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Wednesday, May 30, 2012

前田佐和子氏による論文 Part II: 八重山教科書問題の深層

まだの方は、前田佐和子「揺れる八重山の教科書選び」(2011年9月14日)も併せてお読みください。

八重山教科書問題の深層

                                   
2012年5月23日

前田佐和子(宇宙科学研究者、元京都女子大学教授)

初等・中等教育で使用される教科用図書は4年ごとに決められる。昨年は、2012年度の新学期から使われる中学校の教科書を選ぶ年にあたっていた。沖縄県八重山地区でも、八重山地区採択協議会(以後、協議会と呼ぶ)が検定に合格した教科書を調査研究し、地区全体で一教科一種目につき一種に絞って、石垣市、竹富町、与那国町の3つの教育委員会に対して、答申する作業を進めた。6月からはじまった協議会の選定作業は、協議会の会長をつとめた玉津石垣市教育長が、独断で協議会規約の大幅な改訂をおこない、協議会委員を入れ替え、さらに規約にも違反する運営を進めた。教科内容に精通した専門家(調査員)による調査研究の結果を無視し、採択に関わる3行政区の教育委員会、教育委員長、教育長、さらには県の教育委員会との十分な意思疎通を図ることなく、教科書内容についての実質的な議論を阻止し、会議そのものを非公開とするなど、徹底して教育現場や市民に背を向けたのである。8月23日、8名の協議会委員のうち5名の賛成により「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会(教科書改善の会)」が支援する育鵬社出版の公民教科書が採択され、各教育委員会に答申された。「教科書改善の会」とは、「新しい歴史教科書をつくる会」(以後、「つくる会」)から分裂した、いわゆる「つくる会」系の組織である。石垣市と与那国町の教育委員会はこの答申にしたがって育鵬社版に決定したが、竹富町教育委員会は、育鵬社版を否決して東京書籍版に決定、八重山地区は分裂状態に陥った。9月8日、八重山地区の全教育委員が協議して公民教科書の一本化が図られ、東京書籍版の採択が決定した。しかし、文部科学省はこれを認めず、竹富町教育委員会に対し、東京書籍版の無償配布を拒否した。

育鵬社の執筆メンバーは、愛国心や天皇の存在を重視し、現行憲法を連合軍総司令部に押し付けられたものとして、改憲を支持する立場にたっている。日本の防衛や領土問題を強調する一方で、沖縄の米軍基地については欄外にわずかの記述があるだけの育鵬社版教科書を、なぜ選ぼうとするのか。アメリカの新しいアジア・太平洋軍事戦略の一端を担うべく、自衛隊を宮古・八重山の島々に配備することを、石垣市の市長や与那国町の町長が積極的に進めようとしていることと、関係しているのではないか。調査員だけでなく、教育関係者や保護者、市民からも多くの批判や否定的意見が出された育鵬社版公民教科書が、はじめて採択された背景には何があるのだろうか。

教科書採択問題が発覚した6月下旬から9月中旬までの大まかな経緯は、すでに別稿でまとめている(1)。本稿では、公開された協議会議事録、竹富町教育委員会が文科省に出した質問状とそれへの回答、教科書採択に関与した人々の証言などに基づいて採択過程を検証し、協議会運営の問題点を明らかにする。さらに、法的な不備を認めながら、違法性のない竹富町への教科書無償配布を拒んだ文部科学省の行政の責任を問う。

