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Monday, July 30, 2012

田中利幸書き下ろし論文: 核兵器と原子力発電の犯罪性

広島市立大学平和研究所(HPI)教授、田中利幸氏による書き下ろし論文です。広島、長崎原爆記念日が近づくこの時期、このサイトでも田中氏等が繰り返し論じてきた核兵器と原発の一体性について歴史的背景や現在の政治的状況とともに再度確認し、片方の廃絶は双方の廃絶ならずして成り立たないということを強調したいと思います。下方に関連記事リストもつけてあります。リンク歓迎。転載ご希望の場合はinfo@peacephilosophy へご連絡ください。@PeacePhilosophy 

また、田中氏等が企画する

8.6ヒロシマ平和へのつどい2012
「核・原子力と "生きもの"は共存できない ― ヒロシマから反被曝の思想を! ―」

は8月5日、広島市袋町交流プラザで午後5-8時開催です。くわしくはこちらのリンクをどうぞ。

「核兵器と原子力発電の犯罪性」


田中利幸
広島平和研究所

一 原子力平和利用と核兵器製造能力維持の歴史的経過

二 核抑止力ならびに拡大核抑止力の犯罪性

三 原子力発電の犯罪性

四 結論


 原子力平和利用と核兵器製造能力維持の歴史的経過

南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、米国が行った水爆実験により焼津のマグロ漁船第5福竜丸が被災したその翌日、すなわち1954年3月2日、原子炉建造のため、2億3千5百万円の科学技術振興追加予算が、突然、自由党、分派自由党ならびに改進党の保守3党の共同提案として衆議院に出された。この提案は、ほとんどなんの議論も行われず可決された。このとき、衆議院本会議で小山倉之助(改進党)が行った提案主旨には、次のような説明が含まれている。

「この新兵器[=核兵器]の使用にあたっては、りっぱな訓練を積まなくてはならぬと信ずるのでありますが、政府の態度はこの点においてもはなはだ明白を欠いておるのは、まことに遺憾とするところであります。……新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります。」(強調ならびに[]追加:田中)

1953年末にアメリカが打ち出した「Atoms for Peace」、すなわち「原子力平和利用」の方針に沿って、核兵器開発は一切行わず、電力エネルギー開発だけのための原子力利用を政策として掲げた日本。その日本最初の原子力関連予算の提案趣旨説明で、核兵器製造能力開発と保有の重要性が明確に唱われ、しかもほとんど何の審議も行われずに成立していることは、実に驚くべきことである。

この原子力予算成立を受けて、同年4月23日には、日本学術会議総会において激烈な論議の結果、平和目的の原子力研究においては、「情報の公開、民主的且つ自主的な運営」を行うという3原則の実行を政府に要求することを、科学者たちは決定した。この3原則の採用を政府も最終的には受け入れ、我が国の原子力開発の基本方針として、1955年12月16日に成立した原子力基本法の中に取り入れられた。ところが、その後の日本の実際の原子力開発は、周知のごとく、「情報秘匿、非民主的で米国従属」という全く逆の3原則の下で推進されてきた。

1955年12月26日、日米原子力協定が調印された。翌56年3月1日には日本原子力産業会が発足し、同年6月には特殊法人・日本原子力研究所が茨城県東海村に設置され、8月から試験炉の建設が始められた。日本原子力産業会には電力,ガス、石油、鉄鋼,金属、化学、建設、貿易など様々な分野の企業600社余りが参加した。しかし、中心となった企業は、戦後の連合軍占領期に解体されたはずの旧三井財閥系37社、旧三菱財閥系32社、旧住友系財閥14社の3グループであった。57年11月1日には、9電力会社ならびに電源開発社の共同出資により、日本原子力発電株式会社が設立され、かくして原子力発電商業化へ向けての基礎が作られたのである。その後、上記の旧財閥系企業と電力会社が密接に協力しあい、日本の原発建設をこれまで長年にわたり推進してきた。

1957年5月14日、岸信介首相(外務大臣兼任)は、外務省記者クラブにおいて、潜水艦航行や兵器発射のための動力源としての原子力利用、さらには自衛目的のための核兵器保有は、憲法に抵触しないという意見を明らかにした。その後、このいわゆる「核兵器合憲論」は歴代首相によって継承され、ほぼ日本政府の統一見解となってしまっている。岸信介は、さらに、1958年1月16日に東海村原子力研究所を訪問した際の印象として、「平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる」のであり、「日本は核兵器は持たないが、潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験問題などについて、国際の場における発言力を強めることが出来る」と日記に記している。その後の日本の原子力エネルギー開発は、まさに岸が望んだような道程を歩み、「核兵器製造能力」を開発、維持しながら、現在に至っているのである。

日本が自国の核兵器生産の可能性について本格的な研究を始めたのは、岸信介の実弟、佐藤栄作が首相の座についていた1960年代後半から70年代初期にかけての時期であった。この時期、佐藤首相の指示で、日本の核兵器生産ならびに核兵器運搬手段(=ロケット技術)に関する技術的評価や政治的評価に関する複数の研究・検討が、内閣、外務省、防衛庁、海上自衛隊幹部などによって、半ば公式に、半ば私的形式で精力的に行われた。かくして、佐藤政権は、核保有問題を、岸政権以来の法律論・抽象的議論から、実際の製造可能プロセスの研究というレベルへと押し進めた。ちなみに、アメリカ政府はCIAの調査報告で、日本がこうした研究を進めている情報をはっきりと把握していた。

この核兵器製造潜在能力に関する本格的な研究は、アメリカとの沖縄返還交渉が進められる中で、同時並行的に行われた。沖縄返還にあたっては、当時の国民の圧倒的な反核意識の故に「核抜き本土並み」を基本方針とせざるをえず、したがって、沖縄返還問題との関連で、佐藤政権は、非核三原則(核兵器は作らない、持たない、持ち込まない)、日米安保条約の下での米国核抑止力依存、核軍縮政策の推進、核エネルギー平和利用、という「核政策4本柱」を公的政策として表明した。

「非核三原則」は単に日本国民感情に配慮して導入されただけではなく、核兵器製造潜在能力は十分持っていながらも、当分は核武装を行わないことをアメリカ政府に対して保証してみせ、それと引き換えに沖縄の「核抜き返還」を承諾させるための「外交カード」としての役割も担わされていたのである。さらに、佐藤政権の核武装化断念には、それとの引き換えに、日本に対する米国の核の傘=拡大核抑止力を保証させるという意図も含まれていた。ところが、アメリカ側は、日本の核武装化は絶対に許さず、沖縄返還の条件として、あくまでも「有事核持込み」を要求したため、「非核三原則」という公約上、佐藤政権側はこのアメリカの要求を「裏取引」というかたちで飲み込んだのであった。そのため「非核三原則」は最初から実体のない虚偽の公約となり、その結果、「核軍縮政策の推進」というもう一つの「核政策の柱」が、これまた形骸化してしまったのも当然であった。

日本の核兵器製造能力開発研究は、単なる「机上の計画」ではなかった。日本政府は、1967年3月、最終的に核兵器用の高純度プルトニウム製造を目的とするプロジェクトとして動力炉・核燃料開発事業団(動燃)を科学技術庁傘下に設置した。このプロジェクトは、原発における使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再び燃料として利用することで、無限のエネルギー源が得られるという「夢のプロジェクト」として国民には説明された。一方で、このように再処理工場と高速増殖炉の技術開発を目指しながら、同時に、通信衛星や監視衛星を打ち上げ、さらには核兵器運搬手段ともなるロケットの技術開発を国家戦略の下に統合するため、1969年6月には、宇宙開発事業団を同じく科学技術庁傘下に設置した。

1973年10月、第4次中東戦争が勃発し、その影響で石油価格が急騰するという、いわゆる「オイルショック」による打撃を日本経済は被った。これが日本のエネルギー政策に大きな転換をもたらし、原子力エネルギーの拡大を急激に押し進めた。1974年6月には、田中角栄内閣の下で、日本全国で急速な原発増設を図るため、いわゆる電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺施設整備法)を成立させた。この新しい法令によって、発電量に応じて発電事業者に課税し、その課税徴収分を、発電所を受け入れた自治体へ地方交付金として配付するという制度が導入された。原発立地促進のため、原子力発電交付金は火力水力発電より倍以上交付金が支給されるというシステムとされた。その結果、これ以降、原発建設は急速に拡大し、1975年には、日本の原子力発電量は一挙に10基530万kWにまで拡大され、米英露に次ぐ原発大国となった。1985年には原発の数は33基、90年には40基にまで増加した。

この原発建設増加は、同時に、電源三法交付金の配付と使途をめぐる政治腐敗と汚職を全国規模で蔓延させた。とりわけ原発立地となった町村では伝統的な共同社会が崩壊し、漁業や農業などの健全な地場産業が立ち行かなくなり、経済生活は原発に全面的に依拠しなければならないという、甚だしく歪んだ社会構造を産み出す結果となった。

