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Monday, February 20, 2017

カナダ・オンタリオ州で南京大虐殺を記憶する日を設ける動きに対する、日系人団体の反対を批判する日系人の声明に賛同が集まっています。Japanese Canadians oppose Japanese Canadian groups' opposition against Ontario's Bill 79 - An Act to proclaim the Nanjing Massacre Commemorative Day

カナダ・オンタリオ州の州議会で昨年12月5日、毎年12月13日を「南京大虐殺を記念する日」として制定する法案が州議会議員スー・ウォング氏によって提出されました。「南京大虐殺記念日を宣言する法案」(Bill 79)である。この法案はオンタリオ州HPにあります。

この法案は、アジア側の第二次世界大戦については広島・長崎の原爆投下は特によく知られているのに比べ、南京大虐殺をはじめとするアジアにおける残虐行為の数々についてはオンタリオ州において十分に知られていないので、このような歴史を学び教訓を得る重要性を強調しています。オンタリオ州はカナダの最大都市トロントや首都オタワのある州、人口はカナダ最大(約1400万人ーカナダ全体では約3600万人)、アジア系住民も一番多い州(約260万人)です。オンタリオ州住民の中には、南京大虐殺に直接影響を受けた人々もいるとも指摘します。日本の占領下で20万人以上の中国の民間人と兵士が無差別に殺された事件の被害者に思いを馳せ記憶するために、12月13日を「南京大虐殺を記念する日」として制定する、とする法案なのです。

世界各地での、日本軍「慰安婦」を記憶するための碑や像には産経新聞、ナデシコアクションといった歴史を否定する勢力や日本政府自身が反対したり反対を促進したりしてきているが、今回も、こういった勢力は日本からたくさんの苦情を送ろうといった運動を起こしているようです。「南京大虐殺はなかった」とか、慰安婦に「強制がなかった」とか、日本でしか言われていないようなガラパゴス的歴史否定の論を海外にばらまく恥ずべき集団の数々です。

このような日本からの動きはさておいて、今回紹介するのは、これに対して、オンタリオの日系移民や日系カナダ人の中で反対する動きと、その反対を批判する動きが出ていることです。

NAJC(全カナダ日系人協会)は昨年12月7日に会長デイビッド・R・ミツイ氏の名前でBill 79に対する反対声明を出しました。反対理由(要約)は、1)外国政府同士の問題でありオンタリオ州とは関係ない;2)誰をも歓迎する開放的なオンタリオ州において、この法案は日系カナダ人社会への憎悪を促進する;3)この法案を通したら、国外で起きた事件について記憶するような同様の主張が堰を切ったように起こるであろう;4)この国の多様な構成員により成し遂げたことを祝うべきである;5)私たちは平和教育についてよく考え、全ての暴力と戦争を拒絶するべきである、とのことです。

NAJCは「カナダにおける17の構成団体を代表する唯一の団体(うちオンタリオは4団体)」と主張し、これが日系カナダ人団体のコンセンサスであるかのような言い方をしていますが、このNAJCの青年グループのメンバー、伊藤レン氏らから異議が上がり、このNAJCによる反対を取り下げることを求めるカウンター声明が出されました。これには、作家のジョイ・コガワ氏、広島の被爆者であるサーロー節子氏も賛同しています。私も賛同しました。

このカウンター声明の要旨を言うと、
★外国政府のことだから関係ないというが、NAJCは戦前からの日系人と戦後移住者双方を代表し、外務省を含む日本の機関と緊密に連携してきたのだからこの問題を「外国のもの」とはすることは矛盾している。
★この法案が「不寛容を促進する」とNAJCが主張するのは、ひとつの少数派の主張はもう一つの少数派を犠牲にすることを伴う、といった、どちらかを取るようなゼロサムゲームと見ることである。これは非常に問題のある見方だ。
★「達成を祝うべきだ」(注:過ちを非難するのではなく)とか、「全ての暴力と戦争を拒絶する」(注:特定のものではなく)とか言うのは私たち日系カナダ人が戦時強制収容への補償と謝罪を要求していたときにまさしく受けた、歪んだ非難である。
★日系カナダ人が勝ち取った「リドレス」(戦時収容への謝罪と補償)を思い起こせば、私たちは他者の正義への闘いに連帯する責任があるのだ。日系カナダ人の闘いのときに支持してくれた団体のひとつ、コリアン系カナダ人文化協会(KCCA)はこのBill79を支持している(「慰安婦」の歴史への気持ちを反映しているといえる)。NAJCがKCCAのような、私たちの闘いの時代の仲間を支持できないのであれば、NAJCは正義を求める勢力としての道義的正当性を失うであろう。
★このように、他者の痛みやトラウマと関連する複雑な問題は、まず関係者同士の対話を築かないといけない。しかしNAJCが、対話する相手に対して完全に不当な対立をしている限りはそのような対話を始めることすらできない。

このNAJCへのカウンター声明には、これらの理由から、NAJCのBill 79への反対を取り下げ、「難しくとも必要とされる和解の道にコミットするよう」促しています。

これに対してカナダの日本人、日系人、日系社会で活発に活動してきた人たちから賛同を募っています。このフォームで賛同できます。

これについて、トロント在住の日系移民であり、カナダ全国の日系人むけの月刊誌 Nikkei Voice (1987年創刊)の元日本語編集長の田中裕介氏のコメントを以下紹介します。