(1)採択協議会はどう運営されたか?
 問題の発端となった協議会の規約改正案は、6月24日に3教育委員会に提示され、6月27日の協議会総会でさらに変更された改正案が配布、議決された。あとで述べるように、委員構成に問題があるとして、県教委が委員の追加を提案したが、最終的には8月10日に提案は却下された。調査員は協議会役員会(3教育長と監査委員)で選任する規定であるが、会長の独断ですでに任命されており、7月14日、地元の新聞報道でこの事態が明るみになった段階では、一ヶ月近くが経過していた。調査研究を進めるために、やむを得ず協議会として追認せざるを得なかった。8月23日の協議会議事録の公開は協議会会長の抵抗で11月に持ち越されたが、公開された議事録から、それまでに指摘されてきたとおり、規約改正の意図が育鵬社版公民教科書を採択するためのものであったことが、明らかになった。従来、調査員報告に依拠しながら、協議会で採択図書を選定してきて、何ら問題がなかったと教育現場の教員は証言している。協議会会長は、「つくる会」系の歴史や公民の教科書を選定するために、規約の抜本的な変更や、運営方法の変更を企図したのである。

協議会会長が規約改正と採択業務変更の最大の根拠としたのは、従来、調査員の報告において、すでに一種類のみが絞り込まれており、協議会が実質的な採択権限を有しないという点であった。すなわち、この‘一種絞込み’を排するためという理由で規約を改正し、報告書に推薦順位を付けることを禁じた。改正された規約では、調査員の報告義務は書かれているが、それを協議にどう位置づけるかの記載がなく、宙ぶらりんになっている。しかし、後になって、‘一種絞込み’は行われておらず、規約改正の最大の根拠は崩れたのである。今回の協議会の採択で、調査員報告と相容れない採択が行われたのは公民教科書のみであり(2)、‘一種絞込み’を排するという理由は、育鵬社版公民教科書採択のためには、調査員報告の実効性をなくする必要があったことは明らかである。一度は社会科教科書の調査員に就任することを打診されたがあとで二人が取り消された。その内の一人の教員は、「誰が調査員になっても、育鵬社版を推薦することはない」と断言している。

育鵬社版が協議会から答申されたあとの石垣市教育委員会での議論を追ってみよう。答申に賛成する委員は、「育鵬社版に対する報告書のマイナス評価14項目が信頼できるものかどうか、協議会委員は検討したと思う」、「協議会委員の嗜好と調査員の嗜好の違いからくるもの」、「主観は含むべきではない。天皇の写真が多すぎるとあるが、天皇の写真がない教科書もある。14項目すべてを受け取るべきではない」などの意見を出し、答申に反対する委員は「玉津会長が任命委嘱した調査員が、時間をかけて調査して推薦したのだから、なおさら評価に値する」、「協議会委員は9教科66冊を、ほんとに目を通したのか、不可能ですよね。しかし、現場の先生はきちんと読んで研究をしている。なぜ協議会で選定されないのか」と反論している。調査員報告の位置づけが、実質的には最大の争点であったことが窺える。協議会会長が調査員による研究を如何に敵視していたかを物語る報道がなされている。石垣市議会の一般質問に「調査員という名前の者ども」と発言したのである。調査員に選ばれるのは、長い教育経験を持つ、現場で指導的立場にたつ教員たちである。調査員の報告を一切無視した採択は、それだけですでに教育行政として適正ではない。このことを作家の目取真俊は「なおざりにされた専門性」と呼んだ。

協議会で多数決によって育鵬社版教科書を採択するためには、委員の構成が重要になってくる。ここでは詳述しないが、これまで委員であった教育現場の経験者である指導主事や学校指導課長を除外し、替わって教育委員をいれることで、会長の意図が達成できるようにしたのである。あいまいな学識経験者という枠を設けたが、実際には協議会会長の独断で人選しており、事実、この委員は、採決の際は育鵬社版を選んだと証言している。教育現場を代表する委員は一人もいない。8人の委員の中で育鵬社版に賛成した委員は、石垣市教育長と教育委員、与那国町教育長と教育委員、学識経験者である。反対は、竹富町教育長と教育委員、PTA会長の3人である。過半数を獲得するための人選であった。協議会会長が、強い批判を受けて校長会の代表1名を追加することも可としたが、まさに5対4のぎりぎりでも可決できると踏んだからだろう。無償措置法には「選定審議会は、20人以内において条例で定める」とされており、8人はあまりにも少ない。教育現場の意見が反映されにくくなることを危惧する県教委は、指導主事などの追加をもとめたが、協議会会長はこれを拒否した。

