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Thursday, September 26, 2013

『広島ジャーナリスト』から転載:「原爆投下正当化論が戦後米国の神話形成」-オリバー・ストーン、ピーター・カズニックを迎えた広島でのシンポ報告

広島ジャーナリスト」9月15日号に掲載された、8月5日に広島で開催されたオリバー・ストーン、ピーター・カズニックを迎えたシンポジウムの報告記事を許可をもらった上で転載します。


原爆投下正当化論が戦後米国の神話形成

ストーン&カズニック、広島で語る

 「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」(早川書房、全3巻)と、それに基づくドキュメンタリー映像で現代歴史観の虚構性を暴いた映画監督オリバー・ストーンさんとアメリカン大准教授ピーター・カズニックさんが今夏、日本を訪れ広島、長崎、東京、沖縄で発言した。このうち、田中利幸・広島市立大広島平和研究所教授、平和運動家乗松聡子さんと臨んだ8月5日のシンポジウム「アメリカ史から見た原爆投下の真実」の議論の要旨を掲載する。ストーン監督らは「原爆投下正当化論が第2次大戦後のアメリカの『神話』を形成している」と強調、米ソの覇権争いが原爆投下の背景にあるとした。「8・6ヒロシマ平和へのつどい2013実行委員会」主催。広島市中区で開かれ、約300人が聴き入った。(文責・「広島ジャーナリスト」編集部)



投下直後は米世論の85%「支持」
田中利幸 オリバー・ストーン監督です。それから、ピーター・カズニック先生。乗松聡子さん。広島、長崎への原爆投下が戦争終結に決定的役割を果たしたといわれる。原爆投下がなければ戦争はさらに長期化し、100万人は死んだであろうという神話が今もアメリカでは支配的だ。こうした神話を打ち崩すにはどうしたらいいか。そのために私たち日本人、とりわけ広島市民に何ができるか。

ピーター・カズニック 原爆投下に関する神話は冷戦下のアメリカの理想主義の根幹にあるもので、トルーマンは皆さんご存じのように原爆投下を正当化している。終戦直後に行った世論調査【注1】では85%が原爆投下を支持すると答え、23%に至っては、日本の降伏がもっと遅ければアメリカはもっと原爆を落とすことができたと言っている。この原爆投下の神話は、アメリカが自国を特別な存在であるという例外主義、そしてアメリカそのものを支えている神話につながっている。この神話とは、自分たちは他の国々とは異なっている、世界のために良いことをするのだ、自分たちの国は善良な国だと考えている、という神話だ。他国が他国に侵攻するのは欲にまみれ領土拡大のためだが、アメリカだけは自由と民主主義のためにやっている、という神話がアメリカを支えている。
 原爆投下を、人道に対する罪だとか戦争犯罪だとか、そう見ることはアメリカの意図を拡散させることになるだろう。戦争を終わらせるために原爆が使われたという見方がアメリカではまだ中心的で、何百万人もの日本人の命を救ったのだ、とも言っている。アメリカだけでなく二つの国にまたがって神話化を進めていくことは、原爆が善良なものであり恐ろしい破壊兵器ではなかったと考えることにつながる。原爆を落としたのがドイツだったら、戦略的にも倫理的にもひどいと見られただろうが、アメリカが行ったということで神話が生まれた。

ソ連の日本侵略を恐れる
オリバー・ストーン アメリカはソ連による満州、韓国への侵略を恐れていた。最も恐れていたのが日本への侵略だ。原爆を落とさなかったら、ソ連は数日で日本を侵略していただろう。今日、被爆者の1人である沢田昭二さん(名古屋大名誉教授)【注2】とランチをともにした。彼は13歳か14歳で広島で被爆した。彼が言うには、日本人は当時、ソ連に侵略されることを恐れていて、原爆が落とされるとは夢にも思っていなかった。ソ連がドイツに対して残虐行為をしていて、それに恐れを抱いていた。ポツダム宣言を出す前に、アメリカ軍は日本が降伏したがっていることを知っていた。それでも二つの原爆を落とした。落とさなければ11月までにソ連は日本を侵略すると分かっていたからだ。原爆投下でソ連との冷戦が始まった。
 アメリカはその際、日本との戦争を終わらせるため原爆を落とした、落とさなければアメリカの犠牲者が増えた、と言った。日本の犠牲者には触れなかった。原爆を二つ落とすことでソ連の侵攻を止め、日本の犠牲者をつくった。第2次世界大戦の一番の犠牲者は日本だったと考えられるが、アメリカではそれが通説にはなっていない。

