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Monday, February 27, 2012

Peace Philosophy Salon with Yuki Tanaka: 「原子力平和利用」の裏に ― 隠された日本の核政策 ―

Peace Philosophy Salon:


 「原子力平和利用」の裏に 

― 隠された日本の核政策 ―

(Behind the "Peaceful Use of Nuclear Power" - Hidden Japanese nuclear policy - )


ゲスト: 田中利幸さん (広島市立大学平和研究所教授)
Yuki Tanaka, Professor at the Hiroshima Peace Institute, Hiroshima City University

日時 : 3月19日(月)午後7時―9時半
7 - 9:30 PM, March 19 (Mon.) , 2012

場所: Peace Philosophy Centre (バンクーバー市内。参加者にメールで場所を案内します)

言語:日本語(質疑応答は英語も可) The primary language of this event is Japanese. 

(***Yuki Tanaka will speak in English at UBC Centre for Japanese Research on Wednesday, March 21.  See HERE for details. )

共催: Peace Philosophy Centre, Vancouver Save Article 9

参加費: ドネーションを受け付けます。
Admission by Donation

参加申し込み・問い合わせinfo@peacephilosophy.com にメール下さい。

講演概要
1953年末、アイゼンハワー大統領が国連総会演説で “Atoms for Peace”なる政策、すなわち「原子力平和利用」政策を打ち出した背景には、ソ連が核兵器開発で米国に肩を並べるようになり、「核技術の拡散化」が避けられなくなったという当時の状況があった。もはや拡散化が避けられない核技術を、一方で非核兵器保有国には「平和利用」にのみ限定させ、他方では既存の核兵器保有国の間だけでの保有独占化を図ろうという目的が隠されていた。同時に、核技術と核物質の提供により、西側諸国をアメリカ資本の支配下に置くという野望もこの政策には含まれていたのである。

史上初の原爆被害国となった日本が「原子力平和利用」を自ら望むようになれば、アメリカにとっては格好の「平和利用」宣伝となるとアメリカは考え、とりわけ広島の被爆者を洗脳する戦略を考えた。

この講演では、被爆者がいかに「原子力平和利用」宣伝のターゲットされたか、またいかに日本国民の大半が「平和利用」を強く支持するようになり、結果として原発を乱立させてしまったのか、その歴史的経緯について解説します。さらには、原発推進の陰に隠されてきた日本の「核兵器保有潜在能力」の開発と維持についても議論します。

田中利幸プロフィール
1949年福井県永平寺町生まれ。西オーストラリア大学にて博士号取得。現在、広島市立大学広島平和研究所教授。「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」運営委員。主に戦争史、戦争犯罪史研究を専門とする。著書に『知られざる戦争犯罪』(大月書店、1993年)、『空の戦争史』(講談社、2008年)、Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II (Westviews, 1996) , Comfort Women: Sexual Slavery and Prostitution during World War II and the US Occupation (Routledge, 2001)、 共著に『原発とヒロシマ 「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット、2011年)、編著に『戦争犯罪の構造:日本軍はなぜ民間人を殺したのか』(大月書店、2007年)、共編著にBombing Civilians: A Twentieth-Century History (New Press, 2009), Beyond Victor’s Justice?: The Tokyo War Crimes Trial Revisited (Brill Academic, 2011)などがある。趣味は尺八古典本曲演奏。

このサイトでの田中氏の過去の寄稿はこちらをご覧ください。

Sunday, February 26, 2012

田中利幸「私たちは原発の動力源を忘れていないか?」ウラン問題再考 Yuki Tanaka: Uranium, the source of all nuclear problems - a critical overview of Australian Uranium mining and export

当サイトにも度々登場いただいている広島市立大学平和研究所教授、田中利幸さん(プロフィールはこの投稿の末尾)の最新の論考を掲載します。
・・・福島原発事故という、チェルノブイリ事故と並ぶ史上最悪の原発事故は、かくして、オーストラリアのウラン採掘・輸出にブレーキをかけるどころか、代替市場を求めてがむしゃらに採掘・輸出を推進させるという逆説的な結果を産み出している。

・・・私たちは、現在、福島第1原発から放出され続けている放射能の問題との対応に追われる毎日である。確かに、この問題はひじょうに重大であり、国内での反原発運動をさらに強め拡大させていく必要がある。しかし、その一方で、原発の動力源であり、原発問題の根源とも言えるウランの問題が、以上説明したような極めて憂慮すべき状況にあることにも目を向け、グローバルな観点から、広義の意味での「反核」市民運動を、私たちはいかに展開していくべきかについても真剣に考えなければならない状況にある。 (本文より)
福島をはじめ世の中の核被害の大元であるウラン採掘問題を掘り下げることなしに核問題は語れず、自分を住むカナダを始めとしたウラン産出国の市民は自国のみならず世界において核被害に加担していることを自覚し行動すべきであるとの思いを新たにしました。

田中氏は3月後半、カナダ・バンクーバーに滞在し、ブリティッシュコロンビア大学で21日に講演(21日)するほか、ピース・フィロソフィー・センター、バンクーバー九条の会主催で日本語講演(19日)も企画します。後日案内します。@PeacePhilosophy


ウラン問題再考 — 私たちは原発の動力源について忘れてはいないか? 豪州ウラン採掘・輸出政策の批判的検討を手がかりに —

田中利幸(広島平和研究所・教授)

はじめに

原発を運転するにも核兵器を製造するにも、天然ウランを精錬してできる粉末、いわゆる「イエロー・ケーキ」がなければ不可能である。

一方、現在、日本では「脱原発」という嵐が日本全国を吹き捲くっている。その嵐の目となっているのが、福島第1原発から絶え間なく放出され続けている「高レベル放射能」である。とくに、文科省が出した20ミリシーベルトという「安全基準」への激烈な批難、「安全神話」を作り出し原発推進政策をがむしゃらに進めてきた「霞ヶ関」の官僚と政治家、それに連なる学者、企業やマスメディアなどで構成されている「原子力ムラ」への痛烈な批判。こうした市民の深い怒りが、この嵐の力を衰えさせずに持続させている。かくして、これまで原発問題にほとんど無関心であった多くの市民が怒り立ち上がっていること、そのこと自体は極めて歓迎すべき状況変化である。

ところが、原発問題の最も根源的なウラン採掘問題について、日本のメディアも市民もほとんど無関心であり、あたかも原発はウラン無しで運転されているかのような意識の下で「脱原発」運動がすすめられている。

本稿では、したがって、我々日本の市民が長年にわたって原発で発電された電気の恩恵を受けてきた陰で、ウランの採掘・輸出をめぐって、ウランの最大生産国の一つであるオーストラリアでは、これまで何が起き、これから何が起きようとしているのかを検討してみたい。

オーストラリアウラン鉱マップ


オーストラリアにおけるウラン採掘・輸出の歴史的背景

オーストラリアのウラン推定埋蔵量は、世界推定埋蔵量の23%(38%という説もある)であると言われおり、世界一の埋蔵量を誇っている。これは、カザクスタンの15%、ロシア、南アフリカ、カナダ、米国、ブラジル、ナミビアの合計37%をはるかに超える量である。輸出量としては、現在は、カナダ、カザクスタンについで3番目。2010〜11年には7千トンの濃縮ウランを生産した。

オーストラリアが本格的なウラン採掘を開始したのは、核兵器製造のためのウラン発掘の要請を米英両政府から受け、1944年から探鉱を始めたのがその契機であった。1949年、北部特別州のラム・ジャングルで最初の鉱床を発見し、1954年から採掘を開始。1953年にはサウス・アリゲーター・リヴァー(北部特別州)、1954年にはメアリー・キャサリン(クイーンズランド州)、1956年には ウエスト・モアランド(クイーンズランド州)でも鉱床を発見。 同じく1954年からラジウム・ヒル (南オーストラリア州)でも採掘を開始。採掘されたウランは米英合同開発機構(ウラン獲得のために米英が共同で立ち上げた公的機関)と英国原子力エネルギー局に売却された。

なお、1952年〜57年の間、英国はオーストラリアのモンテ・ベロ島、イミュー、マラリンガなどで核実験を実施。採掘したウランが核兵器となってオーストラリアに戻ってくるという「ブーメラン現象」を起こし、その結果、アボリジニ住民と実験に参加した豪英両軍兵士に多くの被爆者を出した。1990年代末に、マラリンガ実験場跡地の汚染除去作業を、1億豪ドルを使い3年がかりで行ったが、どこまで放射能汚染除去ができたかは極めて疑問である。

ラム・ジャングルでの採掘開始にあたり、メンジス首相は「恐るべき核兵器ではあるが、自由世界圏を防衛するためにはウラン採掘は必要悪であり、そのためにオーストラリアはウラン供給でおおいに貢献する」という主旨のメッセージを発表し、米英の核兵器生産に全面的に協力する態度を表明した。しかしながら、1960年代に入るとウラン供給量が過剰となったため、ラム・ジャングル(1971年閉山)を除いて、他の全て鉱山は1964年までに一時閉山された。