問題は、B79に対して日系社会の中から、反対する運動が出てきたことで発生した。法案反対の署名運動を展開しているのは、全カナダ日系人協会(NAJC)と、もう一つ団体、トロントの日系文化会館(JCCC)です。 
日系文化会館は、今回初めて慈善団体の資格を失う恐れも辞せずに関与し出しました。両団体ともに、日系人の第二次大戦時の強制収容体験を引き合いに出しており、NAJCは、B79は、外国の問題である、不寛容を助長する、他国の多くの問題を持ち込ませる結果となる、カナダが多様な民族の集合体であることを祝福すべきだ、暴力や戦争を拒否し平和教育を考えるべきだ、等。 
後者JCCCは、これに加えて、B79は80年も前の問題であり、これまでの日本とオンタリオ州の文化、経済分野での貢献に否定的な影響を与える、かつて18000人の日系人が迫害された。これは外国の記念日を法制化するもので、これによりまた日系人を嘲笑(derision)の標的とするものだ、等。 
これに対して、NAJCが育ててきたユースグループが、会長を名指しで、それは全く間違っていると、いうならば飼い主に噛み付いた。NAJC会長に宛てた伊藤レンの手紙がそれだ。手紙の内容は、NAJCのB79への反対理由は、正義を求める戦いをしてきた人々を黙らせ、疎外するレトリックだ。迫害された過去の不正義を正す戦いであり、日系人は彼らと一緒になって正義を求める責任があるのだ。この問題が複雑であることは間違いない、まず最初にすべきことは、反対運動に立ち上がることではなく、彼らの代表と対話を持つことではないのか、それゆえ、この反対署名運動は撤回すべきである、等。 
1988年、日系社会はカナダ政府の謝罪と補償を勝ち取るという、これまでの世界の人権、公民権運動にない、初の金字塔を打ち立てました。私が日系新聞の編集者として雇われたのは、その1年後のことでした。 
当時、日系社会はカナダの人権運動の牽引車だと称えられて燃えていました。日系ボイスの編集方針は明快で、人権運動の推進、コミュニティの再興、他のエスニック団体の戦いに協力するというものです。 
第一に取り組んだのが、先住民との共同での大地と霊の祭りの開催。1991年、ハーバーフロントに三日間で10万人の人を集めました。続いて、中国系、コリア系、フィリピン系、カナダの香港P0W南京虐殺事件、従軍慰安婦問題の解決のための支援でした。 
こういった集会には、必ずNAJCの代表が挨拶に立っていました。
ここで、皆さんにみてもらいたいのは、NAJCはかつては他者の問題に対して、自分たちの体験を踏まえた共鳴感compassionを示し、共闘してきたということです。つまり、人権運動の牽引車として姿勢を示していたということです。この姿勢は、1990年代を通じて続きました。
リドレスから来年で30周年を迎えます。さて、もう一度、B79に対するNAJCの主張を吟味してください。
その文面には、他者の立場に対する共鳴、同情という多民族共生社会には必要欠くべからざる想像力が全くないことに気づいてください。
オンタリオ議会は、1998年にホロコースト記念日を制定しました。これは、ユダヤ系に対する根深い人種差別に対して政府は断固たる態度を取るぞという決意表明でもあります。
これに対して、ユダヤ系を差別する側から「不寛容を煽るな」という反対運動が起きたでしょうか。
また、Mayor for Peaceを自称するトロント市長は、核兵器に反対し、世界平和に貢献すべく1983年に市庁舎前に平和庭園を造成し、広島の灯、長崎の水を注いで今に至っています。
私たち、トロント広島長崎原爆記念日連合は、毎年、この平和庭園の前で8月6日に灯篭を各自が作り、池に浮かべて、戦争で犠牲になったあらゆる人への思いを馳せて、平和な世界の樹立を願う集いを続けています。
これに対して、いやあの原爆投下は正しかった、平和集会を止めろと反対運動があったでしょうか。
米国人からの妨害などありませんでした。しかしながら、ここへきて、日本人コミュニティから信じられない挑戦状を突きつけられたのです。
それは、昨年夏のイベントで、平和への思いを込めた言葉を書いた灯篭の中に、「南京虐殺は捏造だ!」、「憲法9条はいらない!」と日英語で書かれたものがあったのです。(下に写真)
2016年8月6日、トロントで広島長崎を記憶する
灯篭流しでこのようなメッセージを書いた人がいた。
Abolish Article 9! (憲法9条を破棄せよ!)
Nanjing Massacre was fake.(南京大虐殺は嘘だ)
とある。「平和」の催しで信じがたい。

イベント終了後の掃除中にこれが発見され、あまりのことの重大さに、対応を検討すべく、広げて写真におさめたものです。
問題は、参加者の中もいた、戦後移住者のリーダー格の人が得意げにこれを書いていたということです。
 
不寛容を煽っているのは、一体どういう人たちなのでしょうか。しかも、戦争犠牲者の慰霊の場であることも全く念頭にない。 
憲法9条を、1946年、当時の日本人たちがどんな思いで制定したのか、80年前の南京市の女学生たちが、農民たちが、殺される直前に経験した恐怖は一体どんな光景だったのか。
あらためて、記憶にとどめ不戦の誓いを他のカナダ人と一緒に、日系人が先頭になって行うことに、何の羞恥の念もためらいも必要ありません。
そして、多民族社会であり、とりわけアジア系が他都市よりも多いオンタリオで、欧州の歴史とアジアの歴史を学び、次世代が平和な未来を築く材料としてほしいと思います。
以上、30年前からトロントで人権運動に関わってきた一人の日本人移民の意見です。
( たなか・ゆうすけ 元日系ボイス・マネージングエディター​ 。
​​現在は日系メディア等に寄稿している。トロント憲法九条の会、広島長崎記念日連合委員、トロント・コリアン映画祭理事。1994年以来トロントで「語りの会」を主宰し、海外にも出張し英語で日本の昔話、アイヌ民話や創作話などをギターの弾き語りをまじえて演じている。1951年札幌市出身。早大卒。当ブログでの田中氏の過去記事はこちらを。)

以上、田中裕介氏のコメントでした。私も深く共感できます。いろいろな意見があるでしょうが、日本軍が行った「慰安婦」や「南京大虐殺」といった残虐行為を記憶し歴史の教訓を次世代に生かそうとする行為に対し、日系人や日本移民が率先して組織的に反対するのは本当に恥ずべきことと思います。

オンタリオ州議会の「南京大虐殺を記念する日」制定への法案、Bill 79への日系人団体の反対を取り下げるよう呼びかける伊藤レン氏のレターへの賛同はこちらのフォームからしてください。(カナダの日系人、日本人、日系社会に関与している人たちに呼びかけています)。

Peace Philosophy Centre 乗松聡子







Thursday, February 09, 2017

ジョン・ピルジャー『きたる対中戦争』John Pilger: The Coming War on China

 ドナルド・トランプは2016年のニューヨーク・タイムズとのインタビューで、米国は世界の警察官をやめて国防費を削減すると主張していた。彼が国防長官に任命したジェームズ・マティスは、就任早々の2月2日に韓国、続く3日に日本を訪問した。そこで確認されたのは、2017年内のTHAAD配備尖閣諸島にも安保条約第5条が適用されること、普天間基地の移設問題については名護市辺野古沖が唯一の移転先など、オバマ政権が進めてきた軍事力による支配を継続する内容だった。これが中国を刺激するのは当然の成り行きだ。マティス国防長官はトランプ政権の閣僚の中で最も「まとも」だと言われるが、それは従来の政策からの乖離が少ないという意味でもある。トランプの中で従来路線の堅持が固まっているのなら、軍事費の総額が減るはずもなく、真意は世界の警察官をやめることではなく、軍事費をさらに他国に肩代わりさせることに違いない。
 今回紹介するジョン・ピルジャーの記事は、先鋭的な暴露記事で知られるアメリカの雑誌『カウンターパンチ』電子版に掲載されたもので、彼が最近制作したドキュメンタリー映画と同じタイトルが付けられ、オバマ政権下で準備されてきた中国を仮想敵国とする軍事政策を、トランプが継承したことが語られている。マティスが今回確認したのは、そのような対中戦争準備に他ならない。