1979年のスリーマイル島原発事故や1986年のチェルノブイリ原発事故の後も、日本の原子力安全委員会や電力会社をはじめとする原発産業界は、高度で安全な原子力技術を持つ我国では、このような事故は起こりえないと主張し、多額の資金を使い、様々なメディアを利用して「安全神話」を国民に信じ込ませた。国内でも、1995年12月の高速増殖炉「もんじゅ」ナトリム漏洩事故や99年9月のJCO核燃料加工施設臨界事故、2007年7月新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発事故といった重大な事故の上に、多くの事故を各地で起こしてきたが、しばしば事故を報告しなかったり、情報を開示しないというごまかしを続けてきた。政府関係省庁、電力会社、原子力産業界のこうした自己過信と自己欺瞞が、最終的には2011年3月の福島第1原発における大事故を引きおこす大きな要因の一つとなったことは、あらためて詳しく説明する必要はないであろう。
一方、核兵器製造能力の開発と維持の面でも、日本政府は「日本経済の存続にとっての原子力エネルギー利用の絶対的な必要性」を声高く唱えることで、その意図を隠蔽し、国民を欺く政策を取り続けてきたし、現在も取り続けている。茨城県大洗の「常陽」や福井県敦賀に建てられた「もんじゅ」、さらに青森県六ヶ所の再処理工場は、核兵器に使われる高純度プルトニウムを抽出する特殊再処理工場であり、これらの施設は、すでに述べたように、「無限のエネルギー源開拓プロジェクト」という夢を駆り立てることで推進されてきた。かくして、日本の「プルトニウム開発」は核兵器製造目的のものではなく、あくまでも「エネルギー政策の一環」であることを、自国民のみならず、海外に向けても日本政府は広く宣伝してきたのである。

すでに説明したように、アメリカは1970年代末までは、日本の核武装化を許すような政策は取らなかった。ところが、日本が高純度プルトニウムを生産する増殖炉技術をアメリカから入手する機会は、レーガン政権下の1980年代末とブッシュ政権下の90年代初期の間にやってきた。発電をしながら使用済み核燃料を高純度のプルトニウムに転換するという増殖炉計画は、当時、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスが試みたが、どの国もその技術を実験段階から商業用にまで高めることはできなかった。アメリカはこの計画が資金的にも技術的にも頓挫したとき、それまでほぼ30年にわたって核兵器用プルトニウムを生産してきた自国の軍事技術を日本に移転することで、この計画の継続をはかったのである。もちろん、アメリカは、そうした技術移転で、日本が大量の核兵器用プルトニウムを蓄積するであろうことは十分に承知していた。事実、現在、日本のプルトニウム保有量は45トンという大量なものとなっている。NPT加盟の非核兵器保有国の中で、高純度プルトニウム製造施設とこれほどまでのプルトニウム保有量を持っている国は日本だけである。

それを承知の上で、レーガン・ブッシュ政権は、なぜゆえにそのような技術移転を、1978年にカーター政権が核物質拡散防止目的で設置した原子力エネルギー法に違反してまで行ったのであろうか。いくつかの政治的・軍事戦略的な理由が推測できるが、最も説得的と思われるのが、当時の米ソ関係悪化と中国の核戦力の急速な強化という要因であろう。とくに中国の核戦力増強が問題であり、日本が中国の核攻撃を受け、アメリカが安保条約に基づき核兵器で日本を防衛する軍事行動に出れば、アメリカ本土が核攻撃の目標となってしまうであろう。こうした最も危険な核戦争の状況を避けるためには、日本がいつでも核武装できるような状態にしておくことがアメリカにとっては有利である、とアメリカ政府は考えたのではなかろうか。しかも、この政策が、その後も現在のオバマ政権まで継承されてきていると思われる。

しかし、周知の通り、「もんじゅ」は1995年12月にナトリウム漏れ事故を起こし、「常陽」は2007年に燃料交換機能に障害が発生して、両方とも運転中止に追い込まれた。さらに、1993年から建設が進められてきた六ヶ所再処理工場も、2011年2月までに約2兆2千億円という膨大な費用を投入したにもかかわらず、試運転の段階で次々と問題を起こし、現在も全く見通しがたたない状態で、「夢のプロジェクト」は全て頓挫してしまった。「もんじゅ」には2011年11月までに、1兆810億円以上が投入され、「核燃料サイクル」事業全体では、日本はこれまでにほぼ10兆円という膨大な予算を使ってきた。その上、福島第1原発事故では、ウランとプルトニウムを混合したMOX燃料を使う3号機が爆破し、大量の高レベル放射能を放出したにもかかわらず、日本政府はそれでも「核燃料サイクル事業」を根本的に見直そうとはしていない。

日本政府が今後も引き続き核兵器製造能力を高め維持する政策を取り続けるつもりであることは、今年6月20日に成立した「原子力規制委員会設置法」、ならびに、それに伴う原子力基本法改定の内容から明らかである。この「原子力規制委員会設置法」の法案は、政府が国会に提出していた「原子力規制庁設置関連法案」に対立して自民・公明両党が提出していたものである。とろが、6月15日に突然、政府案が取り下げられて、自民・公明両党に民主党も参加した3党案として、衆議院に提出された。新聞報道によれば、265ページに及ぶこの法案を、みんなの党が受け取ったのは、当日の午前10時であり、質問を考える時間も与えられなかったといわれている。法案は即日可決され、直ちに参議院に送られて、この日のうちに趣旨説明が行われ、20日には原案通り可決された。これによって、原子力を平和目的に限定するとしてきた原子力基本法に、「わが国の安全保障に資する」という条文が加えられた。「安全保障」とは言うまでもなく、「軍事利用」を指す。これは、日本が核兵器製造能力の開発・維持ひいては保有の可能性と意図を、これまでは暗示的に国内外に示してきたが、これによって明示するという、大きな政策転換を行ったことを意味している。

かくして、平和憲法がこの66年でなし崩し的に空洞化されてきたと同様に、史上初の原爆被害国の日本の「核軍縮」政策も、「原子力平和利用」政策導入以来、なし崩し的に形骸化されてきたことは、これまでの経緯を見てみれば明らかである。

このように、アメリカやその他の核兵器保有国と同様に、日本でも、原子力エネルギー開発、すなわち、いわゆる「核の平和利用」と、核兵器製造能力開発は、決して分離したものとしてではなく、最初から一体化したものとして開始され推進されてきたのである。ところが、これとは対照的に、市民の側では、反核兵器運動と反原発運動は最初から分裂した市民運動として別個に進められ、統一した国民的運動として展開されないままの状態が続いてきた。権力側からすれば、きわめて都合の良い状況が保たれてきたわけである。

二 核抑止力ならびに拡大核抑止力の犯罪性

上記「原子力規制委員会設置法」の法案作成の中心人物は、塩崎恭久衆議院議員で、彼は「核の技術を持っているという安全保障上の意味はある。日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない」と述べたと伝えられている。すなわち、核兵器を実際に保有していなくとも、核兵器製造技術を保有しているだけで「核抑止力」になるというのが、その主張の主旨である。自民党石破茂政調会長元防衛相もまた、昨年からしばしば、原発を維持すること核兵器を作ろと思えば一定期間ちに作れるとい潜在的抑止力になっている」と発言している。つまり、「原発停止は、すなわち核抑止力停止」を意味すると主張し、福島原発事故以来、全国で高まっている脱原発運動に対して批判の声をあげている。

日本の為政者は戦後一貫してアメリカの「核の傘」、すなわち核抑止力に依存する「拡大核抑止政策」を国是としてきたし、すでに見たように、自国の核兵器製造能力の開発・維持を陰に陽に国外に示すことで「核の潜在的抑止力」を働かせていると考えてきた。日本の政治家ならびに官僚の中には、こうした「拡大核抑止力」や「潜在的核抑止力」の支持者が多数いるのが現状である。

原爆被害国として核兵器の残虐性と長年にわたる被爆者の苦痛を目にしてきた日本人の中に、意識的にせよ無意識的にせよ、「核兵器の使用」が犯罪行為であるという認識は広く共有されている。無数の市民を無差別に殺戮し、放射能による激しい苦痛をもたらす核兵器の使用が、国際刑事裁判所ローマ規程・第7条「人道に対する罪」(とくに(a)殺人、(b)殲滅、(c)住民の強制移送、(k) 意図的に著しい苦痛を与え身体もしくは心身の健康に重大な害をもたらす同様性質をもつそ非人間的な行為)、ならびに第8条「戦争犯罪」(とくに文民ならびに民用物、財産への攻撃)であるという認識は、国際的にも共有されている。同時に、核兵器の使用はジェノサイド条約(1948年国連採択の「集団抹殺犯罪防止及び処罰に関する条約」)に違反する行為であるという判断も、専門家の間では強く支持されている。