8月23日の協議会議事録によると、議長を務める会長は、8人の委員の合意形成を諮ることなく、すべて多数決で議事を進行した。会議を非公開とし、選定は無記名投票、推薦する場合は教科書の名前を言わないなどの制約を課した。一体どの教科書についての意見を述べているのか、何のための議論か分からないという委員の意見に対し、「ここでおもいっきり議論するということはない」とし、「どういう観点から選んだかの意思表明をする場である」と説明している。あとの石垣市議会でも、「委員同士で討議して一本化するという方式ではなかった」と答弁している。歴史教科書ではいくつかの意見が出された末に帝国書院版が一票差で育鵬社版を押さえて採択された。続く公民教科書では、二人の委員が意見を述べただけで、5分後に育鵬社版を採決した。そのあとで、PTA代表の委員が、調査員の推薦がなく、14箇所もマイナスが指摘された育鵬社版が何故推薦されるのかという質問をしている。委員にとっては全部の教科書を読み込んで評価することは不可能であり、そのことを指摘した委員に対し、協議会会長が「教科書を見なくても見たと言えばいい」と発言したことをその委員が暴露している。社会科教科書の場合、調査員は9回の会合を持って議論し、評価をして報告書を作成したのである。その調査員報告を無視し、かつ協議会での議論もなく、委員は個人的見解のみで判断したことになる。それでは、各教育委員会での調査研究は行われたのだろうか?石垣市では、協議会に参加する委員には選定用教科書が配布されたが、勉強会は開いていない。竹富町では7月はじめに全教育委員に配布し、事前に3回の勉強会をひらき、とくに社会科に関して十分に討議した。与那国町では配布せず、教育長も教育委員も持っていなかった。勉強会は開いていない。つまり、教科書を見ることなく、協議会では育鵬社版に票を投じたのである。

(2)踏みにじられた合意-教育委員臨時総会議決をめぐって
教科書採択に関わる二つの法律のうち、地方教育行政法によれば、教科書採択の権限は各教育委員会にある。一方、教科書を無償で配布するためには、教科書無償措置法で定められたとおり、地区全体で同一のものにしなければならない。石垣市と与那国町の教育委員会は育鵬社版を、竹富町教育委員会は東京書籍版を採択したことは、採択権限が教育委員会にあることから、その権限を行使したにすぎない。一方、3教育委員会の決定が一致しなかったことは、教科書の無償配布が困難になったことを示していた。しかし、これまでにも、採択協議会答申と教育委員会の決議が一致しなかった場合に、再協議などを経て、答申以外の教科書を採択した事例があったことを押さえておく必要があるだろう(3)現に、10月26日衆議院文部科学委員会において、文部科学省初等中等教育局長は、「採択地区協議会の出した答申とは別の教科書というものを市町村教育委員会が協議して採択するということはあり得る」と答弁している。

改訂された規約には、教育委員会の決定が協議会答申と異なる場合を想定して、県教育委員会の指導・助言を受け、役員会で再協議できるものとしている。採択の決定権が、教育委員会ではなく、協議会であると主張するための規約改正であったのだろう。8月31日、最後の協議会役員会が開かれたが、結論は変わらなかった。ここでも、運営上の問題点を指摘しなければならない。役員会の構成メンバーであるはずの監査員2名を決定に参加させず、会長以外には竹富町と与那国町の教育長が協議したのみであった。2対1で育鵬社版の結論が変わることがなかったのは、当然の結果である。これをもって協議会採択が再度確認されたとは言えない。地区の合意を形成し、一本化に向けた努力をしなければならないはずの協議会を、会長が任期を残して8月末で終了してしまったために、以後、協議の場がなくなった。このことを重く見た3市町教育委員長は、事態を打開するため県教育委員会の指導のもとに、唯一可能性のある方法として、八重山地区の教育委員全員による協議により、公民教科書の一本化を目指したのである。9月8日、大きな世論の盛り上がりのなかで開かれた、八重山地区の全教育委員が出席した教育委員協会臨時総会で、ようやく東京書籍版が選ばれ、一本化された。