翻訳・前文:酒井泰幸
文中の[ ]内は訳者注。

『きたる対中戦争』


ジョン・ピルジャー著

2016年12月2日

 1967年に私が初めて広島へ行ったとき、石段に付いた影はまだそこにあった。休んでいる人間の姿がほぼ完全な形で刻印されたものだった。両足を広げ、背中を丸め、片手を傍らに置いて座り、銀行の開店を待っていた。1945年8月6日の朝8時15分、彼女と影法師は花こう岩に焼き付けられた。私はその影を1時間以上見つめていた。それを忘れられずにいる。何年も経って再びその場所を訪れたとき、その影は無くなっていた。撤去され「消滅した」。政治的に恥ずべきことだ。(訳注1)

 私は2年をかけてドキュメンタリー映画『きたる対中戦争』(Coming War on China) を制作した。この映画が証拠と証言で警告するのは、核戦争がもはや影ではなく、偶発的に起こり得ることだ。アメリカが率いる軍事力の蓄積は第二次世界大戦後最大規模で進んでいる。それは北半球にあって、ロシアの西部国境とアジア太平洋地域で中国と対峙している。

 これが招き寄せる大きな危険は目新しいものではないが、埋没し歪曲されている。20世紀の大半にわたり人々の意識に埋め込まれてきた精神病的な恐怖を、主流メディアの捏造記事が、こだまする太鼓のように繰り返す。

 ソビエト崩壊後のロシアの再興と同様に、中国が経済大国として勃興したことは、アメリカ合州国が人間社会を支配する神権の「存続に対する脅威」だと宣言する。

 これに対抗するため、2011年にオバマ大統領が発表した「アジア基軸戦略」は、2020年までに米海軍のほぼ3分の2をアジアと太平洋に移転することを意味するものだった。現在、400以上の米軍基地が、ミサイル、爆撃機、軍艦、そして何より核兵器で中国を包囲している。オーストラリアから太平洋を北進し、日本と、朝鮮半島、ユーラシア大陸の反対側のアフガニスタンとインドまで、基地が「完全な輪」を作っていると、ある米国の戦略家はいう。

 ベトナム以来アメリカの戦争を立案してきたランド研究所の報告書は、「中国との戦争:考えられないことを通して考える」と題されている。米陸軍に委嘱された著者たちが、このタイトルで思い起こさせるのは、冷戦だ。当時、ランド研究所の主席戦略家ハーマン・カーンが作ったキャッチフレーズ「考えられないことを考える」は悪名高い。カーンの著書『熱核戦争について』では、ソビエト連邦に「勝てる」核戦争の計画を詳しく述べた。

 現在、カーンの終末論的な見通しを共有しているのは、アメリカ合州国で実権を握る人々、つまり、行政機関、ペンタゴン、諜報機関、「国家安全保障」を牛耳る人々、そして議会の中にいる軍事専門家とネオコンたちだ。

 国防長官のアシュトン・カーター[執筆当時]は、挑発的な発言の多いことで知られるが、「アメリカから支配権を奪い取りたいと望む」者たちと対決するのが米国の政策だと言っている。

 外交政策での打開を図る試みにもかかわらず、この見解はほぼ確実にドナルド・トランプのものと同じだ。彼が選挙戦で放った暴言には、中国はアメリカ経済の「レイピスト」だというものもあった。12月2日に、中国を直接挑発する形で、トランプ次期大統領は台湾の総統と話した。中国は台湾を本土への反乱地域と見なしている。アメリカのミサイルで武装した台湾は、ワシントンと北京の間にくすぶる消えない火種だ。

 ジョージ・ワシントン大学で国際情勢が専門のアミタイ・エツィオーニ教授は次のように書いた。「アメリカ合州国は中国との戦争を準備しており、これは重大な決定だが、現在まで選出議員、つまりホワイトハウスと議会による、徹底的な検討を受けることがなかった」。またこの戦争は「中国の地上・海上のミサイル発射装置…衛星と衛星攻撃兵器などの接近阻止施設に対する目くらまし攻撃」で始まるだろう。

 この計り知れないリスクは、「内陸部への攻撃が中国の核兵器を無力化する先制攻撃と誤認されかねず、『使わなければ負ける』の恐ろしいジレンマへと追い込み、核戦争につながる(かもしれない)」ことだ。

 2015年に、ペンタゴンは戦時法規マニュアルを公表した。それによれば、「アメリカ合州国は核兵器の使用自体を禁止する条約法を受け入れていないので、核兵器はアメリカ合州国にとって合法的な兵器である」。

 中国では、ある戦略家が私に語った。「我々はあなた方の敵ではないが、もし(西側陣営の)あなた方が我々を敵とするなら、我々は遅滞なく準備しなければならない」。中国の軍隊と兵器はアメリカに比べれば小さい。しかし、「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラキーは次のように書いた。「初めて中国は核ミサイルを厳戒態勢に置くことを議論している。攻撃の警告があれば速やかに打ち上げ可能にするためだ…。これは中国の政策における重大で危険な変化となる…。実際、アメリカ合州国の核兵器政策は中国核戦力の警戒レベルを引き上げるよう中国の主唱者に影響を与える最大の外部要因だ」。

 テオドール・ポストル教授は米海軍作戦本部の科学顧問だった。核兵器の権威である教授は私にこう語った。「ここにいる全員が、自分はタフガイだと見られたいと思っています。私がタフであろうとするなら…私は軍事行動を恐れず、脅迫を恐れず、胸毛だらけのゴリラであることが必要です。私たちが陥っている状況は、アメリカ合州国はおびただしい軍事力を誇示する状況で、実はこれをトップが画策しているのです」

「これは非常に危険な状況に見えます」と私は言った。

「それは過小評価というものです」。

 2015年に、並々ならぬ秘密に包まれて、米国は冷戦以後では単一で最大の軍事演習を実施した。これは「タリスマン・セーバー(加護の剣)」と呼ばれ、大艦隊と長距離爆撃機を使ってマラッカ海峡のシーレーンを封鎖し、中国が石油、ガスその他の原材料を中東とアフリカから入手できないようにする、「対中国エアシー・バトル(空海一体戦)構想」(ASB)のリハーサルだった。

 このような挑発と米海軍による海上封鎖への恐怖こそ、中国が紛争の渦中にある南シナ海の南沙諸島の珊瑚礁と小島に戦略的な飛行場を無我夢中で建設している理由なのだ。昨年7月に、国連の常設仲裁裁判所は、中国が主張するこれらの島々の統治権は認められないと裁定した。この訴訟はフィリピンが起こしたものだったが、訴状を提出したのはアメリカとイギリスの著名な弁護士で、さらに元をたどればヒラリー・クリントン米国務長官に行き着く。