カズニック ストーン監督が言ったことを興味深く聞いた。やはり映画監督だ。戦争の終わり方を考える時、映画の終わり方が念頭にあっての発言と思う。「サベージ」【注3】という映画で、オリバー監督は二つの終わり方を用意していた。一つの終わり方は「失望した」という評価だったが、二つ目は「満足した」という反応だった。私たちがアメリカ史のドキュメンタリーでやろうとしたのは、やはりこのような二つの終わり方を考えることだった。
一つ目の終わり方は今まで信じられてきた、トルーマン大統領らが考えた戦争の終わり方だ。バッドエンドであり大きなウソだった。アメリカの学者はそれをウソと知りながらも戦争の結末と教えられてきた。
 私たちが提供したのは二つ目の終わり方だ。決してうれしいものではないが、本当の歴史だ。戦争の終わりは原爆投下によってもたらされたものではなかったということをもう一度言っておきたい。アメリカは日本の都市を1945年3月から空襲したが、その数を64から66と長く言ってきた。田中教授が明らかにしたのは、空襲で被災したのは100以上の都市ということだった。政治家たちはこのように簡単に事実を変えてしまう。日本の都市をひどく爆撃して焼き尽くし、原爆を落とすまでもなかったということすらも変えてしまう。オリバーと私は、今まで言われてきた戦争の終わりに対してそうではないと、ソ連の侵攻を変えるためだった、さらにいえば日本の外交政策を変えていく意図があっての戦争の終わり方だったということを提示した。
 歴史についての問いかけは重要だ。ナポレオンが言ったのは、歴史はみんなで作り上げたウソの集合体、ということ。このウソはだれのウソか。勝者のウソだ。アメリカの学生が信じている神話を一つ紹介する。原爆が太平洋戦争を終わらせ、アメリカはほぼ単独でヨーロッパの戦争を終わらせたというものだ。ヨーロッパの戦争はソ連こそが終わらせたということは、だれ一人教えられていない。米英は第2次世界大戦の中でドイツ軍の10の部隊と戦ったが、ソ連は一国で200もの部隊と戦った。だから2700万人もの戦死者を出した。アメリカ、イギリスはそれぞれ30万人の死者ですんでいる。このような神話は冷戦をつくりだす意図に結びついており、アメリカ帝国の根幹をなしていると考えると、どれほど危険なことか分かると思う。広島、長崎の原爆投下から68年間続くアメリカ中心主義の根幹にあるのは、このようなウソだ。

田中 乗松さんはカナダ在住で、カナダも実は原爆開発計画に参加した。カナダにも原爆投下正当化論を言う人は多いと思う。

「加害」を問わぬ反核には限界
乗松聡子 カナダの人はアメリカ人と違って、自分たちは平和的で優しいという自己イメージを持つ人が多い。日本に落とされた原爆のウランが自分たちの国からきていることとか、現在も世界有数のウラン産出国の一つで加害側に立っていることとか、そういう認識があまりない。現在のハーパー政権【注4】はブッシュ寄りだった。戦争参加、環境破壊という意味でも非常に右寄り、財界寄りの政策をとっている。
 私はこの10年間、カナダで平和、反核活動をしていて難しいと感じるのは、アジア系の人が大変増えている中で広島、長崎だけを扱っても、来るのは白人と日本人だけだ。原爆投下によって解放されたという、アジアで日本によって侵略された側のセンチメント(感情)はやはりある。原爆関係のイベントをやってほしいと要請があるが、限界がある。アジア化している北米で、従軍慰安婦問題とか南京虐殺とか、日本がやってきた加害や侵略、植民地主義としっかり向き合わずに反核運動をしても限界がある。これは広島、長崎の活動にも言えることではないか。