ところが、1960年代末から70年代初期にかけて原子力発電用のためのウラン需要が増え出し、オーストラリアは再びウラン採掘を再開した。とりわけ、1973年のOPECの石油減産による石油危機のため、原発建設に動き出す国が増え、ウラン需要が増大したことがその主たる理由である。その結果、1970年代末までに、全国で60カ所近いウラン鉱床の所在が確認された。

いわば「第2次ウラン採掘ブーム」のこの時期に、大きな埋蔵量を持つ北部特別州での鉱山が複数発見された — それらは、レインジャー(1969年)、ナバレク とクーンガラ (1970年)、ジャビルカ (1971年)である。その上に、メアリー・キャサリンでの採掘が1976年に再開された。1970年8月から72年11月の間に海外への6売却の契約が結ばれ、74年から83年の間には10売却契約が成立したが、その契約先のほとんどが日本であった。この時期、日本は、田中角栄政権(72年7月〜74年12月)が作り出した「電源三法交付金」の下、がむしゃらに原発推進に乗り出した時であった。

1968年7月にNPT(核不拡散条約)が成立し、米英露の他59カ国がこの条約に署名した。ところが、オーストラリア政府は、「平和利用」のためのウラン輸出がこの条約によって妨げられるのではないかという懸念から署名に躊躇。70年2月に署名はしたものの、批准をしないままの状態がその後2年ほど続いた。ありあまる自国のウランを使って、オーストラリアも核兵器保有国になりたいというのが当時のゴードン首相の念願であったため条約批准に消極的であった、という説を唱える評論家もいるが、真意のほどは明らかではない。いずれにせよ、米英がオーストラリアの核兵器製造・保有を黙認するはずはなかった。

1972年末の総選挙で労働党が保守の自由党に勝利し、ゴフ・ウィトラム政権が成立するや、翌73年1月にNPTをすみやかに批准し、74年には、IAEA(国際原子力機関)の国際保障措置にも署名した。ウィトラム政権は、兵役や死刑制度の廃止、大学教育の無料化、健康保険制度の確立など様々な進歩的な政策を次々と導入した。ところが、ウラン問題に関しては、あくまでも「原子力平和利用」推進の立場で、原子力エネルギー産業開発政策をとり、とりわけ付加価値の多いウラン濃縮技術の開発の推進、すなわちウランを「イエロー・ケーキ」の形で輸出することを目指した。前述したように、1975年以降はウラン需要がとりわけ高まり、日本、イラン、イタリア、EECへの輸出が急増したのである。

しかし、この時期、ウィトラム政権が導入した他の政策や当時の核をめぐる状況が、オーストラリアのウラン採掘・輸出推進を、一時的にではあるが、減速させたことも確かである。とりわけ、次の3つの要因が、その減速には働いていた。

A. アボリジニ土地所有権の承認
「アボリジニの伝統的土地所有権の承認」という選挙公約に基づき、ウィトラム政府は1973年2月に、この問題を取り扱うウッドワード調査委員会を設置した。1974年4月にこの調査委員会の最終報告書が提出され、全てのアボリジニ特別保護区の土地、さらには空地の公有地で伝統的継承地と見なされる土地をアボリジニに返還することと、それらの土地における鉱物資源採掘に対するアボリジニの許可の必要性が主張された。最終的に、76年に、次期政権であるマルカム・フレイザー政権の下で、アボリジニ土地所有権法が成立した。この法律によってウラン採掘が以前ほど容易ではなくなったが、しかし、ウラン採掘を完全に停止させるまでの影響力をこの法律は有していないのが現実である。なぜなら、土地権や環境保護に関する法制からの「例外規定」として、「開発承認」という項目が設けられているからである。

B. カカドゥー国立公園の設置
オーストラリアでは、北部特別州の「カカドゥー」と呼ばれる自然豊かで広大なアリゲーター河川地域一帯の国立公園化は、1960年代半ばから提唱され始めていた。75年の野生生物保護法の成立により、79年に「カカドゥー国立公園」が正式に設置されるに至った。国立公園設置前に採掘され始めたジャブリカ、 レインジャー、 クーンガラのウラン鉱山は国立公園内にあるが、これらのウラン鉱山は国立公園指定地域から除外され、引き続き採掘が許可された。(ちなみに、「カカドゥー国立公園」は、1981年には世界遺産に登録されたが、98年に、「ウラン鉱山が自然環境を著しく破壊しつつある」として、UNESCOは「危機状況にある世界遺産」 として登録するか否かについて議論する会議を3回にわたって開催した。最終的にこの案は否決されたが、環境破壊の事態について「深く憂慮する」という主旨の声明を出した。)したがって、自然環境保護という観点から、70年代半ばは、国立公園内でのウラン採掘に反対する市民の意見が高まった時期でもあった。

C. 高まる反核実験運動
70年代初期はまた、フランスの南太平洋ムルラワ環礁における大気圏内核実験が、オーストラリア国内おける反核・自然保護運動を盛り上げる結果となった。70年代半ばにはウラン採掘反対団体、核エネルギーに反対するキャンペーン、地球の友、 オーストラリア自然保護協会などのNGOが次々と誕生し、反核実験、反ウラン採掘運動を全国で展開。採掘中のウラン鉱山のみならず、ラム・ジャングル のような閉山となったウラン採掘場から流れ出る放射能汚染も問題視されるようになった。こうした運動に、原子力科学者リチャード・テンプル、ロブ・ロボサム 、詩人のドロシー・グリーン、 作家ジュディス・ライト、 ノーベル文学賞受賞者パトリック・ホワイトといった著名人が加わった。こうした市民運動が、労働党のウラン政策に大きな影響を与えることとなった。

強まる市民運動のため、ウィトラム政権は、最大級のウラン鉱山、レインジャー鉱山における採掘・輸出ならびに環境問題に関するラッセル・フォックス判事を委員長とする調査委員会、いわゆるフォックス調査会を1975年7月に設置。輸出問題を議論した最初の報告書が、76年10月に発表された。この報告書が、最近まで続いてきたオーストラリアのウラン採掘・輸出政策の基礎を提供した。

この報告書が出される前に、ウィトラム政権は崩壊し、フレイザー保守政権が成立。新しく首相となったフレイザーは、報告書が出る前からウラン採掘・輸出支持を表明する一方で、副首相で国家資源担当大臣であったダグ・アンソニーが、報告書が出るまで結論は出せないと発表。トップの閣僚2人の意見が異なるという異例の事態となった。報告書の内容は、「平和利用」目的で売却するウランが軍事用に転用される危険性が極めて高いことを懸念しながらも(「既存の安全手段は単に幻想的な防御にとどまっているかもしれない」とまで述べているにもかかわらず)、NPT加盟国の中でウラン購入を希望する国家を注意深く選択し(つまり共産圏国家を除外するという意味)、2国間の協定でさらに軍事転用をしないという約束を取り付けた上で売却すべきであるという結論であった。翌年に出された、環境問題とアボリジニ土地所有権問題を取り扱った第2回報告書も、結果的にはウラン採掘を止めるような内容のものにはならなかった。

このフォックス調査会報告書に基づいて、1980年からウラン輸出が本格化し、オーストラリアは、日本、韓国、フィリッピン、英国、フィンランド、カナダ、スウェーデン、フランス、EUならびに米国と、ウラン使用に関して軍事転用しないという2国間保障協定を結んだ。しかしながら、軍事転用されていないという事実をオーストラリアが確認できる方法は全くないのが実情である。

一方、当時野党であった労働党は、1977年7月の党大会で「ウラン採掘一時停止政策」を打ち出し、政権を獲得した暁には、保守政権が結んだ全てのウラン鉱山採掘・輸出契約を一旦破棄すると発表。しかし83年に政権を奪還すると、84年の党大会でボブ・ホーク政権は「三鉱山(限定)政策」を採用し、北部特別州のレインジャー、ナバレクと南オーストラリアのオリンピック・ダムの三鉱山での採掘と輸出のみを許可するという、鉱山産業界との妥協策を打ち出した。

1996年3月、保守が再び政権に返り咲き、ジョン・ハワード政権になると、「三鉱山政策」を事実上破棄し、2001年には、南オーストラリア州のビヴァリー 鉱山での採掘開始を許可。同じく南オーストラリア州のハネムーン、北部特別州のジャブリカ、西オーストラリア州のイーリリーの各鉱山での採掘を開始させようとしたが、後述するような政治制度的問題やアボリジニ・グループからの反対にあって計画が一時うまく進まない状況に直面した。しかしハワード政権は、「世界温暖化問題」に取り組む方法として原子力利用をおおいに宣伝し、自国での原子力発電の導入まで提唱するようになった。2006年末、下院の工業・資源問題常任委員会は原子力を強く推進する内容の報告書を発表し、同じく、2006年には中国、2007年にはロシアへのウラン輸出を許可した。さらに、ハワード首相は、NPT加盟国でないインドへの輸出も許可されるべきとも主張しはじめた。彼はまた、「オーストラリアは21世紀の世界的規模でのエネルギー超大国になる」と豪語。さらには、北部特別州のマカティー・ステーションと呼ばれるアボリジニ所有地を放射性廃棄物の貯蔵場所にする案まで提案。こうしたハワード政権の態度が、国内の反核運動組織を刺激してかなり強い反原発導入運動を引き起こし、その結果、原発導入のアイデアはすぐにたち切れとなった。ウランを大量に輸出するオーストラリアには、原発は1基もないという、皮肉な状況となっている。ウラン輸出で利益を上げることには努めるが、金のかかる不経済な原発には手を出さない、というのがオーストラリア歴代政権の政策なのである。