当日の会議の経過を、県議会における県教委の答弁書からたどる。全員協議の場での県教委の立場は立会人であり、求めに応じて発言をしている。全教育委員出席のもとで、まず八重山地区教育委員協会が開かれ、「八重山採択地区内同一教科用図書採択の早期実現について」という議案が提出されて可決された。協会には採択権限が明記されていないが、同じメンバーからなる教育委員会ならば採択権限がある。そのことを確認したうえで、この教育委員協会をいったん閉会。別室で個別に教育委員会を開催した。それぞれが、教育委員全員での協議の持ち方について議論したあと、その結果を持ち寄った。与那国町は合意を前提にして全教育委員で協議をしたい、石垣市は採択結果を曲げないが協議の形態については、まとまっていない、竹富町は13名の教育委員全員の協議により、この場で決めたいという結論であった。このままでは一本化は不可能であり、全員での協議しか、残された道はなくなった。議長が、全員での協議の可否を諮ったが、そのことについて異論はなく、協議に入っていった。 協議に入ると同時に、採決方法について議長から提案があり、かなり紛糾したが、全員一致が困難なときは、多数決でおこなうと決定された。この結果を不服として石垣市教育長、与那国町教育長が退席している。それぞれの教育委員長の説得で、石垣市の教育長は、席に戻り協議に参加したが、与那国町の教育長は別室で待機した。その後、教科書採択についての協議会の答申の取り扱いについて、答申通り賛成2、反対8、意思表示なし2、欠席(別室待機)1で、答申の結果には従わず、育鵬社版を採択しないと決定した。つぎに、どの教科書を採択するかを協議、それぞれの委員が、各自の推薦する教科書、その理由を述べた。全員一致が不可能であったことから、事前の了解に従って、多数決によって東京書籍が選ばれたのである。以上の経過から、県教育委員会は、今日に至るまで、協議の正当性と決議の有効性を主張し続けている。これに異議を唱える石垣市教育長は、最後まで議論に参加している。与那国町教育長も、多数決による採決を決めるところまでは参加している。彼らが、一本化に向けた方策を提示することなく、採決の結果が意に反したからとして、採決それ自体を否定することは、責任の放棄であると言わざるをえない。

後で述べるとおり、文科省と県教育庁の間では、全教育委員による協議に向けて、綿密な調整がなされていた。その後、文科大臣・副大臣は態度を変化させ、この全員協議では3市町教育委員会の組織としての合意がないと断定するようになっていった。一本化への方途を示すことなく、8月23日に地区協議会が答申した育鵬社版が「協議の結果」であるとし、竹富町教育委員会がこれに従わなかったとの理由で、無償給付を拒否したのである。

法制上のさまざまな問題とは別に八重山地区の特性を理解する上で、教育委員全員協議は重要な意味を持っている。八重山は、石垣島や西表島を始め、合計10の有人島と周辺の無人島からなる島嶼地域である。教員はじめ、教育関係者や住民も、島々を行き来する。教員も数年で転勤することが多い。歴史を共有し、共生してきた地域である。竹富町役場は、石垣市役所のすぐ近くにある。今回のように、教育委員会の間の合意が成立しない状況では、教育委員全員による教科書の決定が、地域全体の教育を考えるという点において、実情に見合った方法であったのである。