田中 カズニックさんが、勝者はいつもウソをつくという。実は、負けた方もウソをつく。戦争が終わった時、天皇詔書(いわゆる玉音放送)【注5】で言ったのは、このまま戦争を続ければ原爆という新しい兵器によって日本の人間はみんな死んでしまうだけでなく、人類そのものが存続しなくなる。だから戦争をやめる。それにつけては一緒に戦ってくれたアジアの人たちに申し訳ないと言っている。それで、中国や東南アジアでやった戦争犯罪をうやむやにしてしまう。これはウソだ。アメリカの神話化と同時に日本の神話化がある。我々はアメリカには負けたが中国には負けてないと言っていて、それが今まで続いている。
原爆投下という歴史的事実と、現在の核兵器保有の正当化、この二つが頭の中でつながっていない。切り離している。アメリカはいま核兵器を持つから、原爆投下も正当化しないといけない。密接につながる。福島原発事故と核兵器の問題も密接に関連しているが、これも分離してしまっている。この三つをどう関連付け、解決するか。

カズニック 広島、長崎への原爆投下とアメリカの核兵器大量生産がつながっているというご指摘と思う。核兵器が抑止力を持つというセオリー自体、私はウソだと思っている。それは第2次世界大戦そのものの正当化に基づいている。戦後の正当化は、アメリカの日本占領時代にもつながる。終戦から1952年までの間、日本国内で原爆に関する研究や議論は禁止された。しかし、アメリカは日本が原爆に対してある見方を展開させることに反対はせず、むしろ推進した。日本を同盟国としてキープしておきたかったからだ。原爆投下に関する神話を裏打ちしていくということは、一つには天皇制を保持していくということでもあった。どれほど危険であっても、アメリカは天皇制を保持したかった。治安維持につながるからだ。
 アメリカは50年代に「アトムズフォーピース(核の平和利用)」【注6】を打ち出した。日米が同盟国として進む中で、岸信介【注7】はA級戦犯として処刑することなく政治的リーダーとして復権するよう働きかけたし、正力松太郎に関しては核の平和利用を推し進めていく力として戦争責任を免責させた。岸の家系、例えば弟の佐藤栄作【注8】や孫の安倍晋三(首相)のラインは歴史のウソの解釈を残していくためのラインだ。安倍が最初に首相になった時、しようとしたのは、アメリカが持っているウソの歴史と共鳴するよう日本の教科書を書き換えることだった。
 日本はアメリカにとってどんな国か。中東のイスラエルのような位置づけだ。日本はアジアの中で、アメリカと一緒に歴史を紡いでいく仲間だと見られている。私たちはこのような見方に異議を申し立てるため、ドキュメンタリーをつくった。いま歴史が進んでいる方向を変えたい、人間として歴史の中での選択について異議を申し立てるため、このドキュメンタリーをつくった。
 もう一つ付け加えたいのは、歴史を語るというのは、アメリカもしくは日本のどちらかの見方で成り立つのではない。戦争の被害者の視点を忘れてはならないということだ。南京虐殺であったり、日本のアジアへの侵略であったり、その中での中国、韓国の犠牲者を私たちは忘れてはいけない。彼らの視点を入れることが、歴史の見方の構築のための本質的な問題だと思う。勝者だけでなく敗者も時にウソをつく。さまざまな視点を入れたものが必要だ。

ストーン 一点付け加えたい。1931年に日本が満州を占領して45年に戦争が終わるまでの14年の間、満州には安倍の祖父・岸もいて彼はA級戦犯だったが、満洲国はすごく皮肉な存在だった。第2次世界大戦でアメリカはナチスや共産主義者と戦ってきたが、安倍は今、朝鮮人慰安婦を認めないとか南京大虐殺を認めないとか、犠牲者の立場からものを見ることをしていない。安倍や日本政府のそうした言動は奇妙なことだ。犠牲者がいるのにその視点から見ないというのはおかしなことだ。
 