ところが、「核抑止力」の保持は、実際に核兵器を使う行為ではないことから、犯罪行為ではなく、政策ないしは軍事戦略の一つであるという誤った判断が一般的になっていると言ってよい。実際には、「核抑止力」は、明らかにニュルンベルグ憲章・第6条「戦争犯罪」(a)「平和に対する罪」に当たる重大な犯罪行為である。「平和に対する罪」とは、「侵略戦争あるいは国際条約協定誓約に違反する戦争計画準備開始あるいは遂行またこれら各行為いずれか達成を目的とする共通計画あるいは共同謀議へ関与」(強調:田中)と定義されている。「核抑止力」とは、核兵器を準備、保有することで、状況しだいによってはその核兵器を使ってある特定の国家ないし集団を攻撃し、多数の人間を無差別に殺傷することで、「戦争犯罪」や「人道に対する罪」を犯すという犯罪行為の計画と準備を行っているということ。さらに、そうした計画や準備を行っているという事実を、常時、明示して威嚇行為を行っていることである。核兵器の設計、研究、実験、生産、製造、制作、輸送、配備、導入、保存、備蓄、販売、購入なども、明らかに「国際条約協定誓約に違反する戦争の計画と準備」である。したがって、「核抑止力」保持は「平和に対する罪」であると同時に、「核抑止力」による威嚇は、国連憲章・第2条・第4項「武力による威嚇」の禁止にも明らかに違反している。1996年の国際司法裁判所ICJの『核兵器の威嚇・使用の合法性に関する勧告的意見』も、その第47項において、「想定される武力の使用それ自体が違法ならば、明示されたそれを使用する用意は、国連憲章・第2条・第4項で禁じられた威嚇である」と明記している。

核兵器の使用は大量殺戮と広域にわたる環境破壊、最悪の場合は人類破滅という結果をもたらす徹底的で且つ極端な破壊行為であることから、その実際の使用行為と準備・保有による威嚇行為は、性質上二つの異なった行為ではなく、一体のものと考えるべきである。CG・ウィーラマントリー判事は、上記ICJの勧告的意見に関連して出した個別意見の中で、核兵器を使用しての「自分の敵の徹底的な破壊あるいはその完全な消滅をもたらすであろう損害あるいは荒廃を起こす意図は、明らかに戦争の目的を超えている」と述べて、「核抑止力」の不条理性を強く批難している。すなわち核兵器保有それ自体が、極端な威嚇行為、すなわちテロリズム行為であり、したがって「核抑止力」を使う人間は「テロリスト」であると認識されなければならない。国家が「核抑止力」を使うということは、それゆえ「国家テロ」行為であり、その国家の元首をはじめとする為政者ならびに軍指導者たちは明らかに「テロリスト」なのであり、「平和に対する罪」を犯している「犯罪者」なのである。

核兵器を実際にはいまだ保有していなくとも、核兵器製造能力を十分持っており、いつでも製造する「計画と準備」があるということを明示すること自体が、「人道に対する罪」や「戦争犯罪」を犯す「計画と準備」を行っていることと同義であることから、石破茂や塩崎恭久が示唆する「潜在的核抑止力」もまた「平和に対する罪」と定義しうる行為である。同時に、アメリカの「核の傘」に依存する「拡大核抑止力」とは、「人道に対する罪」や「戦争犯罪」を犯す「共通計画あるいは共同謀議へ関与」、つまり「共犯行為」であるところから、これまた明らかに「平和に対する罪」と定義されなくてはならない。

したがって、これまで日本政府が長年依存してきた安保同盟の下での「拡大核抑止力」も、核兵器製造能力の開発・維持、すなわち「潜在的核抑止力」も、いずれも国際法に違反する明確な犯罪行為であることを我々は強調する必要がある。
では、「自衛のための核兵器使用は合法的行為」であるという主張に正当性はあるだろうか。「自衛」とはいったいどのような行為を指すのか、その定義はひじょうに難しい。武力紛争や戦争は、しばしば「自衛」という口実で開始されることからも分かるように、「自衛」は極めて恣意的な概念である。例えば、ナチスは「予防的自衛」と称して侵略戦争を正当化した。米軍によるアフガン攻撃やイラク攻撃すら「自衛戦争」であるとブッシュ政権は主張した。「自衛戦争」は、自国をどうしても防衛しなければならないという必要に迫られて行う戦闘行為であり、その際使われる軍事力は、攻撃してくる敵の軍事力と格差がありすぎてはならず、ある程度の均衡性を保つようなものでなくてはならない、というのが一般的な認識である。自衛する側の戦力が敵の軍事力よりはるかに強大であったり、逆に極めて弱小であれば、戦闘の内容自体が「自衛」という性格をもたなくなってしまうからである。すなわち、「自衛戦争」では、「必要性」と「均衡性」という2つの要素が重要視される。大量破壊兵器である核兵器が、この「必要性」と「均衡性」という要素の条件を満たすような性格の兵器でないことは明らかである。

しかも、核兵器の持つ特殊な破壊力と性質上、「人道に対する罪」や「戦争犯罪」を犯さずに核兵器を使用することは現実的に不可能であるところから、「合法な自衛戦争」においてもこれを使用することはできない。また、どのような理由があるにせよ、一旦、小型のものであれ核兵器が使用されれば、大型核兵器の全面的な使用へと急速にエスカレートしていく危険性があることも明らかである。よって、「自衛のための核兵器使用」ということは、法理論的にも現実的にも許されないことであり、したがって、「核兵器合憲論」は、憲法自体のみならず、国際法の観点からしても、論理的に不整合であり且つはなはだ不条理である。同時に、原発(とりわけ高速増殖炉)と核燃料再処理工場の存在そのものが「潜在的核抑止力」と一体となっていることを考えると、これらのいわゆる核エネルギー関連施設の存在は、憲法第9条の「武力による威嚇又は武力行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」という条文に違反するものであると言える。すなわち、「核抑止力」は「平和に対する罪」であると同時に、憲法第9条にも明らかに違反する犯罪行為である。


三 原子力発電の犯罪性

原子力発電事故による最も深刻な被害は、放射能被曝による死亡または多種にわたる癌や白血病などの発病、さらには被曝の恐怖が原因の精神的疾患である。原爆攻撃の被害者、核実験場、核兵器製造工場、ウラン採掘場ならびにその近辺地域で被曝した人たちと同様、原発事故によって放出された放射能による外部・内部両被曝が、後発性の癌や白血病、心臓病などの内臓疾患、眼病など、様々な病気を引き起こすことは、チェルノブイリ事故の被災者、とくに幼児の発病ケースが多いことからも明らかである。

原発事故の場合、核兵器攻撃とは異なり、瞬時にして無数の人間が無差別に殺傷されるといったケースは少ないかもしれないが、事故後、何年にもわたり、時には後世代にまでわたり、放射能被曝は被災者の健康を蝕み、様々な病気を発病させ、最終的には死をもたらす。チェルノブイリや福島での原発事故からも明らかなように、放出された放射能は、原発から数十キロから数百キロ圏内に至るまで降り注ぎ、そのような広い地域に居住する多くの住民が無差別に被曝を余儀なくさせられる。さらには、残留放射能レベルが高い原発近隣地域やいわゆるホット・スポット地域の住民は、故郷を失い、移住を余儀なくされる。すなわち、原発事故は、長期にわたる大量無差別殺傷、すなわち「殺人」、「殲滅」の他に、「住民の強制移送」を引き起こし、「身心両面の健康に重大な害をもたらす非人間的な行為」であることから、核兵器の使用と同様に、「人道に対する罪」であると判断できる。

これまで、「人道に対する罪」は、紛争時あるいは戦時にのみ犯される残虐な戦争犯罪の一種と一般的には考えられてきた傾向がある。しかし「人道に対する罪」とは、「戦前、戦中における、一般人民に対しての殺害・殲滅・奴隷的扱い・強制移動などの非人道的行為と、政治的・人種的・宗教的理由による迫」と定義されており、「戦前」、すなわち平時おいても起こりうる犯罪であるということを忘れてはならない。しかも、地震や津波によって引き起こされる過酷事故の場合には、必然的に無数の市民を放射能被曝の被害者にするということを明確に知りながら原発や放射能関連施設を稼働することは、「人道に対する罪」を予防しようとする意志が完全に欠落していることを表明している。したがって、原発の建設・設置そのものが、犯罪行為と称せるのではなかろうか。いわんや、地震が起きれば大事故を引き起こすような活断層の存在する地域に原発を建設することは、犯罪行為と言えるのではないか。

本来ならば、無数の人間の生存権を一瞬にして左右するような可能性をたとえわずかながらでも持っている、そのような壊滅的な危険性を孕んだ設備を建設し運転する権限が、政府や一企業に与えられているという、そのこと自体の不条理性と反倫理性が問題にされるべきなのである。その意味で原発は、火力発電や水力発電とは全く性質が異なるものであり、決して同じレベルで議論されてはならないものである。原発と同じレベルで、しかも統合的に議論されるべきものは、核兵器なのである。

