡子さんを通して、まだ行ったことのない、いつ行けるかわからないたくさんの博物館のことを知ることができました。「知る」ということは、すべての第一歩になるのだと思います。

さて、私たちが身近にできる平和活動、「平和をつなぐキルト」の募集は12月末までです。どうぞ皆さん、お友達も誘って是非ご参加ください。説明書がわかりにくい場合には、どうぞご連絡ください。簡単な作業ですので、直線縫いができればどなたでもできます!

京子

Monday, November 24, 2008

韩国话剧《'NABI/Comfort Women'》于近期在大温地区上演


A drama “'NABI/Comfort Women'”, which tells a story of three “comfert women” who were conscripted during the WWII, was presented at the Everygreen Culture Centre of Coquilam on last Thursday, November 20th, 2008. Being invited by BC Alpha, this play has been introduced by several local majot Chinese Media. More information can be find on those local newspapers.
We were invited to the first show of this play, and were seriously impressed by the physical and psychological suffering of the confert women. During the Q & A time, we expressed our thanks to the stuff members and invited them to show this play in Japan in the future.

韩国话剧'NABI/Comfort Women'是由韩裔剧作家Jungmi Kim创作关于二战慰安妇苦难经历的新话剧。在北美抗日战争史实维护会的邀请和组织之下于近日来到大温地区演出。周四晚上我们有幸收到邀请观看了首场演出。

本地的中文媒体对此演出有集中报道,故事梗概也可以在相关中文媒体上查阅到。作为我个人的感受,此剧通过现代化的戏剧表现手法,富有冲击力地再现了60年前被强征得慰安妇们遭受的苦难。在战争期间被强暴,被虐待的惨痛回忆为她们的一生打上了悲惨的烙印,她们中的许多人直到今天仍然无法摆脱噩梦的侵袭。她们所承受的伤痛不应当为年轻一代所遗忘,这不光是为了少许补偿她们的悲惨命运,也是为了让这样的悲剧在将来不再发生。

北美抗日战争史实维护会,日裔加拿大人人权委员会,九条维护会,和平哲学中心,其他数个韩裔社民团体,以及韩国驻温哥华公使观看了首场演出。在演出结束后的提问时间,我们向演员们表示了敬意,并邀请他们在适当的时候将此剧带到日本演出。

Friday, November 07, 2008

Reporting International Peace Museum Conference

I will be reporting the 6th Internatinal Conference of Museums for Peace

from 1:30 PM on Saturday November 8th

in White Rock. Please contact whiterock@peacephilosophy.com for details.

You can call us at 604-619-5627 as well.

This presentation will be in Japanese.

Satoko Norimatsu

第六回国際平和博物館会議の日本語による報告を

11月8日(土)1時半から ホワイトロックにて行います。関心のある方は whiterock@peacephilosoiphy.com までお問い合わせ下さい。電話の方は604-619-5627 までどうぞ。

乗松聡子

Saturday, November 01, 2008

(Japanese) A Report of the 6th International Conference of Museums for Peace

平和のための空間を世界中に創る



―第六回国際平和博物館会議の報告―

ピース・フィロソフィー・センター
乗松聡子

10月6日から10日まで、京都と広島で開催された『第6回国際平和博物館会議―平和創造のための空間としての平和博物館』(立命館大学国際平和ミュージアム、京都造形芸術大学、広島平和記念資料館等共催)に参加してきた。この会議は1992年以来イギリス、スペイン等でほぼ3年に1回開かれ、日本での開催は1998年以来2回目となる。今回は23カ国を代表する70人ほどの日本外からの参加者を含む約3,000人が参加した。世界には150余の平和博物館があり、そのうちの40%は日本にあるということから、日本で開催するときは大規模になるということだ。海外から参加した博物館の例としては、英国の「ブラッドフォード平和博物館」、スペインの「ゲルニカ平和博物館」、韓国の「平和博物館建立推進委員会」、中国の「中国人民抗日戦争記念館」、インドの「ノーモア広島・ノーモア長崎平和博物館」、カンボジアの「カンボジア史料センター博物館」、等があった。 (写真は立命館大学平和ミュージアムで撮った全体写真)

6日初日の開会式の後は、「平和のための博物館国際ネットワーク」総括コーディネーターのピーター・ヴァン・デン・デュンゲン氏(英国ブラッドフォード大学教授)が「平和のための博物館―その過去・現在・未来」と題する基調講演を行った。その中で、「平和博物館」という呼び方を「平和のための博物館」と変更したことに触れた。それは定義として「平和博物館」と名乗っていない博物館でも、民俗資料館、美術館、図書館等で平和創造を念頭に置いて活動をしている機関と幅広くネットワークし協同関係を築くためだ。立命館平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎氏は、この例として、東京大空襲を展示している江戸東京博物館、高知市立自由民権記念館を挙げていた。この会議には今回はカナダからの参加は自分を含めて2団体であったが、例えば、ウィニペグに建設予定の「カナダ人権博物館(The Canadian Museum for Human Rights)」 は今後この世界ネットワークに参加するには最適といえよう。 (写真は中国からの参加者と)