2007年末の総選挙でハワード政権が終焉し、労働党ラッド政権が成立した。この労働党新政権は原子力発電導入には引き続き反対するも、選挙直前には労働党の伝統的な政策であった「三鉱山政策」を破棄して、基本的にはハワード政権の制限無しのウラン採掘・輸出政策をそのまま継承することとなり、放射性物質のマカティー・ステーションでの廃棄計画も引き続き検討中である。2009年には南オーストラリア州のフォー・マイル鉱山でのウラン採掘を許可し、その際、当時環境大臣であったピーター・ガレットが「環境に影響なし」というお墨付きを与えて、最終的なゴーサインを与えた。ガレットは、1970年〜80年代には、有名なロックバンド「ミッドナイト・オイル」のリード・シンガーで、反核・反ウラン採掘キャンペイーナーとして全国に知られた人物である。1980年代には核軍縮党(1984年結党、2009年廃党)の結成党員の一人となり、1989〜93年、1998〜2004年にはオーストラリア自然保護協会の会長まで務め、長年にわたってウラン採掘反対を唱えてきた人物である。その彼が、閣僚となるや一変して、「政府が決めたことには反対できない」と主張し、反核・反ウラン採掘運動家たちから顰蹙を買った。

2010年に労働党党首がラッドからジュリア・ギラードに変わり、ギラードがオーストラリア初の女性首相の座に着くと、労働党の政策はますます保守化。2011年末12月4日の党大会で、ギラードは、共産国である中国へのウラン輸出が許可されていながら、NPT批准国ではないといえ、民間利用のためにインドへのウラン輸出が許可されていないのは「非合理」と主張。米国も2008年にはインドと商業原子力技術の支援協定を結んでいるので、インドへのウラン輸出を解禁すべきであると、政策転換の容認を要望した。(インドは今後20年間に原発を30基増やす予定で、したがって大口のウラン購入国となる予定。)これに対し、フォー・マイル鉱山では環境大臣として採掘許可をおろしたガレット(現在は学校教育・若年/青年問題担当大臣)が、強く反対。投票の結果、206票対185票でインドへのウラン輸出許可案が承認されてしまった。かくして、ウラン軍事転用防止という点では極めて不備な、長年維持されてきたフォックス調査会報告書の基本政策ですら、労働党自らの手で廃棄されてしまい、今やオーストトラリアは、購入希望があれば、(米国が敵視しているイランや北朝鮮は別として)どこの国にもウランを売り渡すという無節操な国となってしまった。その結果、オーストラリア各地にあるウラン鉱床に、国内外の資源開発会社が群がりつつあるというのが現状である。

福島原発事故で日本の原発産業に急ブレーキがかかりつつあるため、オーストラリアは他のウラン大口市場を求めてインドや中国への輸出拡大にやっきになっているのである。日本の原発産業が、ヨルダン、ベトナム、インドなどへの技術販売にやっきになっているのも、福島原発事故で国内での事業拡大が望めなくなったからである。かくして福島原発事故は、様々な形で、ネガティブな影響を海外にもたらしつつある。

ギラードは2011年4月下旬、英国皇太子ウイリアム王子の結婚式に出席するために英国に向かう途中で日本に立ち寄った。日本滞在中はほとんど福島原発問題には触れず、電力エネルギーで困っている日本には、オーストラリアはもっと石炭を輸出する用意があると、親切にも申し出た。彼女の宮城県南三陸訪問は、外国の首脳としては被災地を最初に訪問した人物として報道され、地元の人たちに喜ばれたことは、なんとも皮肉である。

ウラン採掘・輸出をめぐって今何が起きているのか

ウラン採掘の最終決定権は各州政府にあるが、北部特別州の場合は「特別領域」であり正式な「州」ではないため、最終決定権は連邦政府にある。そのため、例えば、現在問題になっているアリス・スプリングの北に位置するアンジェラ・パメラ鉱床の開発には、労働党州政府は反対しているが、労働党政権の連邦政府が北部特別州政府の決定を覆す可能性が高い。アリス・スプリングからわずか25キロしか離れていないので、市の住民の飲料水である地下水を汚染する危険性が極めて高いと言われている。カナダの大手資源開発会社カメコがオーストラリアのウラン開発企業パラディン・エネルギー社との共同出資でこの鉱床の採掘を狙っている。中国国営原子力公社もアンジェラ・パメラ鉱床には強い関心を示しており、目下、オーストラリアのウラン探鉱会社エネルギー・メタルズ社の株の70%取得を目指している。

レインジャー鉱山は、前述したようにカカドゥ国立公園に囲まれている世界最大級のウラン鉱山であるが、環境汚染ではこれまでにたびたび問題を起こしている。例えば、2006年のサイクロン「モニカ」がこの地域を通過した際には、多量の雨水が放射能で汚染された鉱滓堆積ダムにたまって溢れ出し、近辺に流れ出した。昨年4月にも、この地域を襲った記録的大雨で、鉱滓堆積ダムが溢れ出す危険に曝された。このダムには100億リットルという大量の高濃度汚染水が閉じ込められている。これを処理する施設は全くなく、増える汚染水をただ単に溜め込み続けているというありさま。この30年間、毎日10万リットルの汚染水がカカドゥ地下の割れ目に漏れ出しているとも言われている。この鉱山は英国系の大手資源開発会社リオ・ティントの子会社ERA (豪州エネルギー資源会社)が運営しているが、2004年には、多くの労働者が汚染された水を飲んだり、汚染水でシャワーを浴びて被曝するという事故も起こしている。

この鉱山の問題は、ダーウインから230キロも離れた人里離れた地域にあるため、その激しい汚染状況が国民にほとんど知られていないことである。元々この地域はミラル族のアボリジニの所有地であり、彼らは毎年2億豪ドルを鉱山使用料として受け取っているが、アルコール中毒者が増え、金をめぐって諍いが絶えず、コミュニティーは崩壊状態にある。ミラル族の伝説によると、この土地が荒らされると、ドゥジャングという恐ろしい力が解き放たれ、世界中を皆殺しにしかねないということである。核兵器による人類破壊を警告するような伝説である。UNESCOがカカドゥ国立公園を「危機状況にある世界遺産」に登録しようと試みたのも、全く不思議ではない。

ミラル族の女性長老イボンヌ・マルガラルは、福島原発事故の後の昨年4月、大震災と原発事故の被災者への深い同情と謝意の気持ちを綴った手紙を潘基文・国連事務総長に送り、「私たちの土地から採掘されたウランが、福島第1原発事故による放射能汚染の原因の少なくとも一部になったことをひじょうに悲しく思う」と述べ、ウラン採掘の停止要求を訴えている。原発によって発電された電気の恩恵を受けて生活してきた私たち日本の市民こそ、アボリジニの土地を破壊し、放射能汚染をもたらしたことに謝罪の言葉を送るべきであろう。その意味では、私たちは、アボリジニの人たちに対しては放射能汚染「加害者」の立場にあるということを、明確に認識すべきではないだろうか。放射能による自分たちだけの被害のみを訴える「脱原発運動」は、自己中心的ではなかろうか。

北部特別州で最近、ウラン採掘を停止できた稀なケースとしてクーンガラ鉱山がある。この鉱山もカカドゥー国立公園内にあるが、昨年半ば、元々国立公園地域から除外されたこの鉱山地域を世界遺産に含める提案を世界遺産委員会が発表した。鉱山経営を行っているフランス国営企業アレヴァ(世界最大のウラン・エネルギー会社)は、なんとかこの計画を阻止しようと画策。オーストラリアではこの時、ちょうど総選挙を控えていたため、労働党政権が環境保護政策の宣伝としてこれを政治的に利用し、クーンガラ鉱山でのウラン採掘許可契約の延長をこれ以上しないことを公約した。この地域の土地所有権を持つアボリジニもこの地を国立公園に寄付することを申し出たため、クーンガラ鉱山は、ウラン採掘が停止される極めて稀なケースとなった。