(3)政府・文科省の対応と政治の介入
3市町が異なった採択を行った事態を受けて、県教育庁が文科省に指導を求め、文科省が「全13教育委員の協議」の場を有効とする考えをまとめた文書が、9月14日までに明らかになった。地元紙の報道によれば、全員協議の結果が地区の「最終意思」であり、各教育委員会の「採択完了」とみなすことも可能であったのである。この文書には、「文科省担当課見解」と記されている。採決方法までは話し合われなかったようであるが、少なくとも県と文科省が事前に調整を行っていたことは明らかである。また、仮に9月8日の全教育委員による協議が整っていないと判断したならば、いったん、当該の県教育委員会に差し戻し、再協議の可能性を開くべきではなかったか?それにも関わらず、なぜ文科大臣は協議が整っていないとして、協議会答申を地区の最終決定とみなすに至ったのか?

当初、文科大臣の対応は、全員協議の有効性については留保しつつ、8月23日の協議会答申でも合意が成立していないというものであった。しかし、9月末には、答申が有効という立場に変化し、竹富町教委が答申に違反したと断定するようになった。地方教育行政法と無償措置法の矛盾を認めながら、答申の受け入れを一方的に求めることは、協議会に採択権を認めることに等しく、地方教育行政法で定められた教育委員会の採択権を認めないという、法的にはなはだ矛盾に満ちたものである。文科大臣の判断がずれていく過程で、9月13日に開かれた自民党文部科学部会と「日本の前途と歴史教育を考える議員連盟」合同部会の討議が大きな影響を及ぼした。部会は、文科省、沖縄県義務教育課長、石垣市教育長を召集、事情聴取している。この会議の内容を地元紙では、「経緯の説明に立った文科省職員に対する議員らの発言は、冒頭から気色ばんだ」。議員の発言は「答申が有効ということだろう」「はっきり言え」など、激しいやり取りがあったことが報じられている。会議は教育行政への政治介入だとする批判に、党本部は「政策立案のための事情聴取」と説明したが、実際は、文科省と県当局の対応を追及する場であったのである。会議のさいごに下村博文文部科学部会長が文科省に対し、沖縄県教委の指導を通じて竹富町が育鵬社を採択するよう要請したが、拒否されている。この段階では、文科省は露骨な政治介入に、かろうじて抵抗の姿勢を示していたことになる。その後、9月30日の自民党文部科学部会で、大臣の参議院予算委での「協議会答申も全員協議のいずれも合意に至っていない」という発言が問題視されたが、それに対して文科省や文科副大臣が釈明する場面があり、全員協議の結果を認めないとする立場に変わっていったことが推察できる。

9月9日の石垣市、与那国町両教育長が文科省に送付した、9月8日の決定の無効性を主張する文書には教育長の公印があったが、決定の有効性を訴えた9月16日の3教育委員長連名文書には、公印がなかったとする議論は、一部に誤りがある。公印は教育長独断では押せず、教育委員会の了承が必要であるが、9月9日の文書では、委員会は開かれていない。公印は、正当な手続きが踏まれずに押されたのである。9月16日の教育委員長の連名文書では、公印の管理権限が教育長にあり、唯一、竹富町のみが、教育委員会の了承のもとで公印を押している。公印の有無で文書の正当性を判断することには無理がある。また仮に、全員協議の有効性を認めないとしても、答申の結果を竹富町教育委員会に強制する法的根拠はなく、また、無償措置法の観点に立てば、竹富町のみを適用除外する根拠もない。