 2010年に、クリントン国務長官はマニラに飛んだ。彼女はアメリカの元植民地フィリピンに、閉鎖された米軍基地の再開を要求した。この基地が1990年代に閉鎖されたのは、基地が作る暴力、特にフィリピン人女性に対する暴力に対する大規模な反対運動の結果だった。南沙諸島はアメリカ合州国から1万2千キロ以上離れているが、中国がその領有を主張していることについてクリントンは、米国の「国家安全保障」と「航行の自由」への脅威と宣言した。

 数百万ドル分の武器と軍装備品を受け取った、当時のベニグノ・アキノ大統領政権は、中国との二国間交渉を離脱し、米国との秘密の防衛協力強化協定(EDCA)に署名した。この協定により、輪番で駐留する5つの米軍基地を開設し、米軍と請負業者はフィリピン国内法の縛りを受けないという、忌み嫌われた植民地条項が復活した。

 ロドリーゴ・ドゥテルテが4月に大統領に選出されたことで、ワシントンに動揺が走った。自称社会主義者のドゥテルテは、「フィリピンと世界の関係において、フィリピンは独自の外交政策を進める」と宣言し、アメリカ合州国は植民地への残虐行為に対して謝罪していないと指摘した。「私はアメリカと決別する」とドゥテルテは言い、米軍の追放を約束した。だが米国はフィリピンに留まり、合同軍事演習が継続する。

 「インフォメーション・ドミナンス(情報支配)」とは、メディア操作、つまり偽ニュースを指す業界用語で、これにペンタゴンは40億ドル以上を費やしている。2014年に、情報支配の名のもとに、オバマ政権は世界最大の通商国である中国を、「航行の自由」への脅威と見なす宣伝活動を開始した。

 CNNが先頭を切って、「国家安全保障担当記者」が南沙諸島上空を偵察飛行する米海軍機上から興奮気味に伝えた。BBCは怖じ気づくフィリピン人パイロットを説得して単発エンジンのセスナ機で係争中の島々の上空を飛び、「中国がどう反応するか見た」。この記者たちの中に、なぜ中国が自国の海岸線より沖合に飛行場を建設していたのか、またなぜ米軍が中国の玄関口に集結していたのかを問う者はいなかった。

 最高位の伝道者に指名されたのは、アメリカ太平洋軍司令官のハリー・ハリス海軍大将だ。「私の責任範囲は、ボリウッド(インド映画産業)からハリウッドまで、ホッキョクグマから南極のペンギンまで含む」とハリス大将はニューヨーク・タイムズに語った。帝国支配をここまで端的に表明した例はなかった。

 ハリス大将はペンタゴンの陸海空軍大将たちの一人として、選ばれた従順なジャーナリストや放送記者たちに、脅威を正当化する目的を説明する。それは、イラクと中東の大部分を破壊したことを、ジョージ・W・ブッシュ大統領とトニー・ブレア首相が正当化したのと同じように、見掛け倒しの説明だ。

 ロサンゼルスで9月に、ハリス大将は「報復主義者のロシアと強引な中国に対抗する準備がある」と宣言した。「もし我々が今夜戦わなければならないなら、フェアな戦いをしようなどと私は思わない。相手がナイフを使うなら、私は銃を使う。相手が銃なら私は大砲で…、それも仲間全員に大砲を持たせて対抗する」。

 ここでいう「仲間」に含まれる韓国では、ペンタゴンの高高度防衛ミサイル「THAAD(サード)」の発射台が、表向きには北朝鮮を狙っている。ポストル教授が指摘するように、真の標的は中国だ。

 オーストラリアのシドニーで、ハリス大将は中国に「南シナ海の万里の長城を取り壊す」よう要求した。このイメージは一面トップのニュースになった。オーストラリアはアメリカの最も追従的な「仲間」で、政治指導層と軍部、諜報機関、メディアが一体となって、いわゆる「同盟」を形作っている。同国を訪問したアメリカ政府「要人」の車列を通すためにシドニーハーバーブリッジを閉鎖することも珍しくない。戦争犯罪人のディック・チェイニーはこの栄誉に浴した。

 中国はオーストラリア経済のほとんどを依存する最大の貿易相手だが、「中国への対抗」はワシントンからの絶対命令だ。首都キャンベラにいる少数の反体制派政治家は、マードックが支配する報道メディアの中では、マッカーシズム[1950年代アメリカでの共産主義者の追放]のようなブラックリストに載せられることを覚悟しなければならない。「オーストラリアの皆さんは何が起ころうと我々と共にあります」と言ったのは、ベトナム戦争を構想した人々の一人、マクジョージ・バンディだ。最重要の米軍基地の一つは、ノーザンテリトリーの街アリススプリングス近くにあるパイン・ギャップだ。CIAが建てたこの基地は、中国とアジア全域をスパイし、アメリカが中東で行うドローンを使った殺人戦争に不可欠の役割を果たしている。

 10月に、オーストラリアの最大野党、オーストラリア労働党の防衛スポークスマンであるリチャード・マールズは、中国に対する挑発行為の「作戦判断」は南シナ海の軍司令官に一任するよう要求した。つまり、核戦力を用いた戦争を意味するかもしれない決定を、選挙で選ばれた指導者や国会ではなく軍の大将が行うべきだと言っているのだ。

 これがペンタゴンの方針で、民主主義を自認する国家からの歴史的逸脱だ。ペンタゴンのワシントンでの権勢は、[ベトナム戦争の機密文書、ペンタゴン・ペーパーズの暴露で知られる]ダニエル・エルズバーグが静かなクーデターと呼んだように、アメリカが9.11以降の侵略戦争に費やした記録的な5兆ドルという金額に現れていると、ブラウン大学の研究が示している。イラクで死んだ百万人と、少なくとも4カ国から脱出した1200万人の難民が、この結果だ。

 日本の沖縄には32の軍事施設があり、アメリカ合州国はここから、朝鮮半島、ベトナム、カンボジア、アフガニスタン、イラクへの攻撃を行った。現在、主要な標的は中国だが、沖縄住民は中国と親密な文化と貿易の関係を結んできた。

 沖縄の空には常に軍用機が飛び、ときおり家屋や学校に墜落する。人々は眠ることができず、教師は教えることができない。自分たちの国の中だというのに、どこへ行っても基地はフェンスで囲われ、立ち入り禁止だと言われる。