南オーストラリアの州都アデレードの北500キロメートルに位置するオリンピック・ダム鉱山のウラン埋蔵量は、世界最大である。その濃縮ウラン年間生産量4千トンも世界最大級。乾燥地帯にあるこの鉱山は、主に地下水を使っているが、その量は毎日3.5万トン、製錬には毎日1千2百トンもの硫酸が使われている。この鉱山(金・銀・銅・ウラン鉱石を産出)を経営する英国系企業BHP ビリトン社が、この鉱山を3倍に拡張する計画を進めており、2011年10月10日、連邦政府と南オーストラリア州政府はこの計画を承認した。この拡張採掘では、幅4キロX3キロ、深さ1キロという巨大な穴が掘られる露天掘りとなり、年間4千万トン、100年間(埋蔵量から推測して100年間の採掘が可能)で40億トンにものぼるウラン鉱石採掘が行われる予定である。採掘時に発生するウラン残土、製錬によって排出される鉱滓の量は年間4千万トン。これら全てから放射能が放出される。使用する水の量は毎日15〜20万トンを超えると予測されている。積み上げられる放射能を帯びた鉱滓の砂は、季節風に運ばれ、東海岸のシドニーやメルボルンまで飛んでいく可能性も極めて高い。(この拡張採掘がもたらす危険性については、 http://www.roxstop-action.org/ を参照されたし。)

米国ジェネラル・アトミック社の提携会社、ヒースゲイト資源会社は南オーストラリアのビヴァリー鉱山採掘許可を、2010年に労働党州政府から受けた。2011年に操業を始めたハネムーン鉱山は、三井物産が49%の出資を行っている。

西オーストラリア州は2002年6月から労働党政権の下で、州内のいかなる鉱山でもウラン採掘を許可しないという政策をとってきた。したがって、当時の連邦政府ハワード政権の政策とは真っ向から対立するものであった。しかし、2008年末の州選挙で労働党が敗れ、自由党のコリン・バーネットが州首相になるや、前政権の政策を180度転換。このため、それ以降、次々とウラン採掘計画が進められている。つい最近、州議会野党・労働党の党首エリック・リッパーが引退し、新しい党首マーク・マックガワンに代わったが、マックガワンは新党首に就任したその日に、来年の州選挙で労働党が勝利した場合には、党公約のウラン採掘禁止政策を破棄して、すでに開発計画が決定されている鉱山についてはその継続を容認するという政策変更の意志を表明した。これは、もちろん連邦政府のウラン採掘・輸出の推進政策に影響された結果である。

西オーストラリア州最大のウラン鉱山はイーリリー鉱床で、ここもBHP ビリトン社が採掘権を確保した。近くにはレイク・メイトランド鉱床があり、メガ・ウラニウム社という会社が2013年からの操業予定であるが、2009年2月、このプロジェクトの35%が伊藤忠と関西・九州・四国電力の代理である日豪ウラン資源開発会社に売却された。その南東にあるムルガ・ロック鉱床はエネルギー・ミネラル・オーストラリア社が2014年から操業予定である。西オーストラリア州中央北部にあるキンタイヤー鉱床は元々リオ・ティント社が採掘権を確保していたが、これをカメコと三菱商事が共同で買入れを行い、2015年から操業予定である。

クイーンズランド州は現在、労働党が州政府の座に着いており、ウラン採掘許可を下ろさない政策をとっている。皮肉なのは、オーストラリア労働組合が昨年2月の全国大会で、州政府にウラン採掘禁止政策を廃止するよう求める決議を採択したことである。次の選挙で政権交代の可能性もあるため、資源開発会社もその機会を狙って、すでにいろいろ下準備を重ねている。例えば、2010年2月、日本の独立行政法人・石油天然ガス金属鉱物資源機構は地元の会社ボンダイ・マイニング社に出資し共同事業に乗り出している。中国企業ドラゴン・エネルギー社はディープ・イエロー社との共同事業をすでに2007年末に始めており、州内のウラン鉱床に強い関心を注いでいる。

ここ数年、中国企業のみならずインド企業も、オーストラリアでレアメタルやウラン確保目的で活発な投資活動を行っている。例えば、インドの最大企業の一つ、リライアンス工業社は、2007年にウラン探鉱オーストラリア社との共同事業に入り、南オーストラリアと北部特別州でのウラン確保にすでに乗り出していた。ハワード政権下での中国へのウラン輸出許可、ギラード政権のインドへのウラン輸出許可の背景には、すでに両国の企業が投資という形でオーストラリアに深く入り込んで、連邦政府に圧力をかけていたという事実がある。

結論:グローバルな観点からの反核運動を!

福島原発事故という、チェルノブイリ事故と並ぶ史上最悪の原発事故は、かくして、オーストラリアのウラン採掘・輸出にブレーキをかけるどころか、代替市場を求めてがむしゃらに採掘・輸出を推進させるという逆説的な結果を産み出している。その結果、オーストラリアは、これまで弱いながらも採掘・輸出にかけていた規制を、全て取払ってしまい、採掘も輸出もほとんど全面解禁状態となり、全国あちこちにウラン鉱山が出現するという、いわば「ウラン採掘・輸出の野放し状況」が起きている。

その結果は、国内では、放射能によるさらなる環境汚染と被曝、海外では原発の増加のみならず、原発で作られる核物質の軍事転用を拡大させることに必然的につながってこざるをえない。

私たちは、現在、福島第1原発から放出され続けている放射能の問題との対応に追われる毎日である。確かに、この問題はひじょうに重大であり、国内での反原発運動をさらに強め拡大させていく必要がある。しかし、その一方で、原発の動力源であり、原発問題の根源とも言えるウランの問題が、以上説明したような極めて憂慮すべき状況にあることにも目を向け、グローバルな観点から、広義の意味での「反核」市民運動を、私たちはいかに展開していくべきかについても真剣に考えなければならない状況にある。


田中利幸
1949年福井県永平寺町生まれ。西オーストラリア大学にて博士号取得。現在、広島市立大学広島平和研究所教授。「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」運営委員。主に戦争史、戦争犯罪史研究を専門とする。著書に『知られざる戦争犯罪』(大月書店、1993年)、『空の戦争史』(講談社、2008年)、Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II (Westviews, 1996) , Comfort Women: Sexual Slavery and Prostitution during World War II and the US Occupation (Routledge, 2001)、 共著に『原発とヒロシマ 「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット、2011年)、編著に『戦争犯罪の構造:日本軍はなぜ民間人を殺したのか』(大月書店、2007年)、共編著にBombing Civilians: A Twentieth-Century History (New Press, 2009), Beyond Victor’s Justice?: The Tokyo War Crimes Trial Revisited (Brill Academic, 2011)などがある。趣味は尺八古典本曲演奏。

Saturday, February 25, 2012

大阪市「労使関係に関する職員のアンケート調査」原文

大阪の友人のIさんより。
311後も含めて日本はあまりにもひどい閉塞感のなかで、変化を求める声は大ですが「民意」というのは、恐い面もありますね。「民意」(大阪・橋下市長が好んで使う)が選んだ橋下市長の進めようとしている政策はことごとく民主主義、憲法に反するものばかりです。
・・・今 大阪市職員に対して、組合活動への参加や、選挙への応援の参加について、アンケートを始めました。しかも、それは職務命令ということで、正確に書かないと処分もありという内容です。密告システムづくりでもあります、恐怖政治です。添付の原文をお読みください。報道もされていますが、やはり原文を見てほしいですね。

大阪弁護士会・その後日本弁護士会会長声明が出されて「憲法」「労働基準法」違反の、不当労働行為にも当たる、直ちに中止をと。また連日市役所の前でいろんな団体、市民有志 がびらまきをしましたが。このアンケートに彼の本質が見えます。
以下に原文を掲載するが、背筋が寒くなる内容だ。「正確な解答をしない場合は処分の対象になる」とし、自らの違法行為を報告した場合懲戒処分を軽減するが、「特に悪質な場合を除いて免職としない」ということは、「悪質」の場合は免職すると宣言しているのである。職員の組合活動を一部始終報告させ、街頭宣伝を聞いたことまで政治活動として報告させようとしている。組合や政治活動に関与している人を匿名で密告させるシステムまで完備している。このような思想調査を公務員に対して行っている。これはいつの時代のどこの国の話か、と思う。このような暴挙を許してはいけない。(関連報道下方参照)@PeacePhilosophy












関連報道

朝日新聞


2012年2月23日

大阪市が全職員を対象に労働組合や選挙活動への関与を問うアンケートをした問題で、大阪府労働委員会は22日、「(不当労働行為の)支配介入に該当するおそれのある(質問)項目があるといわざるを得ない」として、橋下徹市長らの責任で調査続行を差し控えるよう勧告した。労働委員会が労働組合法違反の有無の審査手続きに入る前に、違法性を示唆する勧告書を出すのは極めて異例だ。

 府労委は今後、弁護士や大学教授らで構成する公益委員会議で、不当労働行為の有無を判定。違法性があると認定されれば、市側にアンケートの破棄などを求めた職員労働組合側の救済申し立てが認められる可能性が高い。

 市は今月10~16日、市特別顧問の野村修也弁護士ら調査チームが主体となり、全職員を対象に「労使関係に関するアンケート」を実施。職員労働組合への加入の有無や労組活動への参加、選挙活動への関与など22項目の質問に答えるよう求めた。橋下氏は調査に当たって職員向けに出した説明文書で、業務命令で回答を求め、回答しない場合は処分対象になり得ると通知した。