4月からの教科書配布が不透明なまま12月に入り、竹富町教育長は2度にわたり文科大臣に質問書を提出している。質問書に対する回答から、とくに次の点について文科省見解に問題があることが分かる。文科省は、採択協議会が教科書無償措置法の規定による一本化のための組織であると規約によって位置づけられ、各教育委員会が合意していると回答しているが、協議会規約にはそのような規定はない。第1章第3条に定められた組織の目的は、教育委員会からの諮問に対して答申することとなっており、答申を受けて決定するのは教育委員会である。答申どおりに決定しなければならないという規定はない。無償措置法には「協議して」、「同一の教科書を採択しなければならない」とあり、全員協議は、まさにそれに則って行われたものであった。もし、協議が成立していないとするのであれば、あらたに協議の場を設けるように指導する必要があったのである。石垣市と与那国町の教育長は「文科省の指導助言に従っている」として、それ以降の協議に応じなくなっていった。一本化に向けた各教育委員会と文科省担当部局の努力を無に帰するような、文科大臣の解釈であった。憲法26条には国民の教育を受ける権利と、それを保障する国家の義務として義務教育の無償を定めている。さらに学校教育法で教科書の使用義務を定め、教科書の無償給与は憲法26条の趣旨を具体化したものになっている。このたびの政府・文科省による竹富町の子供たちへの無償配布拒否は、憲法26条の理念をはじめて踏みにじった、歴史的な暴挙であったと言わざるをえない。竹富町教育委員会は、新学期を目前にして子どもたちに不利益をもたらすことは絶対に避けなければならないと、町民から現物の寄付を受けることを決め、4月には東京書籍版を子どもたちに手渡した。今後とも文部科学省へは無償給付を求め続けると共に、それが実現しなくても、現物支給を続けるだろう。

昨年度の教科書採択の前後、「つくる会」系の関係者が、さまざまなメディアを通して論評している。「新しい歴史教科書をつくる会」会長で、自由社版の中学校歴史教科書代表執筆者でもある藤岡信勝氏は、8月23日の協議会直前に石垣市と与那国町に滞在し、講演して回っている。地元紙のインタビューに答えて、「集団自決」(強制集団死)や米軍基地について記述の充実を求められているという声に対し、「あまりに視野が狭い。地元の問題がどう記述されているかは一つの参考になるが、それを踏み絵にするような論の立て方は不適切だ。それは歴史や公民のごく一部だ」と答え、中学の公民教科書において、沖縄の現実と課題が記述されているものを求める地元の教育関係者や保護者の希望を不適切と評した。日本の近・現代史と戦後の社会矛盾について、沖縄の問題が本質的な重要性を持つと認識する立場とは相容れない。9月8日の全員協議の直後、「日本教育再生機構」と「教科書改善の会」が文科省で会見、「教育委員臨時総会による育鵬社不採択は法的権限がなく、無効」とのコメントを出した。「日本教育再生機構」は「つくる会」から分裂した組織で、2006年に改正された教育基本法の趣旨にのっとり、「美しい日本の心を伝える」という意図のもとで活動する団体である。理事長の八木秀次氏は育鵬社公民教科書の執筆者の一人である。八木氏は、インターネット動画サイト「チャンネル桜」で、「8月1日には八重山から育鵬社歴史・公民教科書が選ばれるという情報を得ていた」と語っている。この話の意味するところは、今日に至っても明らかになっていない。9月20日、石垣市で開かれた教育講演会で講演した高橋史朗氏(「教科書改善の会」理事)は、「求められているのは旧来の反戦教育ではなく、現実を見すえ、どのように領土や自衛隊を教えたらいいのかということだ」として、育鵬社版の公民教科書が、尖閣諸島問題や自衛隊について明確に記述していると積極的に評価した。同氏は、11月に協議会会長と会談し、そのなかで、「八重山地区が育鵬社の公民教科書を選んだ。これは、戦後レジームに縛られた日本の教育に、風穴をあける契機になる!」と、その戦略的重要性を認めたのである。ちなみに、その対談で、協議会会長は歴史教科書も変えようという気持があったと述べている。