 1995年に米兵が集団で12歳の少女を強姦したことをきっかけに、大規模な沖縄基地反対運動が巻き起こった。それは同様な何百もの犯罪の一つに過ぎず、多くは起訴されない。日本国外ではほとんど知られていないが、この抵抗運動は日本で初めて基地反対の知事、翁長雄志の選出へとつながり、本土政府と超国家主義者である安倍晋三首相が日本の「平和憲法」を破棄する計画にとって、不慣れな障害物となった。

 この抵抗運動には87歳の島袋文子も加わっている。彼女はアメリカの侵攻で沖縄住民の4分の1が死んだ第二次世界大戦の生き残りだ。沖縄戦で、文子ら数百人が戦火に追われて命からがら避難していたのは、いま彼女が守ろうとしている美しい大浦湾の辺野古だった。米国は爆撃機用の滑走路を拡張するためこの湾を破壊したがっている。「私たちの選択は、沈黙か命かです」と文子は言った。私たちが米軍基地キャンプ・シュワブの外で平和的に集まっている時に、巨大なCH-53シースタリオン・ヘリコプターが私たちの上でホバリングした。私たちに対する脅し以外に理由は考えられない。

 東シナ海の向こうに韓国の済州島がある。亜熱帯の楽園で、「世界平和の島」として世界遺産に登録されている。上海から650キロ足らずの場所にあるこの世界平和の島に、世界で最も挑発的な軍事基地の一つが建設された。漁村のカンジョン(江汀)村を圧倒しているのは、中国を狙うイージスミサイル・システムを搭載する米国の航空母艦、原子力潜水艦、駆逐艦のため専用に作られた韓国の海軍基地だ。

 これらの戦争準備に対する民衆の抵抗運動は10年近くにわたって済州島に存在してきた。毎日、たいてい1日2回、村の住民とカトリックの神父、世界中から集まった支持者たちが、基地のゲートを塞いでキリスト教のミサを行う。韓国では単なる政治的デモは禁止されることが多いが、有力な宗教のミサの形をとる戦術が功を奏し、気持ちを奮い立たせる光景を作り出した。

リーダーの一人、ムン・ジョンヒョン(文正鉉)神父は私にこう語った。「どんな天気の日でも、私は基地で毎日4曲歌います。台風の中でも歌います。例外はありません。この基地を建設するために、彼らは環境を破壊しました。住民の生活を破壊しました。我々はその目撃者になるべきです。彼らは太平洋を支配したいのです。彼らは中国を世界から孤立させたいのです。彼らは世界の帝王になりたいのです。」

 私は済州島から上海へ飛んだ。30年ぶりか、それ以上だ。以前私が中国にいたときの記憶では、一番うるさい騒音がチリンチリンと鳴る自転車のベルで、毛沢東が死んでから日は浅く、街は暗く、不吉な予感と明るい希望がひしめき合っていた。それから2〜3年後、「中国を変えた男」鄧小平が「最高指導者」となった。現在の驚くような変化は想像すらできなかった。

 中国は、この上ない皮肉を呈する。極めつけは1921年に毛沢東と同志たちが秘かに中国共産党を設立した上海の家[中国共産党第一次全国代表大会会址]だ。それが立つ場所は、いまや非常に資本主義的なビジネス街の真ん中だ。この共産主義の聖地から、毛主席語録の赤本と毛沢東のプラスチック製の胸像を手に一歩外へ出ると、スターバックス、アップル、カルティエ、プラダがそこを取り囲んでいる。

 毛沢東は驚くだろうか? そうは思わない。1949年の大革命[中華人民共和国の建国]の5年前、毛沢東は秘密のメッセージをワシントンに送った。「中国は工業化しなければならない。これは自由企業によってのみ達成可能である。中国とアメリカの国益は、経済的にも政治的にも一致する。アメリカは、中国が非協力的になると恐れる必要はない。我々は紛争の危険を冒すことはできない」と、彼は書いた。

 毛沢東はフランクリン・ルーズベルトにホワイトハウスで面会するよう申し入れ、ルーズベルトの後継者ハリー・トルーマンにも、その後継者ドワイト・アイゼンハワーにも申し入れた。歴代の大統領は毛沢東を拒絶するか、わざと無視した。アジアでの戦争を回避し、数多くの命を救い、現代史を変えたかもしれないチャンスが失われたのは、これら序章の真実が1950年代のワシントンで否認されたからで、ジェームス・ネアモアが書いたように、「冷戦のカタレプシー的な[固まった]恍惚状態が、我が国を固く掌握した」からだ。(訳注2)

 主流メディアによる偽のニュースが、再び中国は脅威だというイメージを作っているのは、同じ精神構造だ。

 世界は否応なく東にシフトしているが、中国を中心としたユーラシアという驚くべきビジョンは、西側ではほとんど理解されていない。「新シルクロード」は、はるばるヨーロッパまで続く、貿易、港湾、パイプライン、高速鉄道の帯だ。鉄道技術で世界をリードする中国は28カ国とルート交渉をしており、そこを走る列車は時速400キロに達する予定だ。世界に向けたこの開国は人類の大多数の願いにかなっており、その経路上で中国とロシアが結ばれる。

 「私は全身全霊でアメリカ例外主義の正当性を信じている」というバラク・オバマの発言は、1930年代の盲目的な崇拝を思い起こさせた。この優越性という現代のカルト宗教こそが、アメリカ主義、つまり世界を支配する捕食動物だ。ノーベル平和賞を受賞したリベラルなオバマ大統領の下で、核弾頭への支出は冷戦終結後のどの大統領の時代よりも高く上昇した。B61モデル12というミニ核兵器が計画されている。元米統合参謀本部副議長のジェームズ・カートライト大将によれば、「小型化すれば(使うことを)もっと考えやすくなる」ということを意味する。

 9月に、米国の主流地政学シンクタンクである大西洋評議会(アトランティック・カウンシル)が公表した報告書は、ホッブズ的な[万人が万人に対して闘争する]世界を予測し、それは「秩序の崩壊、暴力的な過激思想、果てしない戦争の時代を特徴とする」。新しい敵は「復活した」ロシアと「ますます好戦的になる」中国だった。勇敢なアメリカだけが我々を救うのだ。

 この戦争挑発は気違いじみている。それはあたかも、アメリカの帝国主義者でタイム誌の所有者であるヘンリー・ルースが1941年に宣言した「アメリカの世紀」が予告もなく終わったのに、誰も帝王に「銃を持って家に帰れ」と告げる勇気がないかのようだ。


(以上、翻訳終わり)


訳注1:「人影の石」は広島平和祈念資料館に移設展示されている。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/outline/index.php?l=J&id=31