 これに対し、職員約3万人が加入する市労働組合連合会(市労連)はアンケートの内容について、使用者が労働組合の結成や運営に対し支配・介入することを禁じた労働組合法に違反すると主張。府労委に対し13日、「不当労働行為に当たる」として、アンケートの破棄や市長の謝罪を求める救済を申し立てていた。その後、弁護士会などからも「基本的人権を侵害している」などとの批判が続出。野村氏は調査の一時凍結を表明した。
NHK
メール調査 橋下市長と異なる認識


2月23日 6時43分
大阪市の橋下市長が、職員の政治活動などを確認するためと説明した、メールの調査について、調査に当たっている弁護士は、「職員の違法行為全般を確認するためで、政治活動の確認が目的ではない」と説明し、橋下市長とは異なる認識を示しました。

調査では、橋下市長の指示を受けて外部の弁護士などで結成された調査チームが、職員およそ150人分の業務用のメールのデータを、対象の職員には通知せずに市側から受け取っていて、橋下市長は調査の目的について、22日、職員の政治活動や組合活動などを確認するためだと主張していました。
これについて、調査チームのリーダーで、市の特別顧問を務める野村修也弁護士は、22日夜、記者団に対し、「メール調査の対象は、いずれも組合員ではなく管理職で、内部告発に基づき、地方公務員法の職務専念義務に違反している可能性のある職員に限って調査した。違法行為全般を確認するためのもので、政治活動の確認が目的ではない」と述べ、勤務時間中に業務以外のメールを送っていなかったかなどを調べるためだと説明し、調査目的について、橋下市長とは異なる認識を示しました。



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Monday, February 20, 2012

『フォーブズ』掲載 ダグ・バンドウ「沖縄は沖縄の人々に返せ」和訳 (ガバン・マコーマック解説) Japanese translation of Forbes article "Give Okinawa Back to the Okinawans" by Doug Bandow

This is a Japanese translation of "Give Okinawa Back to The Okinawans" by Doug Bandow, Senior Fellow at the Cato Institute, which appeared in Forbes on January 23, 2012, while 24 members of the Okinawan delegation were visiting Washington, D.C. We also provide Japanese translation of Gavan McCormack's introduction to Bandow's article, which appeared in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus, on January 25. (Bandow's article translated by Natsuko Ito, and McCormack's introduction by Satoko Oka Norimatsu)

1月23日、沖縄訪米団の糸数慶子参議院議員らが訪問したシンクタンク「ケイトー研究所」のダグ・バンドウ氏が『フォーブズ』に、「沖縄は沖縄の人々に返せ」という寄稿をした。この記事は『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に転載され、オーストラリア国立大学のガバン・マコーマック氏が解説しており、その解説文和訳とともに、ここにバンドウ記事和訳を紹介する。@PeacePhilosophy


ガバン・マコーマック解説 (翻訳 乗松聡子)


1月末、沖縄の訴えを米国に届けるため、24人からなる派遣団がワシントンを訪れた。この訪米団には、国会議員、県会議員、市町村議員も含まれていた。
沖縄訪米団は、知事をはじめ選挙で選ばれた議員たちのほとんど全てが反対しているにもかかわらず、沖縄北部の自然豊かな環境に海兵隊基地を建設しようとしてきた日米政府の動きに抗議した。また、沖縄が重要な役割を果たすとされる民主主義国家の防衛は、沖縄県民自身の民主主義を否定するのでは成り立たないと指摘した。そして二ヶ国政府がずっと沖縄の声を無視して頭越しで協議や政策決定を行ってきていること、さらに、ずっと沖縄県民を騙し、利用し、差別し、民意を否定してきたことに対して抗議した。そして主権は人民に在することを強調した。
こういった訴えがワシントンの政策立案者集団にどれだけ伝わったのかは今後明らかになっていくと思うが、1月23日『フォーブズ』に掲載されたこの記事は、早い段階で発表された注目すべき成果と言えよう。
ケイトー研究所のダグ・バンドウは、現状の不正を指摘し海兵隊の新基地建設計画を中止するように呼びかけた初めてのアメリカ人とは言えないが、彼はこの記事で更に踏み込んだ発言をしている。彼は、米国が「沖縄と日本の他の場所から軍施設を、・・・撤去すべきである」と言い切っている。それが日本が「米国の保護国である地位から脱出する唯一の方法」であると。また、海兵隊は、抑止力としても実戦に出る可能性のある部隊としても軍事的目的を果たさないと、バンドウは主張する。中国を封じ込める必要があるのなら、日本は「この地域の安全と安定維持に自らが必要とみなす手段」を講じるべきであると。要するに、米国は辺野古の基地建設を中止するだけでなく、沖縄と日本本土の基地機構全てを清算するべきと言っているのである。バンドウは在韓米軍基地についても同様の見解を示している。皮肉なことに、このような急進的な要求を明言するのは保守派論客なのである。
バンドウは平和主義者ではない。彼の言う日米軍事同盟の解体は、日本の軍隊の役割増大、日本軍が米軍に取って代わることを意味する。日本国憲法において、武力の保持、使用、武力による威嚇を禁ずる第九条を、バンドウは時代錯誤で意味を持たないものと見ているようだ。
沖縄県民はバンドウのメッセージを聞いて最初は歓迎するかもしれないが、それは実は重大な意味を持っている。結果的に日本軍が米軍に取って代わるだけだったら、沖縄の抵抗運動にとっては、苦く、犠牲が大きすぎる勝利と言わざるを得ないからだ。
ここに沖縄にとっての、ジレンマでもあり戦略的課題とも言えることがある。それは、ロナルド・レーガン大統領の特別補佐官も務めたこともあり、保守リバタリアン主義、ケイトー研究所の中心的存在であるバンドウのような保守派からの「後押し」と、武力によらない地域の平和と安全というビジョンを明確化し、深化する作業の間で、どう折り合いをつけていくかということである。
ガバン・マコーマック

沖縄は沖縄人に返せ


ダグ・バンドウ

翻訳 伊藤夏子 翻訳協力 乗松聡子


米国はあまりに拡張し、過度の負担を負っている。しかし、ワシントンの政治家は全世界で米軍の軍事プレゼンスを維持する決意である。財政上の圧力から、オバマ政権は十年間続いた軍事費大幅増加の速度をついに落とさざるを得ない。だが、国外の米軍駐留地には手をつけない。ロバート・ゲイツ前国防長官は「米国は東アジアの前線において確固としたプレゼンスを維持する覚悟だ」と宣言した。

これはつまり、沖縄にある多くの基地を維持することを意味する。沖縄の基地は1945年半ばに米国が日本帝国軍を打ち負かして以来、この島の住民たちの負担になってきた。それから70年近く経ったが、米国政府はこの負担を軽減する如何なる手段をも講じることを拒否している。それどころか2010年、オバマ政権がかけた圧力は、この問題をめぐり日本の鳩山由紀夫首相を辞任に追い込むことになった。

米国政府はどの同盟関係においても、自分が格上の存在であり、今後も格上であり続けることに固執する。米国は同盟国を守ると言うが、それはあくまでも自分たちの言うとおりの条件において、である。沖縄の場合、米国はそこに基地が欲しい。それも永久に欲しいのである。今週、沖縄から国会、県会、市議会議員から学生まで30人程が、沖縄県民の基地負担を米国人に訴えるために首都ワシントンを訪問している。

沖縄の苦難の道のりは長い。沖縄本島が最大の島である琉球諸島は、有史時代の大半は独立していた。領土が日本帝国に征服されたのは近代である。沖縄の人々は日本政府から全面的に信頼されたことが一度もなく、第二次世界大戦末期には凄まじい苦しみを味わった。

「鉄の暴風」と呼ばれる米軍侵攻は1945年4月から6月にかけて行われた。戦闘は容赦なかった。民間人の犠牲者は15万に上るとされる。戦後、米国は日本を占領し、沖縄を文字通り植民地にした。沖縄が日本に返還されたのは、戦争終結後27年を経た1972年であった。

しかし、米軍は島の多く、面積にして約20%を支配し続けている。長いフェンスが、住民たちを祖先の土地から隔離している。航空基地が住宅地のど真ん中にある。最上級のビーチは米軍の支配下にある。大勢の若く血気盛んな外国の男たちが地元の人々の暮らしを変える。それも、しばしば良くない方向に、である。

沖縄人たちは長年、苦痛の軽減を求めてきた。1995年、少女が強姦され、米軍司令官が無神経な発言をするや否や、人々の怒りは爆発した。しかし、大規模な抗議集会が開かれたにもかかわらず、何も変わらなかった。沖縄の人々は日米同盟という厳しい壁に立ち向かうこととなった。