(4)八重山教科書問題が教えるもの
八重山は、戦争マラリアによる2万人以上の罹患者(4)、4000人の死者を出した地域である。軍によって汚染地へ強制的に疎開させられ、多数の人がマラリアに感染した。食糧不足・栄養不足による体力・抵抗力の低下が被害を拡大したのである。石垣市の八重山平和祈念館には、マラリアに感染して板で囲われただけの床に身を横たえる、やせ衰えた人々の写真が掲示されている。市内中心部の公園には憲法九条の碑、バンナ公園には戦争マラリア犠牲者慰霊碑が立つ、鎮魂と平和への祈りに満ちた地である。マラリア無病地域の波照間島から西表島に強制疎開させられ、家族がマラリアで死んだ遺族たちが、いま、育鵬社版の採択にたいし、批判の声を上げている

問題が表面化して以降、八重山のみならず、沖縄全体でも教育関係者や住民のさまざまな闘いが組まれた(1)11月末に「竹富町の子どもに真理を教える教科書採択を求める町民の会(町民の会)」は、東京書籍の無償給付を求める訴えに賛同する1916人の署名を集めた。5つの島に分かれている竹富町の町民の人口の半数にのぼる数を5日間で集めたのである。「子どものための教科書を考える保護者の会」が主体となり、各組織と協同して、沖縄全域から3万870人の署名を集め、12月7日に「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」、「町民の会」とともに、全員協議を有効と認め、東京書籍版を採択するよう文科省に求めた。これには八重山からも3000人が署名している。11月23日、7つの組織によって開催された県民集会には1000人を超える参加者が、育鵬社版公民教科書の採択を許さず、9月8日の全員協議の決定を認めるよう声明を決議した。

 署名活動や集会などの住民運動に加えて、11月に入ると石垣市内の児童と保護者2組が、9月8日全員協議の確認を求めて裁判所に提訴した。ここでは、教科書の内容はひとまず置いて、育鵬社版公民教科書採択手続きの違法性と、東京書籍版採択の有効性を問うたのである。2月10日の第一回口頭弁論で、「私たちは、一母親として、子どもを取り巻く環境で、私たちの知らないところで、何かが決まろうとしていることに危機感を覚えました。私たちが、教育行政に不信感を持ったのは、何よりその採択が、市民にまったく公開されず、何の説明もなく不透明に進められていることでした。」という原告の陳述書が読み上げられた。訴訟を進める支援の組織として、「住民の視点で教科書を選ぶ会」が結成され、その後も、石垣市と与那国町から中学生とその保護者たちが追加提訴している。協議会が民主的手続きを無視して育鵬社版の答申をしたことについて、それを主導した石垣市の教育長の、‘選挙で選ばれた市長から教育長に任命された自分は、民意を受けている’とする発言に対し、選挙ですべてを白紙委任したのではないという、間接民主主義の根本問題を問うたのである。

 沖縄戦についての教科書の記述を巡って、これまで2度大きな問題が起こった。高校日本史教科書検定において、1982年、日本軍による「住民虐殺」の記述が削除された。家永教科書裁判で争われたものである。2007年の教科書検定では、沖縄戦「集団自決」(強制集団死)の軍による「強制」が削除された。これにたいして、沖縄県民の怒りが11万6千人の県民大会に結集した。偏狭なナショナリズムに染められ、歴史の修正を意図する人々が先導し、それを利用した政府・文部科学省による沖縄戦の歴史の改ざんであり、沖縄から大きな異議申し立てがなされたものである。これに対し、今回の育鵬社の教科書採択問題は、これまでの教科書問題にも関与した自由主義史観や歴史修正主義と呼ばれる特定のイデオロギーを持つ人々による働きかけが契機であったとしても、それに沖縄内部の一部の教育関係者が積極的に呼応し、政府・文部科学省の政治介入を招いたところに、大きな特色がある。今年に入って、沖縄県知事によるもう一つの沖縄戦の歴史記述の改ざんが行われた。首里城地下にある第32軍司令部(旧日本陸軍守備隊)の地下壕に設置される説明板の記述から、沖縄戦の本質を表す「日本軍による住民虐殺」と「慰安婦」の文言を、文案を作成した検討委員会の同意を得ることなく、勝手に削除したのである。これとおなじく、八重山の公民教科書問題は、沖縄内部の一部の政治勢力が中央からの働きかけに呼応したものであったところに、衝撃の深さがある。