訳注2:カタレプシーとは、受動的にとらされた姿勢を保ち続け、自分の意思で変えようとしない状態。統合失調症やヒステリーなどでみられる。蝋屈症。



John Pilger

著者のジョン・ピルジャー(John Pilger) は、1939年オーストラリア生まれ、ロンド ン在住のジャーナリスト、ドキュメンタリー映画作家。50本以上のドキュメンタ リーを制作し、戦争報道に対して英国でジャーナリストに贈られる最高の栄誉「ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」を2度受賞、記録映画に 対しては、フランスの「国境なき記者団」賞、米国のエミー賞、英国のリチャード・ディンブルビー賞などを受賞している。ベトナム、カンボ ジア、エジプト、インド、バングラデシュ、ビアフラなど世界各地の戦地に赴任した。邦訳著書には『世界の新しい支配者たち』(井上礼子訳、岩波書店)がある。また、過去記事は、デモクラシー・ナウTUPなどのサイトにも多数掲載されている。

ジョン・ピルジャーのウェブサイトはこちら。www.johnpilger.com


関連投稿


ジョン・ピルジャー:なぜヒラリー・クリントンはドナルド・トランプよりも危険なのか (2016年4月29日掲載)

ジョン・ピルジャー「今なぜファシズム台頭が再び問題になるのか」(2015年3月28日掲載)
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2015/03/jon-pilger-why-rise-of-fascism-is-again.html




Friday, February 03, 2017

緊急シンポジウム「沖縄はどうすべきか」 報告 Symposium: What Should Okinawa Do?

1月28日(土)午後2-5時、沖縄大学で開催された、沖縄対外問題研究会主催のシンポジウム「沖縄はどうすべきか」に登壇したときの発表原稿をここに共有します。



乗松聡子 冒頭発言用原稿

(時間の制約からシンポでは一部割愛して話しています)


沖縄の自己決定権実現のために


自分の立ち位置
 このシンポのテーマは「沖縄はどうすべきか」ということですが、まず自分は自分の立ち位置をここで確認しなければと思っています。宮里さんが新刊書『沖縄VS安倍政権』(高文研、2016)
宮里政玄著
『沖縄VS安倍政権』
第4章冒頭でも述べているように沖縄では「自己決定権」
self-determination の正当な主張がなされるようになりました。私は沖縄人ではありません。私は大人としての人生の大半をカナダで過ごしてきて今に至ります。私はカナダ人としては、NATOにおける米国の同盟国の一員として、米国による続く沖縄軍事植民地化に対し責任がありますし、サンフランシスコ条約に署名した連合国の一員として沖縄に対する戦争責任、1952年に沖縄を日本から切り離した責任も担うと思っています。私はさらに日本人であり、沖縄を植民地化し、太平洋戦争では沖縄を利用しかつ見殺しにし、「返還」後も沖縄に米軍基地を押し付けてきた日本の一員です。これらの自分の立ち位置からも、沖縄に「こうすべきだ」と言う資格はないと思っています。逆に私が責任もってすべきことは、日本が沖縄に対して行ってきた歴史的不正義を正すことです。そして沖縄の「自己決定権」が早く実現するように尽力することです。

自己決定権
 1月3日に琉球新報で発表された県民意識調査では、「独立」希望が2.6%、「連邦制」が14.0%、「沖縄単独州、自治州、特別県制など」が17.9%、あわせて34.5%つまり約3人に1人が、現状維持ではなく沖縄の自己決定権の度合いを高める選択を希望しています。そうではなくても、宮里さんが本書93ページで強調しているように、「自己決定権」は沖縄で一般的に使われるようになっており、その理由は、1)県民の多数派が望まないにもかかわらず普天間基地の移設と称して新基地を県内に強要したり、2)2013年11月、当時の石破自民党幹事長が、県外移設を主張していた県選出の国会議員を転向させさらし者にしたりするような日本政府の沖縄に対する差別的・屈辱的行為にあります。だから私は「沖縄がどうすべきか」よりも「日本人がどうすべきか」ということに重点を置きたいのであり、自分たち日本人が沖縄に何をしてきたのかを知り、差別をやめて平等な関係を築き直せるように尽力していきたいと思っています。

米国という侵略国家
 私は日米安保、日米同盟は当然解消すべきと思っています。日本の主要メディアの報道は日米軍事同盟堅持のためのプロパガンダであろうと思うほどに米国性善説的な報道が多く、米国がいかに恐ろしい軍産複合体に支配された侵略帝国であるかを日本も沖縄も十分知らされていません。逆に「西側」メディアの偏った見方に影響された日本メディアによって「中国」「北朝鮮」「ロシア」への敵視をこれでもかこれでもかというように毎日叩き込まれています。だから「日米同盟」といった言葉を簡単に口にできてしまうのではないかと思います。今の風潮では、ドナルド・トランプ新大統領が米国や世界への新たな脅威であるかのように思っている人が多いようですが、米国は建国以来、とくに第二次世界大戦以来、世界でもっとも強大な侵略国家であり続けてきましたし、今もアジアでは中国、欧州や中東ではロシアを敵視して、同盟国を動員し、戦争も起こしかねない脅しを仕掛け続けています。

 それは3年半前沖縄に来た、ベトナム戦争映画などで知られるオリバー・ストーン監督とアメリカン大学のピーター・カズニック教授が共作で作ったドキュメンタリー映像と書籍『語られないアメリカ史』The Untold History of the United States(日本語訳は『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』でわかります。沖縄で丁寧な取材をした映画監督・ジャーナリストのジョン・ピルジャーの新作『きたる対中戦争』(Coming War on China)、米国の「平和のための退役軍人会」Veterans For Peaceも推薦するジョエル・アンドレアスのマンガ『戦争中毒』(Addicted toWar)、フランク・ドレルの映像集『私が米国の外交政策について学んだこと』(What I have learned about U.S. Foreign Policy)、済州島や沖縄についてのドキュメンタリーを作ってきたレジス・トレンブリーの『戦争合衆国』(The United States of War)などの映像群をみても、米国とその軍産複合体は第二次世界大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東での数々の戦争に加え数えきれないほどの戦争を、抵抗手段をもたない貧しい国々に対して起こしてきており、その地で民主的に選ばれた指導者を米国で訓練した殺し屋に暗殺させたりクーデターを起こさせたりして政権転覆させたりといったことを数多くしてきているわけです。日本に対しては、第二次大戦中から天皇を利用した日本の反共産主義の砦としての利用をたくらむ動きが戦後に表面化し、戦犯を解放して日本の権力の中枢に戻し、米国の傀儡政党である自民党をCIAの資金等でたくみに操りながら沖縄の軍事占領も継続してきました。まずは米国という戦争国家の歴史と本質を知ることが大事と思います。