米軍が沖縄を好むのは、地理的な中心地点にあるからだ。米国国防総省も、費用を払ってまで海兵隊遠征軍を移転したいとは思っていない。ワシントンにとって、沖縄人が被る不都合は、日米関係がこじれるという意味以外では問題にならない。バートン・フィールド在日米軍司令官は「海兵隊移設先を早く建設すればするほど、我々に対する憎悪も早く収まるだろう」として、「沖縄の抵抗」を切り捨てた。

しかし、沖縄の苦痛の本当の源は日本政府である。米国政府は沖縄県政府ではなく、日本政府と交渉する。米国の観点では、地元の利害を調整する責任は米国でなく日本政府にある。

一方の日本政府もまた、日本本土から離れているという地理上の理由から、沖縄に基地を集中させることを好む。日本の米軍施設のおよそ4分の3(面積)と米軍関係者の半数が、日本領土の0.6%の面積しかない、最も遠方の、最も貧しい県に配置されている。およそ6割の日本人が沖縄への負担に批判的だが、自宅近隣に米軍基地を望む者はいない。

米軍のプレゼンスに手を着け、いじる案はいくらでもある。日本政府は10年にわたる交渉を経て、2006年に、海兵隊の一部をグアムに移転し、普天間基地を、島の中でもより人口の少ない辺野古に移設することに合意した。この計画は誰にとっても満足するものではなかった。米軍にとっては不便で、日本政府にとっては金がかかり、沖縄の助けにもならない。2009年の国政選挙の際、当時の野党民主党はこの合意に反対した。政権をとった民主党鳩山首相は「現行案を受け入れるなどという話はあってはならない」と述べた。

民主党新政権の意図は良かったが、この政権は、オバマ政権が最も近い同盟国の一つである日本との軍事関係の見直しを完全に拒絶するとは予想していなかった。民主党は、より対等な関係を築くと発言したが、そのような同盟の運用は米国のやり方ではない。日本の人々や政策立案者もまた、米国との関係を変える準備ができていなかった。最初の民主党政権は米国の圧力の下、崩壊した。

とはいえ、普天間の移設計画が鳩山氏の首相の座より現実性のあるものかといえばそうでもない。米国会計検査院の試算によると海兵隊のグアム移転費用は当初の約3倍で、290億ドルを超える。米国議会はこの計画のための今年度予算を全て削減した。上院議員のカール・レビン(ミシガン州選出・民主党)、ジョン・マケイン(アリゾナ州選出・共和党)、ジム・ウェッブ(バージニア州選出・民主党)は、現行案を「非現実的、実行不可能かつ財政的に困難」とした。

日本もまた、現行案に2012年度の予算をつけなかった。日本政府は言ってみれば、何もせずに流れに任せようとしている。そうすることが1995年の強姦事件の後も、「成果をあげた」。人々の抗議は最終的に収まった。2010年にも再び大規模な抗議行動が起きたが、これも下火になった。

日本の指導者は、沖縄人はまだ中央では殆ど力を持たないので、少なくとも短期的には、今回も何もしなければうまくいくと期待する。去年、菅直人首相は沖縄の住民に「[県外移設を]あらゆる角度から検討したが、現状が許さない」と述べた。日本政府は長年、アメと鞭を同時に与え、地元住民を服従させてきた。

住民の不服従が流れを変える可能性はある。2010年5月、1万7千の沖縄人が普天間を人間の鎖で囲んだ。最近では200人の抗議者によって、防衛省が新滑走路建設の環境影響評価書を沖縄県庁に運び込むことを遅らせた。抗議者に対する武力行使は日本政府の寿命を脅かし、米国政府にとってもバツが悪い。

沖縄の要求を拒絶するのではなく、米国は自主的に沖縄の軍事プレゼンスを縮小すべきである。太平洋軍アジア太平洋安全保障研究センターのジェフリー・ホーナングは「このことが沖縄にもたらしている問題の大きさを考えれば、ついに見直す時がきた」と述べた。

しかし、米軍施設は症状であって、原因ではない。基地が存在するのは日本の防衛を支援するためである。また、海兵隊遠征軍はどこにでも展開可能で、朝鮮半島に戦争が起こった場合、このことが明白になる。

日本に基地を設置せずに、米国が日本を守ることを期待するのは非現実的である。しかし、米国は日本に対する安全の保証を止め、沖縄と日本の他の場所から軍施設を、移設するのではなく、撤去すべきである。さらに、オーストラリアを始め東アジアに新たに軍を増強するのではなく、米国はこの地域全域から軍を撤退させ、基地を閉鎖すべきである。第二次大戦が終ったのは67年前である。米国は最早、繁栄を遂げた能力ある多くの同盟国のために安全を保障する必要はない。

日本は米国の保護国である地位から脱出する唯一の方法として、この方策を支持すべきだ。日本は米国の要求に応じるために、実質的に自国領土の支配権を放棄している。オバマ政権は、より対等な関係を目指すとした2009年の民主党の選挙公約を阻んだが、安全保障の議論が進むにつれ、日本国民が日米関係にさらに多くの疑問を抱くようになるのは避けられない。

ワシントン大学のケネス・B・パイル教授は「(日米)関係における米国の優位があまりに極端なことから、同盟の調整は行われなければならないが、もう一つの理由として、近代日本の基本目標が常に自立と自制であったことが挙げられる」と述べた。

多くの日本人が今でも米国に自国の防衛を期待することは驚くにあたらない。友好的な超大国に防衛を依存すれば、自国の資源を他の分野に回せる。米国との同盟はまた、日本の外交上の責任を軽減してくれる。さもなければ、日本帝国軍の侵略行為が今なお忘れられない隣国を安心させなければならない。

より奇妙なのは、日本の防衛のために支出を続ける米国の決意である。米国政府は3年連続で1兆ドルを超える負債を抱え、破綻している。社会保障費と医療保障費(Medicare)の未積立債務だけで100兆ドルを超過している。その他の様々な支出がさらに100兆ドルである。それでもなお米国の政治家は東アジアにおける恒久的かつさらなる米軍のプレゼンスを当然のこととしている。

米国の父親的干渉には、二つの理由がある。一つは、中国を抑えるためである。フィールド司令官は中国を指して「この地域のほとんどの国が、安全で安定した地域であり続けることを望んでいる」と言明した。

海兵隊が実際どのように中国を封じ込めるかは不明である。ロバート・ゲイツが認めるように、米国の政治家はアジアで新たに陸上戦を行うと言うならばまず自分の頭を検査すべきである。万が一中国と紛争が起きたとしても、米国が頼るのは空軍と海軍である。

中国脅威論がしつこく語られているものの、中国が米国に被害を与える立場にはなく、また、そうなるまでには何年もかかる。中国の軍事費は米国よりはるかに少ない。米国を攻撃するためでなく、米国に攻撃されないよう中国は熱心に努力している。

日本や近隣諸国は、米国よりも中国と距離が近く、中国よりも軍事力が弱いので心配するのももっともだ。しかし、中国のリスクを査定し、それに対応するのは米国ではなく各国の責任である。彼らはフィールド司令官のいうように、この地域の「安全と安定」維持に自らが必要とみなす手段を講じるべきである。中国が米国を抑止しようとするように、彼らも中国の抑止に努めるべきだ。

日本はすでに有能な軍隊を構築しており、それは、米国による占領期に米国の強い意向で発効した憲法による制約を避けるために「自衛隊」と呼ばれている。しかし、日本政府は決して自衛隊の能力に見合うだけの投資をしてこなかった。それどころか最近、日本政府は自衛隊予算を削減すると発表した。もし中国や、常に予測不可能な北朝鮮の脅威にさらされていると考えるなら、日本はもっと力を入れるべきである。

日本が、韓国のように似た考えを持つ国々とより緊密に協力すべきもっともな理由もある。日韓関係は、他の隣国との日本の関係もそうであるように、歴史の傷を負っている。しかし、米国がこの地域を安全保障の毛布で包んでいる限り、アジアの同盟諸国にとって、愛国主義を国内政治に利用することを避け、歴史の問題に取り組む動機付けがない。米国の安全保障を取り去れば、米国以外の国々が協力し合う動機が高まる。

近年、中国は領土の主張をめぐって近隣諸国と厳しい駆け引きを展開している。この対応は中国の姿勢に対する関係諸国の懸念を高め、軍事費の増大、とりわけ海軍の軍備計画強化をもたらしている。これは、米国がこの地域に配備する艦船をさらに建造するよりはるかに望ましいことだ。

政治家の中には地域の安定化促進についてより広く語る者もいるが、沖縄駐留の海兵隊遠征軍の派遣が必要な有事を想定するのは難しい。仮に北朝鮮が侵略してきても、兵士が豊富な韓国に数千人の海兵隊は必要ない。仮に何か分らない「何か」がフィジーやソロモン諸島、インドネシア、ビルマ、カンボジアといったこの地域で最も不安定な国々で発生したとしても、米国が地上部隊の投入を検討しなければならない理由を想像するのは困難だ。地政学上の問題は米軍の自動的関与を正当化するものではない。ロナルド・フォーゲルマンは空軍参謀長当時、海兵隊には「軍事的機能はない。彼らが沖縄にいなければ間に合わない戦争などあり得ない」と認めた。