原発事故によって放出される放射能は、人間の健康を冒すのみならず、広範囲にわたって環境そのものを汚染することは改めて詳しく説明するまでもないであろう。住宅地、農地、森林、植物、河川水、海水と、これまた無差別に全ての環境を汚染し、その結果、その地域に生息する家畜はもちろん、あらゆる種類の生物を無差別且つ大量に殺傷する。したがって、これは「環境に対する犯罪行為」とも称せる行為であり、1972年6月16日に国連で採択された「人間環境宣言」に明らかに違反する。

「人間環境宣言」は、その前文において、「自然の環境と人が創り出した環境は、ともに人間の福利および基本的人権ひいては生存権そのものの享有にとって不可欠で」あり、「現在および将来の世代のために人間環境を守りかつ改善することは、人類にとって至上の目標」であると述べ、環境汚染は基本的人権ならびに生存権の侵害であることを示唆している。この宣言の第1原則「環境に関する権利と責任」では、「人は、その生活において尊厳と福利を保つことができる環境で、自由、平等および十分な生活水準を享受するとともに、現在および将来の世代のため環境を保護し改善する厳粛な責任を負う」と謳われている。福島原発事故の被災者たちは、日常生活において「尊厳と福利」を奪われ、不自由で差別された生活環境の中で暮らすことを強要され、「将来の世代のため環境を保護し改善」できるような社会条件を著しく奪われているのが実情である。

したがって、原発事故による環境汚染は、核兵器の使用と同様、1948年12月10日に国連で採択された「世界人権宣言」、とりわけ、第3条「生命、自由、身体の安全」と第13条「移動と居住の自由」の2つに対する権利を剥奪する違法行為である。それは同時にまた、日本国憲法で保障された人権、すなわち13条(生命権、幸福追求権、環境権)、22条(居住・移動の権利)、29条(財産権)、25条(生存権)、26条(教育を受ける権利)、27条(働く権利)、11条ならびに97条(将来世代国民の権利)を剥奪するものでもある。さらにそれは、憲法前文で謳われ保障されている「平和的生存権」をも侵すものである。

「人間環境宣言」第3原則「再生可能な資源」では、「再生可能な重要な資源を生み出す地球の能力を維持し、可能な限り回復または改善しなければならない」とされており、第4原則では「野生生物とその生息地は……人はこれを保護し、賢明に管理する特別な責任を負う」とも謳われている。第6原則「有害物質の排出規制」によれば、「環境の能力を超えるような量または濃度の有害物質その他の物質の排出および熱の放出は、停止しなければならない」し、第7原則「海洋汚染の防止」では「人間の健康に危険をもたらし、生物資源と海洋生物に害を与え……海洋の正当な利用を妨げるおそれのある物質による海洋の汚染を防止するため、すべての可能な措置をとらなければならない」とされている。ところが、現在、日本政府が推進している「ガレキの全国拡散」は、これらの原則全てに違反する政策であり、東電は高レベル放射能で汚染された排水をたびたび海に放出して、激しい海洋汚染を続けている。

環境問題に関する他の国際宣言としては、リオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議」で、1992年6月14日に採択された「環境と開発に関するリオ宣言」がある。この宣言も、第1原則「人の権利」の中で、「人は、自然と調和しつつ、健康で生産的な生活を営む権利」を有していることをはっきりと謳っている。リオ宣言の中で、福島原発事故との関連で注目すべき原則は、第20原則「女性の役割」である。第20原則では「女性は、環境の管理と開発において重要な役割を有する。そのため、女性の全面的な参加が持続可能な開発の達成に不可欠である」と謳われているが、日本の原発安全委員会の5人の現委員のうち女性は1人だけであり、原発担当大臣、環境大臣、環境副大臣は全て男性である。環境省や通産省で原発問題を担当している官僚たちもほとんどが男性であり、「女性の全面的参加」からはほど遠い、恥ずべき状況となっている。


四 結論

ウラン採掘・加工を出発点とする核兵器(DU兵器を含む様々な種類の核兵器製造、核実験、核兵器輸送)ならびにその応用である原子力産業(原発稼働、核廃棄物、核燃料再処理など)では、核兵器の使用や原発事故ではもちろん、そのあらゆる工程で多量の放射能を放出している。被爆者にして哲学者でもあり、反核運動のリーダーであった森瀧市朗の晩年の言葉、「核と人類は共存できない」が、福島原発事故以後しばしば口にされるようになった。しかし、広島・長崎への原爆投下やチェルノブイリ・福島での原発事故からも明らかなように、放射能は、人間のみならず、動植物を含む海陸の生きものを無差別に且つ大量に殺傷する。20世紀半ばから始まった「核の時代」は、かくして、人類を含むあらゆる「生きもの」、すなわち様々な生命体を犠牲にして築き上げられてきた、いわば「殺戮の政治・経済・社会・文化体制」であると言える。このような体制の確立と維持に努力または協力してきた人間の行為は、あらゆる「生きもの」の「生存権の否定」という行為であり、人類とすべての生物と地球を絶滅の危険に曝すことを厭わなかった明確な「犯罪行為」であったし、現在も多くの人間が、そうした犯罪行為に深く関わっているのが実情である。

我々には、現在、そのような世界を根本から変革するために貢献していくことが要求されている。そのためには森瀧の「核と人類は共存できない」という思想は、兵器であれエネルギーという形であれ「核と<生きもの>は共存できない」というものにまで深められ且つ広げられていく必要がある。つまり、我々にいま要求されていることは、総体的且つ長期的に観れば、単なる人間としての「世直し」の倫理的行動ではなく、あらゆる生命体を守るための「生きもの」としての倫理的行動である。このような根本的な視点に立って、日本がこれまで進めてきた「核エネルギー=核兵器製造技術」開発政策の本質にもう一度注意深く目を向けてみると同時に、我々市民運動のあり方自体を、「人間の犯罪行為に対する責任」という観点から再検討してみる必要があるのではないだろうか。

— 完 —

このサイトの参考記事リンク

このサイトの田中利幸氏の記事へのリンク

田中利幸: 2012年世界の核情勢-アメリカの核政策を中心に-

ジョセフ・トレント: アメリカは法の抜け道を使って日本が何トンものプルトニウムを蓄積することを助けた

櫻井春彦「日本の原子力村はアメリカが全面核戦争の準備を進める過程で作り上げられた」

Tuesday, July 24, 2012

米軍事基地帝国の今:水草のように歯止めなく世界中に増殖している小規模軍事基地「リリー・パッド」(デイヴィッド・ヴァイン、アメリカン大学)David Vine: The Lily Pad Strategy (from TomDispatch - Japanese Translation)

David Vine 氏の著書
主流メディアに抗し、先進的な記事で問題提起を続け、米国の代替メディアの代表格の一つとなった『トムディスパッチ』に7月15日掲載された、アメリカン大学で教鞭を取る人類学者デイヴィッド・ヴァイン氏の記事『リリーパッド戦略』は日米安保、在日米軍基地問題を世界的視野で捉えるために必読の記事であると思い、ここに田中泉氏の翻訳により紹介します。(原文は『トムディスパッチ』の編集人、トム・エンゲルハート氏の紹介文「デイヴィッド・ヴァイン-米国軍事基地帝国は拡大している」で始まっています。下記リンク参照)このヴァイン氏は、全世界の米軍基地を現地調査しており、著書に『恥辱の島ディエゴ・ガルシア米軍基地の秘められた歴史』(プリンストン大学出版、2009年)があります。2010年12月にはアメリカン大学の学生たちを引率して沖縄にも来ました。その旅の準備として訪ねた国務省でブリーフィングをしたケヴィン・メア日本部長の沖縄差別発言が2011年3月に報道され激しい批判を浴びたことはまだ記憶に新しいのではないかと思います。@PeacePhilosophy

Tomgram: David Vine, U.S. Empire of Bases Grows
The Lily-Pad Strategy
How the Pentagon Is Quietly Transforming Its Overseas Base Empire and Creating a Dangerous New Way of War
http://www.tomdispatch.com/archive/175568/


―リリー・パッド戦略―

国防省がひっそりと海外基地帝国を変容させ、
戦争の危険な新戦略を編み出す手法

デイヴィッド・ヴァイン
田中泉訳



翻訳のPDF版はこちらから


先月、暗い灰色をした米空軍C-17輸送機の内部に足を踏み入れた私が最初に目にしたのは、ぽっかり空いた光景だった―何かが欠けていたのだ。正確には左腕が欠けていた。肩のところからもげていて、そこは応急処置として絆創膏で覆われていた。分厚くて青ざめた肉の先端にはところどころ鮮血が散っていた。さばかれた食肉のようだった。顔と遺体の残りの部分は、毛布、キルト製の米国旗、包帯、テープ、ワイヤー、点滴装置、医療用モニターで覆い隠されていた。