田中 慰安婦問題や侵略戦争はなかったと安倍は言う。最近は吉田首相の孫がワイマール憲法について馬鹿な発言をしたが【注9】、日本政治家のあまりにも低劣な歴史認識を露呈する発言が続いている。日本の歴史教育の貧困さと同時に、歴史教育の重要性を痛感する。ハワード・ジンさん【注10】は「民衆のアメリカ史」という本を書いた。アメリカ史を批判的に見る本や映画がベストセラーになるにもかかわらず、アメリカ市民の支配的な歴史観を形成するに至らない。いまだに原爆投下は正しかったという見方が支配的だ。なぜあなた方の考え方が浸透していかないのだろうか。

ウソと向き合う不快さ
ストーン 私たちが作った本やドキュメンタリーはベストセラーだと言ってくれたが、残念ながら私たちの本やドキュメンタリーはメーンストリーム(主流)ではない。というのも、アメリカ政府は、私たちが歴史のウソについて書いていることをすごく不快に思っていて、それを認めたくない。戦後68年で人々はウソに慣れてしまい、そのウソの中で歴史を認識していくことが心地いいのだ。だからそれを今変えようと訴えたとしても、そのウソと向き合うことが不快なのだ。私もそのように歴史を教えられ、認識を変えていくのに40年はかかった。時間がかかることだと思う。

カズニック ストーンさんの見方は映画監督としての見方であり、私はアカデミックな歴史家としての異なる見方を持っている。このプロジェクト(「アメリカ史」の出版とドキュメンタリー制作)への反応は、これまでのものとはかなり違う。これは私たちの努力の始まりに過ぎない。この努力は多くの友人、多くの人々によって支えられている。例えば田中さんはこれまでも歴史について重要な問題を扱ってこられた。原爆投下、慰安婦問題もそうだ。乗松さんは沖縄についての本を出された。二人が提示された見方は多くのアメリカ人、日本人も知らないのではないか。私たちが伝えたかったのは、進歩的な歴史の見方であり、進歩的な活動家の人たちにも私たちの考えることを伝えたかった。そのためには皆さんのサポートが必要だ。

ストーン 第2次大戦のノルマンディー上陸作戦を舞台にした映画「プライベート・ライアン」【注11】は皆さんに見てもらった。そのぐらいになればいい。人の心理として誰も負けたくない、誰もが勝ちたいという心理があり、日本でもアメリカでもそうした心理が働く。そこが問題ではないか。
田中 日米安保や集団的自衛権の問題が日本でも浮上している。沖縄の基地の在り方、日米関係の在り方、米中・日韓関係の在り方が非常に重要になっている。日本は核の傘の下にあるが、これをどう考えるか。

広島・長崎・沖縄はつながる
乗松 広島、長崎と沖縄は別ものではなく一連のものとして考えたい。日本の平和運動とか憲法9条を守る運動とか反核運動とか、これらは非常に矛盾に満ちたものだと、特に沖縄のことを扱うようになって思う。4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会(ジュネーブ)で、南アフリカなど非核保有国が「いかなる状況下でも核兵器が使用されないことが人類生存のためになる」という「核兵器の人道的影響に関する共同声明」を出したが、日本政府は賛同しなかった。これに対して平和運動家やNGOが怒りを表明したが、そういう時こそ私たちは自らを振り返らないといけないのではないか。日本政府は米軍基地と核の傘の幻想のもとに安全保障策をとっている。それに対して日本の人たちは7、8割が安保を認めているというデータがある。沖縄では10%以下だ。
 安保を認めながら反核とか9条を守れとか、どうして言えるのか。日米が一体と考えるなら、日本は北朝鮮やイランの核保有を責めるのではなく、アメリカを責めないといけない。アメリカと同盟を組んでいる自分たちを責めないといけない。日米安保をやめよう、アメリカの軍事覇権に引きずられないような新しい日米関係を築こうという形で運動しないといけない。安保を温存しておいて、その中で唯一の被爆国とか反核とか言っても説得力がない。自戒を込めて言っている。どうして私たちはそういう(矛盾した)ことを言っていられるか。ほとんどの安保のつけ、米軍基地被害を(沖縄に)押しつけたままでいられるからではないか。
 広島、長崎と沖縄をつなげて考えてほしい。岩国、呉、佐世保の基地の存在を考えると、今でも広島、長崎は大軍事拠点だ。それが分かっていて、どうして広島、長崎で反核とか平和とか言えるのだろうか。日米軍事同盟が沖縄に押し付け続けている基地被害を直視してほしい。