日米関係の第二の目的は日本を抑えることである。かつてヘンリー・スタックポール少将が無骨に語った有名な、「日本の再軍備、再起」を阻止するための「ビンの蓋」論である。である。この主張は日本の官僚さえもが時に利用してきた。すなわち、日本帝国海軍が再び太平洋をうろつくことを望まないだろうから、日本を守ってくれというものだ。

しかし、平和と民主主義が何十年も続いた後、「日本が再び攻撃するのを抑止しろ」という主張は廃れつつある。この世に確実なものなどないとはいえ、狂信的な少数を除いて軍国主義復古の徴候はない。日本ではわずかな平和維持軍の派遣でさえ大変な議論を呼んだ。あたかも日本人が倍の原罪を背負っているかのように接するべきではない。

さらに、米国は軍事の透明性と多国籍主義を推進することで地域の懸念を和らげることができる。日本は軍事力と外交を超大国に対する防御と抑止に適合させるべきだ。大きな軍隊がなければ、日本は仮に望んだとしても、どこも領有することはできない。

しかし、日本がもっと防衛に力を入れるかどうか、また、そうだとすると実際に何をするのか、誰と行うのかは日本の人々次第だ。米国の出る幕ではない。

日米が軍事同盟を終えることは、両国が関係を放棄することではない。経済や家族、文化の強い絆は続く。さらに、二国は軍事協力もするべきであろう。今後も情報の共有、緊急時の基地利用、演習、装備の事前配備、その他の協力をしていくことが適切だ。米国は、日本のような同盟国がもし潜在的覇権国の脅威に晒されたときには支援する用意のある、「沖合のバランサー」として行動することができる。しかし、米国は最早、重要性の低い地域紛争を細かく管理しようとはしない。

このようなスタンスをとることは、米国と日本の人々に有益であるし、とりわけ沖縄の人々に有益である。米国は同盟諸国との関係の転換をしていくべきであり、今こそ、まず日本を相手に始めるべきである。

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『フォーブズ』サイトの原文はこちら

Give Okinawa Back To The Okinawans

Doug Bandow

The U.S. is overextended and overburdened, but Washington policymakers are determined to preserve America’s dominant military presence around the globe. Financial pressure is forcing the administration to finally slow a massive, decade-long increase in military spending, but American garrisons overseas remain inviolate. Former Defense Secretary Robert Gates declared: “The U.S. remains committed to maintaining a robust forward presence in East Asia.”

That means preserving multiple bases in Okinawa, which have burdened island residents since the U.S. defeated imperial Japanese forces there in mid-1945. Nearly seven decades later Washington refuses to take any meaningful steps to lighten the load. Indeed, Administration pressure in 2010 helped force the resignation of Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama over the issue.

The American government insists that it is and always will be the senior partner in any alliance. Washington will protect you, but only on its terms. In this case, the U.S. wants bases in Okinawa, and wants them forever. Nearly 30 Okinawans, ranging from elected officials to students, are visiting Washington, D.C. this week to tell Americans about the resulting burden on the people of Okinawa.

Okinawa’s travails have a long history. The Ryukyu Islands, of which Okinawa is the largest, were independent throughout most of their history. Only late was the territory conquered by imperial Japan. Okinawans were never fully trusted by Tokyo and suffered horribly in the closing stages of World War II.

The so-called “Typhoon of Steel,” as the American invasion campaign was called, ran from April through June in 1945. Combat was brutal. Estimated civilian casualties ran up to 150,000. The U.S. occupied Japan after the war and turned Okinawa into a veritable colony. Only in 1972, 27 years after the conclusion of the war, was the island turned back to Japan.

However, the U.S. military continues to control much of the island, roughly 20 percent of the land mass. Long fences separate residents from property owned by their ancestors. Air bases crowd civilian neighborhoods. Prime beaches remain under U.S. military control. Thousands of young, aggressive foreign men transform local life—and often not for the good.

Frustrated Okinawans have been asking for relief for years. Anger exploded in 1995 after the rape of a teenage girl and insensitive comments of the U.S. military commander. But nothing changed, despite large demonstrations. Okinawans faced a hostile partnership between the American and Japanese governments.

The U.S. military likes Okinawa because of its central location. Nor does the Pentagon want to pay to relocate the Marine Expeditionary Force. Inconvenience for Okinawans is not a concern in Washington, other than the extent to which it complicates the U.S.-Japan relationship. Gen. Burton Field, commander of U.S. forces in Japan, dismissed the “resistance in Okinawa” with the observation that “the sooner we are able to build a better place for the Marines to operate, the sooner we will put some of this animosity behind us.”

However, the real author of the Okinawans’ distress is Tokyo. The U.S. government negotiates with the national Japanese authorities, not the Okinawan prefectural government. From Washington’s perspective, responsibility to accommodate local preferences lies with Tokyo, not the U.S.

But the Japanese government also favors concentrating bases in Okinawa because of its location—its distance from the rest of Japan. Roughly three-fourths (by area) of U.S. military facilities, with half of American military personnel are located in Japan’s most distant and poorest prefecture, making up just .6 percent of the nation’s territory. Although nearly six of ten Japanese is critical of the resulting burden on Okinawa, none of them wants another U.S. base near their neighborhood.

Proposals abound for tinkering with the American presence. In 2006 after a decade of negotiation the Japanese government agreed to pay to help move some Marines to Guam and relocate Futenma airbase to less populous Henoko elsewhere on the island. The initiative was designed to satisfy no one: inconvenient to the U.S., expensive to Japan, and unhelpful to Okinawa. In Japan’s 2009 election the opposition Democratic Party of Japan opposed the proposal. After taking office, DPJ Prime Minister Hatoyama declared: “It must never happen that we accept the existing plan.”

The new government’s intentions were good, but it did not expect the Obama administration’s unyielding refusal to reset Washington’s military relationship with one of its closest allies. The DPJ had spoken of creating a more equal partnership, but that is not how America conducts alliances. Nor were Japanese policymakers—and people—ready to challenge the relationship. The first DPJ government collapsed under U.S. pressure.

Yet the Futenma plan appears to be no more viable than the Hatoyama premiership. The Government Accountability Office figures that relocating the Marines to Guam likely will cost more than $29 billion, nearly triple the initial estimate. Congress cut all money for the project this year. Senators Carl Levin (D-Mich.), John McCain (R-Ariz.), and Jim Webb (D-Va.) called the proposal “unrealistic, unworkable and unaffordable.”

Japan also slashed 2012 financial support for the move. Tokyo is inclined to simply kick the can down the road, so to speak. Doing so “worked” after the 1995 rape; protests eventually died down. Large demonstrations erupted again in 2010 but then ebbed.

Japanese leaders hope that doing nothing will work again, at least in the short-term, since Okinawans still have little clout in Tokyo. Prime Minister Naoto Kan last year told island residents that “We have reviewed [moving operations out of Okinawa] from every angle, however, and the current situation would not allow it.” For years Tokyo has attempted to simultaneously bribe and browbeat local residents into submission.

Civil disobedience is a potential game-changer. In May 2010 17,000 Okinawans created a human chain surrounding Futenma. More recently roughly 200 demonstrators delayed delivery of an environmental impact report on a new runway from the defense ministry to the prefectural government. Using force against protestors would threaten a future Japanese government’s survival and embarrass Washington.

Rather than resist Okinawan demands, the U.S. should voluntarily reduce its military presence on the island. Jeffrey Hornung of the Asia-Pacific Center for Security Studies observed: “Given how much problems this is causing in Okinawa, it’s finally time to rethink things.”

But American military facilities are a symptom, not a cause. The bases exist to support the defense of Japan. The MEF also is available for deployment elsewhere, most obviously in a war on the Korean Peninsula.

It is unreasonable to expect Washington to defend Japan without bases in Japan. But the U.S. should end its security guarantee and then remove, rather than relocate, its military facilities in Okinawa and elsewhere in Japan. Indeed, instead of augmenting its forces elsewhere in East Asia, such as in Australia, Washington should withdraw and demobilize troops and close bases throughout the region. World War II ended 67 years ago. America no longer need guarantee the security of its many prosperous and capable allies.

Japan should endorse this step as the only way to escape its status as an American protectorate. Tokyo has essentially relinquished control over its own territory to comply with U.S. demands. Although the Obama administration frustrated the 2009 DPJ campaign pledge to create a more equal security partnership, Japanese citizens will inevitably raise more questions about the bilateral relationship as they debate security issues.

Prof. Kenneth B. Pyle of the University of Washington argued that “the degree of U.S. domination in the relationship has been so extreme that a recalibration of the alliance was bound to happen, but also because autonomy and self-mastery have always been fundamental goals of modern Japan.” Even as Prime Minister Hatoyama was beaten by Washington he looked to the future, observing: “Someday, the time will come when Japan’s peace will have to be ensured by the Japanese people themselves.”