 八重山のみならず、東京、横浜、東大阪、広島などで育鵬社版の採択が拡がっている。この4月、今年度高校教科書検定結果に関し、従軍慰安婦記述が検定を通過したことを問題視した自民党文部科学部会と「日本の前途と歴史教育を考える議員連盟」合同部会は、文科省担当者から説明を受け、‘厳しい’批判を加えた。その件について「安倍元首相が文科省を叱責」というタイトル記事が「教科書改善の会」のホームページに掲載されている。八重山教科書採択と同じ構図である。学校教育以外でも、注目すべき動きが見られる。大阪には、日本の歴史と文化に根ざした人権問題の調査研究、資料の収集や展示公開をおこなっている大阪人権博物館と、戦争体験の語り部を紹介し、「大阪空襲死没者名簿」を保管・展示している大阪国際平和センターがある。大阪府と大阪市はこの二施設への補助金支出を差し止めて解体する一方、近・現代歴史学習施設をつくろうとしている。その展示内容などについて、扶桑社版や育鵬社版の「つくる会」系歴史教科書編集に関わった有識者から助言を受けるとしているこのような教育内容の変更と並行して、教育行政の改変が始まっている。このたびの八重山教科書採択では、教育委員会の役割と権限を越えるような政治的意思決定がなされたが、教育の戦後レジームの転換を企図する立場から、きわめて大きな意味を持っていたと言える。「教科書改善の会」理事の高橋史朗氏は、中曽根元首相「教育改革試案」注目に値すると述べている。その中味は、「文部科学省・教育委員会による系統を廃止し、地方公共団体の首長への権限と責任を統合する」というものである。いま大きな論議を呼んでいる大阪の教育「改革」は、教育行政への政治の介入を意図しているという点において、中曽根試案に沿ったものと言える。住民や保護者が願う、地域に根ざした教育を子どもたちに与えるために、教育委員会の果たす役割は大きい。政治の支配から独立し、教育行政の地方分権、民主化や教育の自主性を確保するために設置された組織であるという原点に立ち返り、改革されることが求められている。

補註

(1)「揺れる八重山の教科書選び」 前田佐和子 Peace Philosophy Centre http://peacephilosophy.blogspot.jp/2011/09/blog-post_16.html 

(2)今回、家庭科教科書でも調査員報告の推薦の最上位以外のものが採択されたが、この場合は、これまでにも使用されてきた教科書であることから、大きな議論にはならなかった。

(3)藤沢市、横浜市、尾道市、東大阪市、今治市では、選定委員会・審議会の答申・報告と異なる採択を行い、その需要冊数報告は認めている。複数の教育委員会からなる栃木県下都賀採択地区(2001年)では、歴史、公民以外は調査委員会の報告通りの選定を行い、歴史、公民は協議会委員の投票を提案、多数決で可決、答申された。各教育委員会は、次々に答申を不採択としたため採択協議会で再協議され、調査委員会の報告通りの教科書を採択。愛媛県今治採択地区(2009年)では、2市町教育委員会は、それぞれ、歴史、公民以外は答申通り採択し、歴史と公民は答申と異なるものを採択。答申に従ったか否かが無償給付の判断基準ではなく、採択地区で同一であるか否かが判断基準となっている。(「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」声明より

(4)石垣市平和祈念会館の掲示によると、罹患者数は、1940年まで:10002000人、1945年:16884人、1946年:9050人、1947年:6594人、1948年:799人、1962年以降に撲滅された。

前田佐和子 宇宙科学研究者、元京都女子大学教授。
著作
 Transformation of Japanese Space Policy: From the “Peaceful Use of Space” to “the Basic Law on Space” Asia-Pacific Journal: Japan Focus
http://www.japanfocus.org/-Maeda-Sawako/3243



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