田中 ヘンリー・ウォレス【注12】のような真の民主主義者が有力な政治家となれるような社会環境は戦後、アメリカ、日本のみならず世界中でほとんど失われているのではないか。無能な政治家が次から次へと出てくるが、日本でも例外はあった。石橋湛山【注13】だ。この人はヘンリー・ウォレスを想起させる。最近では南アフリカのネルソン・マンデラ【注14】。ウォレスのような倫理的想像力を備えた政治家が活動できる社会を再びつくり上げるにはどうしたらいいか。もちろんアメリカでは軍産複合体制があり難しいが。

抵抗することの重要性
カズニック 単純な答えが存在しないような複雑な問いだ。ヘンリー・ウォレスは人物だったが、同時にとてもアメリカ人でもあった。名前が挙がらなかった中に、勇気と実行力、決断力を持った政治家としてゴルバチョフ【注15】がいる。彼はオバマ大統領に対して、理論と決断力をバックボーンに持つ人が出て来たと言っていたにもかかわらず、オバマは決して今そうなってはいない。むしろ反対の方向で存在している。
質問自体も二つの側面があると思う。例えばアメリカの公民権運動で有名なのはマーチン・ルーサー・キング【注16】だが、歴史家としていうとキングが公民権運動をつくったわけではない。公民権運動自体がマーチン・ルーサー・キングをつくったと思う。リーダーに力と決断力を与えるのは人びとだ。
 人びとがリーダーをつくると言っても、例えばアメリカの学生でヘンリー・ウォレスを知らない人が非常に多い。彼のようなビジョンを持つ人というのは歴史から消されてしまいがちだ。だからこそ私たちのドキュメンタリーは「The Untold History of The United States(語られなかったアメリカ史)」というタイトルを付けた。語られない側面を持つもう一人はジョン・F・ケネディ【注17】だ。強硬派として政治活動を始めたが1962年のキューバ危機を経て大きく転換した。世界がどれほど核戦争に近いかをみて、彼の方向は一気に変わった。政治家として、スタートした時のケネディと63年に暗殺された時のケネディは非常に異なっている。亡くなる直前は、ベトナム戦争を終わらせようとしたり、核実験禁止条約を導入しようとしたり、宇宙開発競争を止めようとしたりした政治家だった。
しかし、ドラマチックな方向転換は反対の方向に起こることがある。カーター大統領が一例だ。当初はみんな期待したが、大統領としての責務や軍産複合体からのプレッシャーで変わってしまった。オバマ大統領もそうなりつつあるのではないか。
 これまで語られなかったヒーローを歴史の中で伝えていくことのほかに、人々の抵抗の歴史を教えていかなくてはいけない。権力に対して、軍産複合体に対して、抵抗を続けてきた人たちがこれほどいるということを。私たちがドキュメンタリーを通して伝えたかったのは、歴史はもしかしたら違っていたかもしれない、ということだ。あともう少しで全く違った歴史になったかもしれないということを伝えたかった。人々に希望を与えたい。私たちは歴史を変えることができる、その可能性があったことを伝えたい。ベトナム戦争も、もっと早く終わらせることができた。抵抗していなければもっとひどいことになったことも、歴史の中にたくさんある。そこで抵抗していくことの重要性を伝えていかなくてはいけない。抵抗することは必要だ。世界中で抵抗している人たちを支えていきたい。