That many Japanese still look to America for their defense is hardly surprising. Relying on a friendly superpower for protection frees domestic resources for other purposes. The alliance also eases Tokyo’s diplomatic burden, which otherwise would include reassuring neighbors still obsessed with Imperial Japan’s military depredations.

More curious is Washington’s determination to keep paying for Japan’s defense. The U.S. government is broke, having run deficits exceeding $1 trillion three years running. Unfunded liabilities for Social Security and Medicare alone exceed $100 trillion. A potpourri of other financial obligations account for another $100 trillion. Yet most U.S. policymakers presume the necessity for a permanent, even enhanced American military presence in East Asia.

There are two different rationales for Washington’s paternalistic role. The first is to contain China. Pointing to the People’s Republic of China, Gen. Field declared: “Most of the countries in this region want to see this remain a secure and stable region.”

Exactly how the Marines help contain Beijing is not clear. As Robert Gates observed, U.S. policymakers would have to have their heads examined to participate in another land war in Asia. If a conflict with China improbably developed, Washington would rely on air and naval units.

Moreover, despite persistent fear-mongering about Beijing, the PRC is in no position, and for many years will not be in position, to harm the U.S. Chinese military spending remains far behind that of America. Beijing is working mightily to deter the U.S. from attacking China, not to attack America.

Japan and its neighbors have greater reason to worry, being closer to and weaker than the PRC. However, it is up to them, not Washington, to assess the risk and respond accordingly. They should take whatever steps they deem necessary to ensure that their region remains “secure and stable,” as Gen. Field put it. Just as China is seeking to deter the U.S., they should seek to deter Beijing.

Japan already has constructed a capable military, called a “Self-Defense Force” to get around a constitutional prohibition originally enacted at the insistence of Washington during the American occupation. But Tokyo has never invested resources commensurate with its capabilities; in fact, the government recently announced that it was reducing SDF outlays. If Japan believes itself to be threatened by China, as well as ever-unpredictable North Korea, then Tokyo should do more.

There also is good reason for Japan to work more closely with like-minded states such as the Republic of Korea. This bilateral relationship, like others involving Tokyo, remains tainted by history. But so long as Washington essentially smothers the region with its security blanket, allied states have little incentive to eschew taking domestic political advantage of nationalistic sentiments and work through historic difficulties. Take away the American guarantee, and other states have a much greater incentive to cooperate.

Indeed, in recent years Beijing has exhibited sharp elbows in its relationship with other states over territorial claims. The response has been to exacerbate regional concerns over Chinese behavior and spark increased military spending, and in particular naval procurement programs. That is far better than expecting Washington to build more ships to deploy to the region.

Some policymakers talk more broadly about promoting regional stability, but it’s hard to imagine a contingency requiring deployment of the Okinawa-based MEF. Manpower-rich South Korea doesn’t need a few thousand Marines if the North invades. Even if “something,” whatever that might be, happened in Fiji, the Solomon Islands, Indonesia, Burma, or Cambodia—among the least stable states in the region—it is hard to imagine why the U.S. would consider intervening with ground troops. Not every geopolitical problem warrants an automatic American military response. Then-Air Force Chief of Staff Gen. Ronald Fogelman admitted that the Marines “serve no military function. They don’t need to be in Okinawa to meet any time line in any war plan.”

The second purpose of the U.S.-Japan alliance is to contain Tokyo—or as Maj. Gen. Henry Stackpole famously but inelegantly put it, to maintain “the cap in the bottle” preventing “a rearmed, resurgent Japan.” It is a claim that even Japanese officials have used on occasion: protect us, since surely you don’t want the Imperial Japanese navy wandering the Pacific again.

But the “stop us before we aggress again” argument has grown thin after decades of peace and democracy. While there are no certainties in life, there is no evidence of resurgent militarism among more than a fanatic few. Deploying even a few peace-keeping troops has proved to be highly controversial for Tokyo. The Japanese should not be treated as if they possess a double dose of original sin.

Moreover, Washington could help ease regional concerns by promoting military transparency and multilateralism. Tokyo should adapt its forces and relationships to defense and deterrence against a superior power. Without a large army, Japan could not occupy anyone even if it wanted to.

But whether Tokyo does more and, if so, precisely what it does, and with whom, should be up to the Japanese people. It is not America’s place to dictate.

Dropping the U.S.-Japan military alliance would not mean abandoning the U.S.-Japan relationship. Economic, family, and cultural ties would remain strong. Moreover, the two countries should cooperate militarily. Shared intelligence, emergency base access, training maneuvers, pre-positioned materiel, and other forms of cooperation would remain appropriate. The U.S. could act as an “off-shore balancer,” ready to aid allied states such as Japan if threatened by a potential hegemon. But Washington no longer would attempt to micro-manage regional disputes of lesser consequence.

Adopting such a stance would be in the interests of the American and Japanese people. And especially in the interest of the Okinawan people. The U.S. should begin transforming its alliance relationships. Now is a good time to do so with Japan.
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This article is available online at:
http://www.forbes.com/sites/dougbandow/2012/01/23/give-okinawa-back-to-the-okinawans/

Tuesday, February 14, 2012

近藤紘子『バンクーバー新報』インタビュー An Interview with Koko Kondo in Vancouver Shinpo

カナダ・バンクーバーの日本語週刊誌『バンクーバー新報』2012年2月9日号に掲載された、近藤紘子さんと、ピース・フィロソフィー・センターへのインタビュー記事を紹介します。転載を許可いただいたバンクーバー新報と、インタビュー、執筆を担当されたライターの三島直美さんに感謝いたします。@PeacePhilosophy

この記事は『バンクーバー新報』オンライン版でも見ることができます(パート1 10,11ページ)。

近藤さんはバンクーバー、ビクトリア、シアトルでの講演の予定を終え、帰途につかれました。彼女のストーリーは、著書『ヒロシマ、60年の記憶』(リヨン社と徳間書店から刊行)でどうぞお読みください。

Tuesday, February 07, 2012

『月刊ふれいざー』2月号 近藤紘子講演報告

1月29日、バンクーバーユニタリアン教会で開催した近藤紘子さん講演のレポートが『月刊ふれいざー』2月号に掲載されました。『ふれいざー』の許可をいただきここに転載します。紘子さん西海岸訪問の最後の公開イベントは2月7日、シアトルのワシントン大学で行います。@PeacePhilosophy


Monday, February 06, 2012

Inspiring, empowering, and heartwarming - Koko Tanimoto Kondo will speak at University of Washington, Seattle, 3:45 PM February 7 近藤紘子シアトル講演(於ワシントン大学 2月7日3時45分)


Koko Tanimoto Kondo at a gathering
in White Rock, BC, February 4

"I have had the privilege to travel with Koko and hear her story twice now and have been truly grateful for the experience. She is an exceptionally strong person for sharing and reliving her powerful story year after year. Anyone who takes part in listening to her story will remember it vividly for the rest of their lives as I know I will. Any hibakusha(atomic-bomb survivor)'s tale is something you will never forget and be privileged to listen to, and I hope you will be as grateful to Koko as I am for sharing it yet again."

-- Tammy Mueller, past participant from the Hiroshima/Nagasaki Study Tour of 2010 from Webster University, St. Louis







"Meeting Koko Kondo provided one of the indelible aspects of the American University peace study trip to Japan. The insights she shared about bomb's affect on her life, and the lives of others, stories about her father and the people of Hiroshima, provided all participants something of rare value. Her wisdom, sense of humor, and optimism were deeply moving. I look forward to seeing her again."
Koko speaks at the University of Victoria, BC, January 31
(A Neil Burton Memorial Lecture)

-- John Chappell, professor of history at Webster University, a participant of the Hiroshima/Nagasaki peace tour of 2011


If you would like to hear Koko's talk, this may be the last chance in North America in a while. She will speak at the University of Washington, Seattle, on February 7. See below for details.

*** Koko will appear in the King-5 News in Seattle between 8:30 and 9:00 AM on February 8. Please tune in! ***

 Living with Hiroshima: My Memories of 66 Years

Koko Tanimoto Kondo

Tuesday February 7, 2012

3:45 – 5:00 PM

Communications Building Room 120

 The University of Washington, Seattle, WA

Sponsored by UW Japan Studies Program and the Peace Philosophy Centre, Vancouver B.C.

For more information contact: japan@uw.edu


One of the remaining survivors of the Hiroshima atomic bombing, Ms. Kondo has spent many years working for peace. She has made it a priority to share her perspective on the effects of the bombing that reverberate through her life and the lives of others and to bring a greater understanding of how we can make a difference in the world. Kondo was an infant and 1.1 km away from the hypocenter of the first atomic bomb dropped on August 6, 1945 in Hiroshima, Japan. Kondo, who miraculously survived the bombing, grew up with victims who came to her father’s church on a daily basis. Seeing the terrible scars on people, and the devastation all around, Koko hoped to meet the ‘bad guys’ who did this to them. Then, that opportunity arrived....



For more information on Koko Tanimoto Kondo, see HERE.

@PeacePhilosophy