その男性と、重傷を負ったもう2人の兵士―1人は2本の足があった場所に足の切れ残りがあり、もう1人は太ももから下がなかった―は、体中に管を挿し込まれていて、意識もなく輸送機の壁にくくりつけられた担架に横たわっていた。ドイツのラムスタイン空軍基地に着陸したばかりだった。兵士の残った腕の刺青には「不名誉より死を」とあった。

彼らのような犠牲者をどのくらい見かけるのか、空軍医療班のメンバーに尋ねてみた。するとこの便もそうだったが、多くの兵士がアフガニスタンから運ばれてくるということだった。「アフリカの角(訳注:アフリカ大陸東端のソマリア全域とエチオピアの一部などを占める半島。Horn of Africa)からもいっぱい来る」とも。「メディアでは報じられていないがね」

「アフリカのどこから?」と私は聞いた。詳しいことは知らないが一般的には「角」からが多く、しばしば瀕死の重傷を負っているとのことだった。アフリカにおける主要な米軍基地であるキャンプ・ルモニエを指して「ジブチから大勢だ」と彼はつけ加えながら、同地域の「他のいろいろな場所」からも来ると言っていた。

約20年前、ソマリアの「ブラック・ホーク・ダウン」事件(*)で死者を出して以降、アフリカにおける米軍の犠牲者について我々はほとんど何も耳にしてこなかった(例外として先週、マリでの謎の自動車事故で、特別作戦部隊のメンバー3人が、米軍情報筋により“モロッコ人娼婦”と身元を判定された女性3人と共に殺された事件について、奇妙な報告書が出ていた)。アフリカからラムスタイン空軍基地に到着する患者数の増加は、21世紀の米軍の戦略が大きく変容していることを示している。

これらの犠牲者たちは、アフガニスタンやイラクとはかなり離れた場所からの負傷兵の数が増大していく、その先陣となる可能性が高い。キャンプ・ルモニエのような、比較的小さな基地の使用が増えているからである。米軍の戦略立案者たちはキャンプ・ルモニエを未来の米軍基地のモデルと考えている。ある学者の説明によれば「米国が過去に軍事的プレゼンスを維持したことのない諸地域に散らばっている」基地である。

ラムスタイン基地は米国の1つの町ぐらいの大きさのある怪物のような基地で、数万人の米国人で埋まり、PXやピザ・ハットなど本国の快適な設備が揃っている。ここが米軍基地の代表格だった時代は終わりつつある。しかし、国防総省が荷をたたみ、世界における任務を縮小させて帰国するなどとは一瞬たりとも思ってはいけない。実際、近年のできごとを元に考えるとその逆が正しいかもしれない。冷戦期に作られた世界中の巨大基地コレクションが縮小される一方、海外基地のグローバルなインフラは、そのサイズも範囲も著しく拡大されている。

ほとんどの米国人は知らないが、米国政府による地球の要塞化は着々と進んでいる。それは米軍が「リリー・パッド=蓮の葉」(池の蛙がそこから獲物に向かって飛ぶイメージ)と呼んでいる、新世代の基地のおかげである。小さくて、秘密主義で、外からアクセスできない施設だ。その駐留兵の数は限定的で、設備等も質素で、武器や弾薬などが実戦配備されている。

ジブチからホンジュラスのジャングル、モーリタニアの砂漠からオーストラリアの小さなココス諸島に至るまで、国防総省は世界中でできるだけ多くの「リリー・パッド」を、できるだけ多くの国で、できるだけ速く作ることを追い求めている。そのような基地にはたいてい秘密主義の性質があるため統計データを集めるのは難しいのだが、国防総省はおそらく2000年頃から、「リリー・パッド」などの小さな基地を50カ所以上建設してきたうえ、さらに数十カ所以上の建設計画を暖めているとみられる。

『米国の町:帝国の前哨地を建設する America Town: Building the Outposts of Empire』の著者であるマーク・ギレムが説明しているように、地元住民、世間の注目、反対運動の可能性を「回避」するのが新しい目標である。「戦力投射のために」、米国は「隔離された自己充足型の前哨地を」世界中に「戦略的に配備」したいのだ。その戦略を最も声高に提唱しているアメリカン・エンタープライズ・インスティテュート(訳注:米国の保守シンクタンク)の面々によれば、米軍は「21世紀の“世界機甲隊”」であり、最終目標は「フロンティア基地の世界的なネットワーク作り」であるべきらしい。

競争の激しさを増し、かつてなく多極化している世界において、少しの力で多くを達成して米国の世界支配を維持するというのが、進化しつつある米国政府の軍事戦略の狙いだ。「リリー・パッド」基地は、その致命的に重要な部分となった。世界の基地建設をリセットするこの政策が米国の長期的スタンスの心臓部となりつつあるのだが、驚くことに一般の関心はほとんど集まっていないし、議会による適切な監視もほとんど行われていない。一方、アフリカからの最初の犠牲者たちの到着が示しているように、米軍は世界の新しい地域や新しい紛争に関与しつつあり、それに伴って悲惨な影響が起こりうる。
 

基地帝国を変容させる
   
米軍は、そのほとんど知られていない、膨大な海外の基地コレクションを拡大しようとしているのではなく、むしろ縮小させている最中なのだと、読者は思っているかもしれない。米軍は実際、イラクに建設した大小505の盛大な基地群を閉鎖させられたし、現在はアフガニスタンの兵力を削減するプロセスが始まっている。欧州では、ドイツにあるいくつもの巨大基地を国防総省は閉鎖し続けているし、2つの戦闘師団もまもなく撤退させる見込みだ。世界の駐留米軍は約10万人まで縮小されることになっている。
   
それでも米国の海外基地コレクションはゆうに世界史上最大のままとなる。全米50州とワシントンDC州の外部には、1000以上の米軍施設があるからだ。そこにはドイツと日本に何十年も前からある基地や、エチオピアとインド洋セイシェル諸島にある完成したての無人機の基地、さらにはイタリアや韓国にある米軍の休暇用リゾートまで、すべてが含まれる。

アフガニスタンでは、米国率いる多国籍軍がいまだに450以上の基地を占領している。米軍は合計すると約150カ国になんらかの形の軍事的プレゼンスを持っている。それ以外にも航空母艦タスクフォース―浮動型基地―や、宇宙における重要かつ成長中の軍事的プレゼンスもある。米国は現在、推計で毎年2500億ドルを海外の基地や駐留軍の維持に費やしている。

キューバのグアンタナモ・ベイなどいくつかの基地の歴史は、19世紀後半までさかのぼる。ほとんどの基地は第2次世界大戦の最中かその直後に、北極も含むすべての大陸において建設や占領をされたものだ。米軍はソ連邦崩壊後に海外基地の約60%を撤退させたが、冷戦時代の基地インフラは比較的そのままの姿で残った。スーパーパワー敵国の不在にもかかわらず、ドイツだけでも約6万人の駐留米軍が残っている。

しかしブッシュ政権は2001年初頭、つまり9/11攻撃の前でさえ、基地および駐留軍の大々的な配置換えを世界規模で開始していた。それは今日、オバマ政権による「アジア回帰」戦略として続いている。ブッシュの当初の計画では海外基地の1/3以上を閉鎖し、東と南に駐留米軍を移転させることになっていた。中東、アジア、アフリカ、南米で紛争の発生が予想される地域に近づけるためだ。国防総省はより小ぶりで柔軟性の高い「前線基地」と、さらに小ぶりな「安全保障拠点/リリー・パッド」とに焦点を当て始めた。駐留米軍を主に集中させるのは、数を減らした「主要作戦基地」(MOB) ―ラムスタイン、太平洋のグアム、インド洋のディエゴ・ガルシアなど―に限定することとなり、それらの基地は拡張が予定された。

この計画では「統合」と「閉鎖」の語法が使われていたにもかかわらず、国防総省は9/11以降、実は基地インフラを劇的に拡大してきた。イラン以外のペルシャ湾沿岸諸国のすべてと、アフガニスタンでの戦争にとって致命的に重要な中央アジア諸国にある、何十もの主要基地もそのうちだ。


基地リセットボタンを押下する
   
オバマが最近発表した「アジアへの回帰」計画が示唆しているのは、「リリー・パッド」基地とそれに関連する出来事が爆発的に増加していくにあたり、東アジアが中心に来るであろうことだ。既に米海軍はオーストラリアでダーウィンの共用基地に落ち着こうとしている。他にも国防総省はオーストラリアのココス諸島で無人機の偵察基地の建設をしようと、またブリスベンとパースでは兵を駐留させようと、精を出している。タイでは海軍が新規に寄港する権利とウタパオでの「災害救援時ハブ空港化」とを求め、国防総省が交渉を行っている。