平和博物館というと、何を展示する場所なのか、思う人もいるだろう。日本で多くの人になじみのある平和博物館といえば、広島にある平和記念資料館や長崎の原爆資料館がある。また今回の会議の開催地の一つでもあり、日本では唯一大学が運営する平和博物館である立命館大学国際平和ミュージアムも、日本を代表する平和博物館の一つといえる。平和博物館とは、過去の戦争の悲惨さを展示し、それを繰り返さないための教訓とするという考え方をとっているところが多い。大会の趣旨説明によると、「個人の体験は時とともに失われがち」だが、「それを社会的記憶として世代を越えて伝え、平和を創造するために積極的に役立てる」ために、平和のための博物館活動は効果的な方法であると定義している。10日7日に記念講演「平和・平和博物館・平和のための博物館の定義」を行った安斎育郎氏によると、「平和」とは単なる「戦争の不在」ではない。ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングを引用し、平和とは「人間がその可能性を十分に発揮できなくするような暴力の不在」である。その「暴力」とは、戦争に代表される「直接的暴力」だけでなく、貧困や差別、地球上の少数の人間が大半の資源を独占しているといった要因による「構造的暴力」、平和憲法により直接的暴力の少ない日本でも精神的に追い詰められる人が多く自殺率が高いといった現象に代表される「文化的暴力」がある。それら全ての暴力の不在を目指し、人の能力を最大限に花開かせることができるようにするための空間としての平和博物館がある。

この会議は10月6日から8日は立命館大学、9日が京都造形芸術大学、10日は広島の平和記念資料館で開催された。6日と7日は基調講演の他、19の分科会に分かれ、約70団体が「平和博物館の開設運動」「平和教育の拠点としての平和ミュージアム」といったテーマで発表を行った。この中で私のピース・フィロソフィー・センターは、「市民でつくろう『平和のための空間』」というテーマの分科会で、自宅を拠点とした小さな平和センターのネットワークを拡げる提案をした。また、「ピースサイトとピースツアー」という分科会で、立命館大学教授の藤岡惇氏と学生たちと共に、1995年から続く日米(08年からはカナダも)学生の広島長崎への旅についての報告をした。 (写真は同分科会で発表したきくちゆみさんと)

今回は全国の日本の平和博物館・資料館の参加があったが、分科会「虐殺・捕虜・戦犯たちの経験を伝える博物館」「日本の戦争・平和展示の現在」等では加害の展示についての真剣な討論があったことが印象に残っている。日本には平和博物館が60近くあるが、空襲や原爆等日本側の被害についてのものが多く、アジア太平洋戦争における日本軍の加害行為について率直に展示しているところは少ない。これらの分科会では、千葉の「国立歴史民俗博物館」、大阪の「ピースおおさか」、埼玉の「中帰連平和記念館」、日本軍慰安婦問題を扱う東京の「女たちの戦争と平和資料館」等の発表者や参加者たちが、加害展示の方法、右翼の攻撃や政治との関係について多様な意見を交わした。また、基調講演やいくつかの分科会の中では、虐殺の残酷な写真等をどこまで展示すべきかという議論もされた。西ミシガン大学の吉田俊准教授(写真)が基調報告で、「愛国心や憎しみをあおる博物館は平和博物館とはいえない」と論じたことを受け、日本の加害展示に重点を置く長崎の「岡まさはる記念平和資料館」の高實康稔館長は、「まず真実を知ることから始めることが大事だ」と訴え、私が個人的に話した中国の参加者は、「加害側と被害側の愛国心は別個に扱わなければいけない」と語っていた。

9日の京都造形芸術大学でのプログラムでは、千住博学長が基調講演や対談で、平和のための芸術の大切さを訴えた。学生による平和をテーマにしたアート展示が並ぶキャンパスで、千住氏は、「自分の傷や痛みを直視し解決していく学生の『平和』にリアリティーのある創作が見られる。身近なことに世界平和との関連を見出していくことが大切だ」と伝えた。講演のほかに、狂言や和太鼓の上演、茶会の実演など、京都にある芸術大学ならではの多彩なプログラムであった。

会議の最終日10日は場所を変えて広島の平和資料館主催のプログラムで締めくくった。資料館や平和公園の見学のあと、秋葉広島市長が講演で国ではなく市を中心とした平和組織「平和市長会議」を中心とした核廃絶運動「2020ビジョン」について語った。2010年までに核兵器禁止条約を締結し、2020年までに完全な核廃絶を目指す計画だ。「姉妹都市というのはよくあるが姉妹国ということは聞いたことがない。国同士は軍事同盟を結び、『姉妹』といった女性的な言葉は絶対使わない。市民の安全に本当に責任があるのは市であり、国がつけるような嘘はつけない。」という秋葉市長の発言に会場の多くの人は大きくうなずいていた。 (写真は広島平和資料館でガイドの説明をうける日本国外からの参加者)

カナダには、前述のように広義における「平和のための博物館」と言えるものは存在するが、本格的な「平和博物館」は私の知る限りでは存在しない。会議関係者間では、次回の平和博物館会議は北米で行うのが理想であるが、アメリカは911事件以降外国人のビザが取りにくくなっているので、カナダはどうかという声も出た。今後カナダでも平和博物館が各地にできることを期待する。平和博物館運動に参加することに興味のある人はinfo@peacephilosophy.com まで連絡をいただければと思う。


(この記事の短縮版が日系ヴォイスの11月号に掲載されます。)