【注1】1945年8月のギャラップ世論調査。
【注2】さわだ・しょうじ 1931~。広島市出身の理論物理学者。名古屋大を退職後、原爆症認定集団訴訟の原告側証人。2007年に原爆残留放射線による内部被曝に関する論文を発表。福島原発事故でも、内部被曝への警鐘を発し続けている。原水爆禁止日本協議会代表理事。
【注3】「SAVAGES」 2012年製作。3人の男女が巨大麻薬組織を相手に闘う。
【注4】Stephen Joseph Harper 1959~。カナダ保守党党首。2006年に少数与党として政権を握る。11年の総選挙で過半数を獲得。
【注5】天皇詔書で該当する部分は以下のとおり。
 加之、敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。
 而も尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。
 斯の如くむは、朕何を以てか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せむや。
 是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
【注6】Atoms for Peace アイゼンハワー大統領が1953年の国連総会演説で表明した。国際原子力機関(IAEA)設立にもつながった。
【注7】きし・のぶすけ 1896~1987。山口市出身(本籍田布施町)。満州国国務院で要職を歴任、満州開発5カ年計画を手掛ける。東條内閣で商工相。戦後A級戦犯容疑で逮捕、不起訴。公職追放解除後に政界復帰。保守大合同で自由民主党の初代幹事長。石橋内閣総辞職後に政権を握る。60年に国民的大闘争の中で日米安保条約改定を強行した。
【注8】さとう・えいさく 1901~1975。山口県田布施町出身。岸信介の実弟。64~70年まで首相。67年に衆院予算委で非核三原則を表明。72年沖縄返還の日米交渉の過程で「沖縄への有事核持ち込み」を認める密約を結んでいたことが、交渉の密使だった若泉敬氏に暴露された。裏付けとなる合意議事録が佐藤の遺族によって保管されていたことが2009年に報道された。
【注9】麻生太郎副総理兼財務相は7月29日、都内であったシンポジウムで次のように話した。「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」
【注10】Howard Zinn 1922~2010。ニューヨーク市出身の歴史家。ボストン大名誉教授。「民衆のアメリカ史」のほか「反権力の世代」「テロリズムと戦争」など。
【注11】原題は「Saving Private Ryan」。1998年公開。スティーブン・スピルバーグ監督。主演はトム・ハンクス。ノルマンディー上陸作戦で、1兵士の救出に向かうストーリー。救出されるライアン2等兵役にマット・デイモン。
【注12】Henry Agard Wallace 1888~1965。アイオワ州出身。1941~45年、ルーズベルト政権で米副大統領。33~40年農務長官、45~46年商務長官。
【注13】いしばし・たんざん 1884~1973。東京都出身。ジャーナリストから46年に第1次吉田内閣の蔵相。54年に第1次鳩山内閣で通産相。56年、岸に競り勝って首相。脳梗塞で自宅で倒れ、在任65日で退陣した。
【注14】Nelson Rolihlahla Mandela 1918~。反アパルトヘイト運動で27年間投獄。90年に釈放後、アフリカ民族会議副議長。93年にノーベル平和賞。94年から99年まで南ア大統領。
【注15】Mikhail Sergeevich Gorbachev 1931~。1985年ソ連共産党書記長。ペレストロイカ(再建)とグラスノスチ(情報公開)を推進。90年ソ連大統領。翌年、ソ連は崩壊した。
【注16】Martin Luther King 1929~68。非暴力抵抗による公民権運動で64年にノーベル平和賞。68年、テネシー州メンフィスで暗殺された。
【注17】John Fitzgerald Kennedy 1947~63。61~63年アメリカ大統領。テキサス州ダラスで暗殺された。
【写真は、左から田中利幸、O・ストーン、1人おいてP・カズニック、1人おいて乗松聡子の各氏】

※「広島ジャーナリスト」は日本ジャーナリスト会議広島支部が年4回発行。B5判130㌻前後、1部500円。電話・ファクス082-231-3005。この記事は9月15日発行の「広島ジャーナリスト」14号に掲載。

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