フィリピン政府は1990年代初めに巨大なクラーク空軍基地とスービック・ベイ海軍基地から米国を追い出したが、2002年1月以降、同国南部では600人もの米軍特別作戦部隊がひっそりと活動している。両国政府は先月、クラーク基地およびスービック基地の米軍による将来の使用に関して、またベトナム戦争時代からある、その他の修理・供給用中継基地に関しても、合意に達した。時代の変化を示す兆候というべきか、米国政府の代表者らはなんと2011年にはかつての敵であるベトナムとの防衛協定を調印した。そして、米海軍によるベトナムの港の利用を増やすことについての交渉が開始された。

アジアの他の場所では、グアム近郊の小さな島テニアン島に国防総省は滑走路を再建したほか、将来はインドネシア、マレーシア、ブルネイに基地を建設することを検討している。一方インドとは強固な軍事関係を押し進めている。米軍はこの地域で毎年170回以上の演習を行い、250回以上寄港している。韓国の済州島では、米国のミサイル防衛システムの一環となる予定の基地を韓国軍が建設中で、米軍が定期的にアクセスすることになっている。
   
太平洋指令部指令官のサミュエル・ロックリアー3世海軍大将は、「ただ一カ所にとどまっていては、やるべきことができないのです」と述べた。軍の戦略立案者にとっての「やるべきこと」とは、この地域の新興パワーである中国を孤立させ、(冷戦の語法でいえば)「牽制する」ことであるのは明白だ。これは、この地域全体に新しい基地を「ばらまき浴びせ」ることを意味しているようだ。日本、韓国、グアム、ハワイにはすでに数十年間にも渡って中国を包囲してきた200以上の米軍基地があるが、それらに加えてである。

そしてアジアはことの始まりに過ぎない。アフリカでは2007年以降、国防総省が無人機による偵察用に「約1ダースもの空軍基地」をひっそりと建設した。キャンプ・ルモニエのほか、米軍はブルキナファソ、ブルンジ、中央アフリカ共和国、エチオピア、ケニア、モーリタニア、サントメ・プリンシペ、セネガル、セイシェル、南スーダン、ウガンダに軍事基地を建設したか、まもなく建設する予定だ。国防総省はさらに、アルジェリア、ガボン、ガーナ、マリ、ナイジェリアその他でも基地建設の可能性を調査している。

来年には、3000人の戦闘部隊サイズか「おそらくもっと多い」数の駐留米軍が、演習や訓練のためにアフリカ大陸のあちこちに到着する。その近くのペルシャ湾では、海軍が「浮動型前進基地」または「母艦」を建設している。ヘリや巡察機用の海上版「リリー・パッド基地」として使う目的である。同地域では駐留軍を莫大な規模で増強させている。

中南米では、1999年にパナマから、2009年にはエクアドルから米軍が追放された後、国防総省はオランダ領アンティルのアルーバとキュラソー、チリ、コロンビア、エルサルバドル、ペルーで、新基地の建設ないしは既存の基地の格上げを行った。そのほか国防総省は、ベリーズ、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、パナマ、コスタリカ、さらにはエクアドルにおいてさえ、米軍の駐留が可能な軍事基地や警察基地の建設に資金を拠出した。2008年、米海軍は同地域を偵察するため、1950年以来活動を停止していた第4艦隊を復活させた。米軍はブラジルにも基地を欲しがっているかもしれない。パラグアイとアルゼンチンでは緊急人道支援という建前で基地を建設しようとして失敗した。

最後に、ヨーロッパの米軍基地は、1990年代の介入でバルカン半島に到着して以来、旧ソビエト帝国の東欧ブロックの一部の国々へと東進してきた。国防総省は現在、ルーマニアとブルガリアで戦闘部隊サイズの駐留軍展開の支援能力がある軍事基地を、またポーランドでミサイル防衛基地と飛行施設を建設中だ。過去にブッシュ政権は、CIAの秘密収容所をリトアニアに2つとポーランドに1つ維持していた。国防総省はミサイル防衛システムの効果をまだ証明できていないが、そのためのレーダー基地をチェコ共和国の市民たちが拒否したので、今度はルーマニアが地上配備型ミサイルを置くことになっている。

   
米国の新しい戦争の方法
   
現状を読み解く役に立ちそうなのは、石油が豊富なアフリカ西海岸のギニア湾にあるサントメ島とプリンシペ島のどちらかに「リリー・パッド」基地が建設されようとしていることだ。ある米国政府の役人は、「もう一つのディエゴ・ガルシア」と描写した。インド洋にあるディエゴ・ガルシアの基地は、この数十年間、中東のエネルギー供給における米国支配の確立に役立ってきた。アフリカに新しい巨大基地を建設する自由を持たない国防総省は、サントメ島やアフリカ大陸に増加中の他の「リリー・パッド」基地コレクションを使って、もう1つの致命的に重要な産油地域の支配を試みている。

西アフリカから遠く離れた中央アジアでは19世紀以来の「グレート・ゲーム」の競争が熱気と共に蘇り、グローバル化してアフリカ、アジア、南米の資源豊かな土地へと拡大している。米国、中国、ロシア、およびEU各国は、経済的・地政学的な覇権を巡ってますます激しさを増す競争の泥沼にはまっている。
   
特に中国政府はこの競争を主に経済面から遂行しており、世界中を戦略的な投資で点々と攻めている。米国政府は、世界に対して使えるワイルドカードとして懲りずに軍事力に焦点を当ててきた。そして新基地やその他の形の軍事力で地球上を点々と攻めている。この新たな21世紀の軍事戦略についてニック・タースが書いている。「ユーラシア大陸での総力侵攻や大規模な占領はもう終わった」。「その代わり、考えてみよ。特別作戦部隊…代理軍…スパイ・諜報活動の軍事化…無人飛行機…サイバー攻撃。いっそう軍事化された“民生”政府機関と国防総省との共同作戦だ。」

この前例なき長距離の空軍力・海軍力に加えて、地球上のどの国も出し抜く武器輸出....軍事諜報活動、偵察、相手国の人心を勝ち取るための機能を司っているのが明らかな「災害人道援助」ミッション....米軍の通常部隊の世界へのローテーション配備....寄港や共同軍事演習および訓練任務の拡大―それによって米軍は、世界中の既成事実化した「プレゼンス」をものにするし、海外の軍隊を代理軍に変える役にも立つ。

そして大量の「リリー・パッド」基地だ。
   
軍の戦略立案者たちは、小規模の軍事介入が果てしなく続く未来を描いている。その作戦上、大きな、地形的に散らばった基地のコレクションは、常時使用できる施設であり続けるだろう。かれらが望んでいるのは、できるだけ多くの場所に基地をおいておきつつ、イラク侵略前のトルコの時のように米国が万が一基地の使用を拒まれた場合は、どこか利便性の良い近隣の別の国に頼めるようにしておくことだ。言い替えれば、天井知らずの柔軟性と、地球上どこで起きることにも驚くほど迅速に対応できる能力とを国防総省の役人らは夢みているのである。つまり、地球全体の軍事的支配のようなものだ。

「リリー・パッド」基地などの戦力投射形態には、軍事的利便性があるだけではない。これらは同盟関係を構築して維持し、海外の市場や資源、投資のチャンスに対して米国が特権的アクセスを得るための政治的・経済的なツールでもある。米国政府はリリー・パッド基地などの軍事的プロジェクトを使って東欧、アフリカ、アジア、南米の国々を米軍に-そして継続する米国の政治的・経済的覇権に-できるだけ緊密に縛っておきたいのだ。つまり一部の国々がかつてなく強硬に独立を主張したり、中国などの新興大国に近づいたりしている時にあって、軍事力を使って米国の影響力を固め、可能な限り多くの国々を米国の軌道の中におさめておくことを期待しているといえる。


危険なリリー・パッド基地
   
より小さな基地に依存することは、沖縄や韓国などでしばしば怒りを買ってきた巨大な基地を維持するよりもずっと賢く、費用対効果も優れているかのように思えるかもしれないが、リリー・パッド基地は米国と世界の安全をいくつかの方法で脅かすものである。

まず「リリー・パッド」という呼び方は誤解を招く。なぜならそのような施設には、設計面その他からしても、あっという間に肥大化した怪物に成長する可能性があるからだ。

2番目に、米国政府の中に未だに残っている「民主主義を広める」だのという語法にも反し、リリー・パッド基地の建設を増やすことは実際のところ、専制的で腐敗していて殺傷好きな国々との協力関係を確実に増加させてしまう。

3番目に、その大きさにかかわらず、軍事施設が地域社会に与える被害については立証されたパターンがある。リリー・パッド基地は地元の反対を間違いなく遮蔽してくれるかのように見えるが、過去には、たとえ小さな基地であっても、しばしば怒りと抗議運動を引き起こしてきた。

最後に、リリー・パッド基地の拡散が意味しているのは世界を広範囲に渡ってこっそり軍事化することだ。基地には、本物のリリー・パッド―水草―のように、成長して歯止めなく増殖する性質がある。基地にはまさに、さらなる基地を発生させる傾向がある。他国との「基地競争」を招き、軍事的緊張を高め、紛争の外交的な解決にフタをしてしまうのだ。だいたいもし中国、ロシア、イランが独自のリリー・パッド基地をメキシコかカリブ海に1つでも作ろうとしたら、米国はどう対応するだろうか?