「日本は人質」
一月半ば、オリバー・ストーン監督は新作映画『スノーデン』をひっさげて来日し、TBSの「ニュース23」でインタビューを受けました。その中で、米国の情報機関による米国を含む世界中の「無差別監視」の実情を暴露するこの映画の重要性を強調しましたが、とくにその中の日本についての記述に恐るべきものがありました。NSA(国家安全保障局)職員のスノーデンは横田基地で2年仕事をしていましたが、米国は「将来的に日本がアメリカの同盟国でなくなったときのためにスパイプログラムをダム、駅、発電所、銀行などに組み込んでいた。いざとなれば機能停止に追い込める」とスノーデンは証言しています。これが本当なら恐ろしいと思いませんか。オリバーはインタビューでこう言いました。日本は「 アメリカの同盟国として核の傘の下にいることは、アメリカが中国に攻撃的になるように煽るようなもので、危険なことです。日本は素晴らしい文化を持つ国だが問題があります。かつて持っていた主権を失ったのです。アメリカの衛星国とされており、アメリカの人質として取られている状態なのです」と。

米国との関係
 私は反米ではありません。米帝国の横暴に心を痛め、やめさせようとがんばっている良心的な米国人の友だちがたくさんいます。東日本大震災後「トモダチ・オペレーション」というのがありましたが、私は日本に米国と本当のトモダチになってほしい。米国が標榜する民主主義や人権を、国外でも実現してほしい。私は日本が米国の真の意味でもトモダチになるのであれば、日米安保・軍事同盟関係を解消し、在外米軍基地や米軍軍事行動をふくむ、米国とその軍産複合体が世界中で脅威を振りまいていることをやめさせるようにトモダチとして警告するような立場になるべきと思っています。そのような政府を日本の有権者は選ばないといけない。

しかし現実は厳しいです。戦後70年の共同通信の全国世論調査では日米同盟解消と言う人は2%というデータがあります。これも、同盟を結んでいる相手がどれだけ恐ろしくむごたらしい殺人と主権・人権侵害を世界中で行ってきている国なのかということを知らない所産ではないかと思います。沖縄での2015年の県民意識調査でも、日米安保が役に立っていると6割程度の人が回答しており、アメリカに親近感を感じる人も同程度なのですが、こと中国となると1割のみで、9割近くの人が親近感を持たないと答えているのです。日本も沖縄もメディアは、米国賛美と、中国&北朝鮮&ロシアという米国の仮想敵国の悪魔化の記事ばかりで世論もこのメディアによる洗脳の結果と理解します。これらの国にもちろん問題はありますが桁違いの脅威は米国であるということを忘れて、一方的な情報のシャワーばかりを毎日浴びせられていると人は洗脳されていくものです。この洗脳によって日本はオリバーのいう「米国の属国・人質」であることを半永久に認めていってしまうのではないかというのが心配です。しかし諦めずに活動・発信を続けたいと思っています。

差別解消のために
 そこでジレンマが生じるのは、日米安保を解消できる見込みが当分ない場合沖縄に集中させられている基地をこのままにしていいのかという問いです。沖縄や日本では、日米安保に反対し真の平和を願う人の中にも「県外移設」つまり沖縄の基地を本土に移して沖縄の差別状態・過重負担状態から脱すべきだという声も増えてきています。私もこれには賛成です。日本人がその民主主義の中で置くと同意している米軍基地を自分たちの地、つまり日本に置くのは当然であるからです。というか、日本人としてこれに反対できる理由はありません。私は海外にいることからも自分の住んでいる場所に引き取ろうという運動はできないでいますが、「引き取り」への訴えを否定する日本人に対し、安保を解消できないかぎりこれを否定することは差別を正当化することと一緒である、と伝え続けてきています。この問題については「東アジア共同体研究所琉球・沖縄センター紀要2号」(2016年10月発行)に考えを寄稿してあります。

日米軍の一体化
また宮里さんが本書113ページで指摘しているように、米軍と自衛隊と称する日本の軍隊の訓練と運用の一体化、基地の共同利用はますます進んでおり、もう、日本中の基地から米軍の基地だけ取り出して議論する意味もあまりなくなってきています。今沖縄では、米軍専有基地の面積の割合から、日本の国土の0.6%の土地に70%の基地(北部訓練場約4千ヘクタール返還後)が集中させられていると言っていますが、これを自衛隊との共用基地と合わせると沖縄の負担割合は約20%になるはずです。もちろんこの数字であっても過重負担には変わりありません。また米軍基地と自衛隊基地の境界が仮に全くなくなったとしたら沖縄の負担度は約14%になります。だから割合だけの問題であるのなら、共用を進めれば進めるほど、基地負担はかわらぬどころか増えるかもしれないのに、不平等の程度が理論的には減ることもあるという皮肉が生じます。自衛隊基地新設はいいが米軍基地はだめ、というような反対の仕方には意味がなくなってくるのです。2015年の県民調査では、在日米軍に対してはいい印象を持っている人が3割程度なのに比べ、自衛隊に対しては7割と好感度が高い。現在政府が離島で進めようとしている自衛隊配備は、そのような県民感情を利用し、自衛隊基地建設から入り、実質的に米軍と共用にするのではないかとの懸念はあります。

歴史認識と現在の関係
 宮里さんが言うように日本が「沖縄を強制的に編入」(95ページ)し強制同化させたという歴史は、私は沖縄にかかわるようになるまで知りませんでした。しかし歴史を学ぶにつけ、沖縄は19世紀後半に日本が近代的軍事国家になる過程で侵略・植民地化したアジアのネイションの一つであるという理解ができるようになりました。日本人にとって、朝鮮や中国への段階を踏んだ侵略や植民地化、台湾や南樺太の獲得など、大日本帝国の侵略の歴史の記憶から沖縄が抜け落ちがちなのはなぜか。それはまた沖縄の植民支配が続いているからなのではないかと思うようになりました。なぜこういう話をするかというと、沖縄(日本も)の若者たちが、「尖閣を中国が取りに来る」「中国が沖縄に武力侵攻する」といった極端なシナリオを語るネトウヨ――まあ今の日本政府自体がネトウヨなのですが――に比較的簡単に感化されてしまうのは、やはりこの大日本帝国の侵略と植民支配の歴史の中での琉球・沖縄をとらえることをしていないことに心の脆弱性ができているのではないかと思うのです。
 明治日本の初の海外派兵は台湾出兵です。この台湾出兵はご存じ、宮古島の漁民が遭難し台湾に流れ着き、そこの先住民に多くが殺されたという事件を口実に日本が出兵したもので、「琉球処分」の歴史の中で日本の琉球への領土主張を一層強めたきっかけになりました。そして日清戦争後に沖縄の帰属問題は決着したことにされてしまいました。沖縄は中国と良好な関係を持つ独立王国であったところを日本に奪われ植民支配が続くネイションであるという歴史認識をしっかり持つことこそ、中国への恐怖を煽るようなプロパガンダに負けない強い意志をつくるのであり、それこそ「自己決定権」を行使する意識の土台となるのではないでしょうか。もちろんそのような歴史認識を日本人自身こそがしっかり持つことも大事です。大半の日本人は沖縄の歴史を知らないために、沖縄に対する加害者意識というのが薄いと感じます。自分もそうでした。