特に中国とロシアにとっては、国境付近におけるこれまで以上の米軍基地の存在は、新たな冷戦の勃発を招きかねない。将来の中国軍の脅威に備えての新基地建設というが、それは[予言したという事実がその実現をもたらす]自己達成的予言といえるものだ-要するに、アジアにそのような基地があると、防衛の対象のはずの脅威を逆に作り出してしまう可能性が高い。基地は中国との悲惨な戦争の確率を低めるのではなく、高めてしまうだろう。
   
しかし嬉しいことに、近年、共和党上院議員のケイ・ベイリー・ハチソンや共和党大統領候補ロン・ポールから民主党上院議員のジョン・テスター、NYタイムズ紙のコラムニストのニコラス・クリストフに至るまで、あらゆる政治的立場の人々が海外基地を批判的に精査するようになってきた。財政赤字を削減する方法を皆が模索している時だ。海外基地の閉鎖は簡単な節約方法となる。1000以上の基地を国外に持つ余裕など米国にはないのだということを、影響力を持つ人々がどんどん認めるようになっている。
   
それ以前の帝国がそうだったように、英国もやはり、1960年代と1970年代の経済危機の最中、残っていた海外基地のほとんどを閉鎖に追い込まれた。米国が遅かれ早かれそのような方向に進むことに疑いの余地はない。唯一の疑問は、米国が自らの選択によって基地を手放し、軍の世界展開を縮小させるのか、それとも英国のように、消えゆく大国として、弱い立場から、基地を諦めざるを得なくなるのかどうかだ。
   
もちろん、今とは別の道を自ら選択しない場合は、経済だけに留まらない悪影響があるだろう。リリー・パッド基地の拡散、特別作戦部隊、無人機による戦争が続けば、米国は新たな紛争や戦争に引きずり込まれていく可能性が高くなる。そして未知の形の報復や、莫大な死と破壊が生ずるだろう。そうなると我々は、アフリカの角からホンジュラスに至るまで、あらゆる場所から到着する輸送機の増加を覚悟した方が良いということになる。そこには手足をもぎ取られた負傷者だけではなく、棺桶が乗せられているだろう。

デビッド・ヴァインはワシントンDCのアメリカン大学人類学科助教授で、『恥辱の島ディエゴ・ガルシア米軍基地の秘められた歴史』(プリンストン大学出版、2009年)の著者。NYタイムズ紙、ワシントンポスト紙、ガーディアン紙、マザージョーンズ誌などに多数寄稿している。現在は米国外にある1000以上の軍事基地に関して執筆中。

*脚注
 「ブラック・ホーク・ダウン」事件については、米国の反体制知識人ノーム・チョムスキー氏が200712月にKhaleej Times紙に寄稿した論考The Somalia syndromeに、次のような記述があります。
1992年、部族を基盤とした民兵組織がソマリアの独裁政権を転覆させ、続いて飢饉が起きたのち、米国は何千人もの兵士を疑わしい「救援活動」と称する人道作戦に援護派遣した。しかし199310月の「モガディシュの戦闘」の最中に、ソマリアの民兵2人によってブラックホークヘリ2機が撃墜され、推定1000人のソマリア人と共に米軍のレンジャー部隊隊員18人が死亡した。
米軍は直ちに撤退を始めたが、その殺人的な比率(ソマリア人と米軍の犠牲者数のひらき)は維持された。「米軍退却の最終段階では、米軍に向けて撃たれた弾丸1発につき100発で応酬していたように見えた」とロサンゼルスタイムズ紙記者ジョン・ブレイザーが報道した。ソマリア人側の犠牲者について、作戦を率いた米海兵隊アンソニー・ズィンニ大尉は「遺体の数は数えていません・・・興味ありません」と取材陣に述べた。
CIA職員らが私的に出した結論によれば、ソマリアの作戦では米兵34人が死亡し、ソマリア人犠牲者―民兵および市民―の数は7000人から10000人だった可能性がある。フォーリン・ポリシー誌でチャールズ・ウィリアム・メインズが報道した。
その「救援活動」では、救援されたのと同程度の多くのソマリア人が殺された可能性があるのだ。その後ソマリアは、残虐な地方の軍閥の手中に残された。
またチョムスキー氏はThe New Military Humanism - Lessons From Kosovo, Pluto Press, 1999の中で、この時のソマリア人犠牲者の2/3が女性と子どもだったと書いているようです。

Tuesday, July 17, 2012

こんなインチキ「国民的議論」に7千854万円の血税が。入札したのは「原発安全神話宣伝」で儲けてきた、電通と博報堂だけ。

バンク―バー在住の事業開発コンサルタント、大串さんによる投稿です。

資源エネルギー庁による「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」の運営方法(シナリオ設定、発言者の選定、人数の限定など)に関してはすでにこのブログ『アフリカ教育関連情報』の総特集「大問題!!!何とかしよう!→『エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会』」(その1からその5まで)が詳細の分析をしていますが、この事業の発注に関しても、次の大きな疑問が残ります。

1.仕様書( http://bit.ly/M7ljrj )を見ると、全国の会場手配、イベント準備や運営、ホームページ作成など、特殊なノウハウを必要としないにもかかわらず博報堂と電通の2社しか入札していない。運営能力のある会社はほかにも多数あると考えられるが、なぜ2社だけなのか?入札説明書(http://bit.ly/M7qs2k)の「参加資格」を確認したが、これだけでは分からなかった。

2.入札結果( http://bit.ly/M7mVkT )によると、博報堂が7854万円で落札した。全国7会場でのイベントでこの額は高すぎないか?落選した電通に至っては1億2千万円で入札している。この金額の妥当性はどのように証明されるのか?

以下、「入札結果に係る情報」
http://www.enecho.meti.go.jp/info/tender/nyusatsukekka/1207/120717a.pdf

追加:@PeacePhilosophy より、関連記事の紹介。「しんぶん赤旗」2011年7月16日付記事。

追跡 原発利益共同体

毎年税金60億円

電通・博報堂・産経新聞社など事業請け負い

「安全神話」刷り込み

原子力発電を推進するために税金から出されている原子力広報・教育予算は毎年、60億円規模にのぼります。シンポジウムの開催や説明会、新聞や雑誌の広告など多種多様な取り組みを行っています。事業を請け負っているのは、日本原子力文化振興財団などに加え、大手広告代理店の電通、博報堂や産経新聞社などです。税金を使った原発「安全神話」の刷り込みです。(清水渡)・・・続きはhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-16/2011071603_02_1.html

Monday, July 16, 2012

圧巻の航空写真!7月16日代々木公園での脱原発大集会:広瀬隆報告

6月29日、主催者側が15万人と言ったデモを警察は1万7千人と言った。今回、警察が7万と言ったということは比率から言って実際は60万人いたのではないかと思ってしまう。野田雅也さんによる写真の数々を見れば、その物凄さがわかる。「過去最大の規模」とNHKにもとうとう言わせた市民の力。 野田首相、どう出るか。今日呆れたのは、オスプレイについて「配備自体は米国政府の方針だ。どうしろ、こうしろという話ではない」 と言ったことだ。米国政府が決めたことなら日本に何をやってもいいのか。世界中で横暴の限りを尽くし続けている国家との軍事同盟が憲法に優先している異常社会を首相が公に認めた。松下政経塾はこんな腐った属国根性を教える場所だったのか。 野田首相、「どじょう」のように市民と泥まみれになって政治をすると言ったことが本気だったのなら、今度こそ金曜の官邸前の行動で姿を現して思いっきり泥をかぶってほしい。政治生命を賭けるのなら増税ではなく原発停止にして欲しい。@PeacePhilosophy
撮影:野田雅也(JVJA)
http://fotgazet.com/news/000233.html

以下広瀬隆さんによる報告。





7月16日の空撮写真は、フルサイズの写真が下記にアップされています。
http://fotgazet.com/news/000233.html

ノーカット映像 (山本太郎さんの名解説)IWJ http://www.ustream.tv/channel/iwj10 

アワプラネットTV http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1395

地上でのスナップはhttp://hibi-zakkan.sblo.jp/article/57086929.html









最後、もう一枚、野田雅也さんの写真より。
撮影:野田雅也(JVJA)
http://fotgazet.com/news/000233.html

Sunday, July 15, 2012

SPEEDI予測と活用の時系列整理: 言い訳は許されない

SPEEDI 情報遅れについてまたおかしな報告が出た。

7月15日NHK報道より(下方参照)「政府の事故調査・検証委員会は、SPEEDIが避難に生かされ、住民が15日には屋内にとどまり16日になってから避難していれば、無用な被ばくを避けられたとする」

政府の事故調は放射性物質がある日に拡散し、翌日にはきれいになくなるとでも思っているのか。問題は避難の日よりも避難の方向だろうが!高汚染の北西方向に避難するのだったら日付を変えたって避難先で高い汚染にさらされることは同じじゃないか。

さらに「国会の事故調査委員会は今月上旬にまとめた報告で、「SPEEDIは、予測に用いる気象情報の精度に限界があり、避難の根拠にできるほど正確性を持つものではない」という見解を示しています。」

何をまた間抜けたことを言っているのか。後になって公開されてきたSPEEDI予測と実際の汚染範囲が合致していることは誰もが認めることだ。6月19日の投稿「絶対に許してはいけない:政府はSPEEDI予測を隠し、陰で活用し、結果をまた隠し、住民を放射線にさらした。」を見てほしい。

上記投稿で指摘したことを時系列的に整理すると:
3月14日:SPEEDIによる試算結果を、文部科学省が外務省を通じて米軍に提供した。(共同通信2012年1月16日報道

3月15日:文科省が原発の北西20キロの浪江町に職員を派遣し、時330μSVという高い数値を計測し、16日未明には公表したが、それはSPEEDI予測結果を基にした計測だったことが判明。(6月12日東京新聞:すでにリンク切れしておりここに貼り付けておいてよかった!)文科省はSPEEDI予測の正確さをこの時点で確認していた。
3月17-19日:「米エネルギー省が軍用機で原発の半径45キロ圏を測定。第1原発の北西方向約25キロにわたり、放射線量が1時間当たり125マイクロシーベルト以上の地域が広がっていることが確認された。」(6月18日共同通信

3月22日:米エネルギー省はウェブサイトで福島の放射性物質測定の結果を公表開始。(米国エネルギー省ウェブサイト「福島地域からの放射線モニタリングデータ」
http://energy.gov/articles/us-department-energy-releases-radiation-monitoring-data-fukushima

 3月23日:米国の発表を追いかけるように、文科省はSPEEDIの結果を小出しに発表し始める。
これを見れば明白だ。 文科省は3月11日夕に開始したSPEEDIによる計算結果を、14日には米軍に提供し、それをもとに米エネルギー省は17-19日「軍用機」を使ってモニタリングを行っている。米国民の50マイル(80キロ)圏避難が3月16日に決定されたことを見ると、米国は実測より前にSPEEDI試算にもとづいて避難をさせるという、きわめて賢明な政策を取っていたということになる。3月15日の文科省の部分的計測も参考にしただろう。

6月19日にこのように分析した。
米国情報を日本政府が市民に知らせなかった​のではなく、日本政府が最初から市民に知らせないつもりでSPE​EDI情報を米国にだけ渡して調べさせたのである。文科省はSP​EEDI情報を事故直後3月14日に米国に提供し、米エネルギー​省はその情報をもとに航空モニタリングを行った。また、文科省は自らの職員もSPEEDIの予測で高汚染が予測された浪江町に派遣した。その結果SPE​EDI予測が正確であったことが立証された文科省は怖くなっ​てSPEEDIの情報は極力隠し、米国モニタリング情報が3月2​2日以降エネ省のサイトで堂々と発表された後も無視してなかった​ことにした。その隠蔽に大手メディアは全て加担した。 米国はこの​情報を自国民の避難に使ったが、日本政府からの重圧か、気を遣ってか、エネ省のサイトに調査結果をさりげなく置いただけで日本​市民に積極的に伝えようとはしなかった。そして米国に追随するよ​うに、文科省は申し訳程度に3月23以降小出しにSPEEDIの​情報を出しはじめた。情報隠ぺいに必死になっていた政府の避難政​策は後手後手となり、結局、高汚染地域だと事故当初からわかって​いた飯館村の避難がほぼ完了したのが5月末、3ヵ月間住民を放置​し多量の放射線に晒すという大罪を犯した(6月20日追記:5月25日東京新聞報道「飯舘村指定に3週間も 助言チーム、至急避難提言 政府の対応遅れ」では小佐古内閣官房参与ら専門家の助言チームの強い提言があったにも関わらず政府は避難区域見直しを渋った経過が報道されている。)平野文相は今になって​「反省すべきところは反省」とか言ってしらばっくれているが、米​国にだけSPEEDI情報を提供し調査させ、その結果を国民から​隠したのは政府の確信犯罪である。
・・・頭にくるのは、ネットでは公表されていた米エネルギー省の情報に目をつぶって全く報道せず、政府に重圧を与えることもしなかったメディアに対してである。政府がこの情報を使わなかったなどとよく言えるものだ。メディアが今になって自分たちの責任逃れをしているとしか思えない。 
このSPEEDIとそれに伴うモニタリングの情報を住民避難に生かさなかった政府+東電、メディアの共犯、そしてトモダチ米国の加担は絶対にこのままにしてはいけない。 
何度も言うが、日本政府も米国政府もSPEEDI情報があったからこそ早期に原発北西方向の高汚染地域がわかり、 日本政府は部分的な計測を3月15日には行い、米国は軍用機を飛ばして17日から本格的計測を行っていたのである。

SPEEDIの予測が信用できないなんて誰に言う権利もない。政府は、SPEEDIの予測や、その予測に基づく実測結果を被災地市民にわかるようにしっかり公表し正しい方向への避難を誘導しなかった責任をSPEEDIのせいにして責任逃れしようとしており、国会事故調はその片棒をかついでいる。

以下、関連重要投稿。メディアはSPEEDI情報(この場合WSPEEDI)を一般より相当早く入手していたが報道していなかったのではないかと思われる一つの確定的な証拠。

「4月中旬、NHKに一瞬映った 「WSPEEDI」 3月15日被ばく予測マップ→5月18日NHKから返信、4月4日のニュースと確認」(2011年5月16日付投稿:後日追記あり)
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2011/05/blog-post_16.html

@PeacePhilosophy


上記で触れた7月15日のNHKの報道はこれ。

“無用の被ばくは避けられた”
7月15日 18時44分

放射性物質の広がりを予測するシステム「SPEEDI(すぴーでぃー)」について、政府の事故調査・検証委員会は、近くまとめる最終報告で、東京電力福島第一原子力発電所の事故で避難に生かされていれば、住民の無用な被ばくを避けられたとする見解を盛り込むことが分かりました。一方、国会の事故調査委員会は、「精度に限界があり避難の根拠にできない」としていて見解が別れています。

福島第一原発の事故で、政府は、SPEEDIの予測の前提となる放射性物質の放出源の情報が地震の影響で得られず、事故発生の当日から仮のデータで予測していましたが、その結果を、当時、公表しませんでした。
この問題について、政府の事故調査・検証委員会は、文部科学省が予測していた結果や住民がどのように避難したかを検証し、今月23日にまとめる最終報告に盛り込むことにしています。
それによりますと、去年3月15日午後の予測結果では、放射性物質は西や北西など陸側の方向に拡散していくとなっていましたが、原発近くの南相馬市や浪江町では、当時、住民が放射性物質が広がる方向に避難していました。
一方、3月16日の明け方からは風が海向きに変化し、放射性物質は海側に拡散すると予測されていました。
このため政府の事故調査・検証委員会は、SPEEDIが避難に生かされ、住民が15日には屋内にとどまり16日になってから避難していれば、無用な被ばくを避けられたとする見解をまとめています。
一方、国会の事故調査委員会は今月上旬にまとめた報告で、「SPEEDIは、予測に用いる気象情報の精度に限界があり、避難の根拠にできるほど正確性を持つものではない」という見解を示しています。
SPEEDIを巡っては、避難にどう活用するかを、9月までに発足する国の「原子力規制委員会」が検討することになっていますが、2つの委員会で見解が分かれたことは、今後の議論に影響を与えそうです。

浪江町長“悔しい思いと残念な思いが交錯”

浪江町の馬場有町長は「SPEEDIの利用が不適切だったという指摘は、私たちが主張してきたことと同じで、非常に残念なことだ。町民は無用な被ばくをしなくても済んだわけなので、非常に悔しい思いと残念な思いが交錯している。結果をすぐに関係機関や避難自治体に伝えるシステムが必要で、政府に法的な整備を望む」と話しています。

“読み取る力、われわれにも求められている”

災害時の情報提供に詳しい、東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授は「地震のような大きな災害の時には、そもそも確かな情報が得られることはない。原発事故の教訓として、不確かな情報の中から、何がどう使えるかを読み取る力が、防災担当者だけでなく、われわれ国民にも求められていると思う」と話しています。