辺野古の闘いについて
辺野古問題についてコメントします。1月31日から2月4日まで、翁長知事と、それに平行して名護の稲嶺市長と、「オール沖縄会議」の訪米団がワシントンでロビー活動をすることになっています。12月20日、辺野古埋め立て承認を取り消した翁長知事に対する地方自治法251条の7第1項に基づく不作為の違法確認訴訟の最高裁判決が下り敗訴が確定し、翁長知事は26日に埋立承認取消を取り消しました。これで工事が再開してしまいます。この判決には執行力はなく、翁長知事は取り消す必要はなかったのに、県民にしっかりした説明もなく拙速に取り消しました。これに対し元裁判官の仲宗根勇氏は、翁長氏に判決を受けて取り消すことはせず、代執行裁判まで戦いながら埋立承認を「撤回」すべきと訴えました。この研究会の桜井国俊氏も12月26日の沖縄タイムスのコラムで、私自身も12月21日の琉球新報で主張し、静岡大学の阿波連正一氏も26日の琉球新報で賛同しました。法が要請していない取消の取消を簡単に行い工事再開を許したことに私は今でも大きな疑問を抱いています。

米国への働きかけ
 今日、海外の支援者との連帯、国際世論をつくるというテーマをいただいていますが、今話していることはこのテーマに深い関連があります。海外に、とくに米国にどう訴えるかということです。基地に反対であるはずの翁長知事が埋立承認の取り消しを自ら引っ込めたということは、沖縄タイムスの平安名純代記者が12月25日のコラムを含め繰り返し報じているように、米側にとっては意外でもあり手間が省けたという感覚をもたらしました。主要海外メディアがそう報じたというのもありますが、これで辺野古問題に終止符が打たれたという受け止めが広がっているのです(平安名、12月30日)。平安名記者は12月31日のコラムで知事の説明責任と直ちに「撤回」を訴えます。1月13日、Okinawa Environmental Justice Projectの吉川秀樹氏と日本自然保護協会の安部真理子氏が翁長知事にただちに岩礁破砕許可取り消しと早期の埋立承認撤回を求める要請、同日に仲宗根勇氏らうるま市島ぐるみ会議もただちに撤回を求める要請を行います。これは基地を止めることはもちろん、米国へのはたらきかけ、海外への発信という意味でも大変重要です。

明確な要求を
 辺野古についても、2015年5-6月の訪米は「第三者委員会」の検討中で、私が5月16日に琉球新報別刷りの記事「正義への責任 特別篇」で訴えたように埋立承認を取り消すとか撤回するとかの表明をした上で行ってこそ効果が期待できたが、そのような表明なしで行ったために明確なメッセージのない訪米になりました。県民大会の写真を見せて「訴える」だけで文書もなかったのです。これでは米国には何も伝わりません。吉川氏が1月13日の要請にあたる記者会見で言ったように、2015年11月、知事ではなく「オール沖縄」で行った訪米には一定の効果がありました。知事が「取消」をした直後だったから説得力があったのです。今回の訪米はただでさえ新大統領就任直後の混乱期でタイミングが悪い。翁長知事がトランプ政権の政策に影響を与えられるような相手に会える可能性はまずありません。あったとしても、埋立承認取消を取消し、工事が続行している段階で、岩礁破砕許可を取消もせず、埋立承認「撤回」もせずに行ったら、ただ、工事再開を許したことに礼を言われるだけで終わってしまいかねません。この訪米にすこしでも意味を持たせるのなら訪米前に埋立承認撤回を行う必要があります。平和市民連絡会の北上田毅氏も1月20日のタイムス社会面でそう主張しています。

市民の「権限」
このようなことを言って知事に建設的批判をすると、「運動を分断しないように」とか、「(政府の)思うツボだから」とか言われることがあります。果たしてそうでしょうか。民主主義に意見相違はつきものであり、同じ目的を持ったものたちがお互いに建設的批判を出し合い共通の目的を達成するために運動するのが民主主義的運動ではないでしょうか。植民支配下での「分断統治」というのは確かにあることですが、分断をおそれて市民が為政者を監視・批判するということをやめてしまったら、国家権力にとってはその為政者さえコントロールすれば市民は黙ってついてくるということになり、それこそ「思う壺」です。

哲学者の鶴見俊介氏が生前言っていました。自分は政治家の家で育ったから、政治家にとって何よりも大事で何よりも優先するのは自らの再選であって公約とか主義主張など二の次だということが痛いほどわかっていると。職業政治家にとってはそれが当たり前のことであり、市民は盲信するのではなく監視して使っていかなければいけないのです。政治家も役人も市民の税金で働かせる人たちです。私はカナダに20年以上住んだせいもあるのか、日本にいるときと比べ一番変わったのがいわゆるそういう「偉い」と思われるような立場にいる人たちを自分の上とか見ることはなくなりました。逆に自分たちが主権者であり、自分たちの税金で雇っているのだから部下と一緒なのです。部下を「信じているから」などと言って何も言わずに見ている上司がいるでしょうか。

民主主義は宗教ではありません。先日も安慶田副知事(当時)に疑惑がもちあがり「信じている」というようなことを言う人がいましたが、私はこのようなとき市民が行うのは「信じる」でなはく「調べる」ではないかと思います。そうでなければそれこそ為政者の「思う壺」になります。元CIA職員で内部告発者としてロシアに亡命中のエドワード・スノーデンは最近のトランプ騒ぎを受けてこう警告しています。「選挙で選んだ政治家を“信じる”という行為は我々が繰り返し犯してきた過ちである」と。私は沖縄の民主主義は異なる意見や建設的批判を封じず、取り入れてこそ強固なものになると思います。1月20日タイムスの社会面に引用されている「安保法制に反対するママの会@沖縄」の城間真弓さんは「運動が分断されることはない。現状への『怒り』でつながっている」と断言するし、私も賛同します。翁長知事の「権限、権限」というが、私たち市民一人一人こそが自分たちの「権限」を使っているのか、今私は問いたいです。

(以上)

以下、沖縄二紙での報道。


琉球新報(1月29日)




沖縄タイムス(1月29日)


動画はここにあります。
https://www.youtube.com/watch?v=4jh82hW7XJI