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Tuesday, September 02, 2014

日本降伏の「聖断」とは何だったのか

1945年9月2日、米艦ミズーリ号の船上で日本の降伏文書が調印された日。この日が正式な終戦の日であるが、日本の戦争記憶においては天皇が「聖断」の上にポツダム宣言受諾を決意し8月15日の「玉音放送」によって戦争が終わった日との認識が圧倒的である。「村山談話を継承し発展させる会」がこの「終戦の詔書」とそれがもたらした歴史の歪曲を検証する。ちなみにこの会は来る9月18日午後2時から、東京でシンポジウム「安倍解釈改憲を撤回し、いまこそ東アジアに平和外交を」行う。@PeacePhilosophy

2月15日に同会が出したアピールについてはこちらを参照: 
「シンガポール占領(陥落)」の記念日に



終戦の詔書


2014年8月7日

8月15日・昭和天皇の「ご聖断」に基づく「玉音放送」によって日本の敗戦を全国民が知らされたアジア太平洋戦争の節目の日に向けて、歪められた歴史認識の広がりを食い止めるとともに正確な歴史認識の更なる定着を求めるアピール
 
「村山談話を継承し発展させる会」

 
 1945年8月15日、日本全国にNHKのラジオを通じて流された昭和天皇の初めての肉声放送。その「玉音放送」は1931年9月18日の柳条湖事件を発端とする満州事変から日中戦争、アジア太平洋戦争に至った15年間に及ぶアジア侵略戦争に敗北した事実を、天皇自身が直接国民に伝えたものだった。それまで天皇の名の下に軍国主義以外の言動を厳しく取り締まられ、アジア侵略に加担してきた国民の多くは、天皇を含む権力者たちの責任が厳格に問われ、日本は成熟した民主主義社会を目指せるものと期待した。

 しかし、占領軍の中核となった米国政府の意向の下、天皇の戦争責任は東京裁判を通じて東條英機たちA級戦犯への転嫁が強行され、「人間宣言」が米国主導で出されるなど様々な”演出“によって、最高責任者であった昭和天皇の責任追及は曖昧なままにされた。結果として、戦後の日本社会では権力の座に近い者ほど倫理道徳や憲法・法律などの社会的規範をないがしろにしてはばからない風潮が根強くはびこる事態となった。それでも、主権在民の社会原理を体現した主権者の権力監視によって、成熟した民主主義社会の構築は確実に推進されてきた。但し、そうした民主的な動きの一環としての平和運動や歴史教育においても、広島や長崎の被爆体験、東京大空襲などの空襲体験など一般市民の被害体験に基づいたものが主流となり、侵略や加害の事実を掘り起こしてその意味を深めようとするものは、少数派にとどまっている。

 そうしたところで近年、歴史教育における歴史修正主義の動きに、憲法改定の思想的潮流形成をめざす政治勢力が加わり、勢いを増すに至った。安倍晋三氏を中心とする戦後世代が自民党の主導権を握ってからは、日本の戦争責任を否定する言動が臆することなく展開され、それらの動きを一定数の国民が支持するという事態が生じている。特に本年7月1日の集団自衛権行使容認の閣議決定については、国内だけでなく近隣諸国からも、強い懸念の声が寄せられている。さらには、安倍晋三首相が来年2015年8月15日に閣議決定を意図していると言われる「終戦70年」談話は、歴史修正主義的内容が色濃く込められたものになると想定されている。そうなれば、ますます近隣諸国の対日警戒心を強め、東アジアの緊張を高めることになりかねない。

 戦後の日本社会が平和と民主主義の社会を構築するに当たり、根底に据えてきたのは、
あくまでも真実に基づいて歴史を見直し、侵略の事実を正面から受け止めて反省し、2度と周辺諸国に脅威を及ぼす国にはならないということであった。この理念を今後も堅持するとの政府方針を国内外に示したものこそ、「終戦50年」に当たる1995年8月15日に閣議決定された「村山談話」であった。

 安倍政権による歴史修正主義の動きは、教育内容への介入を含め、これまでになく顕著なものとなりつつある。そうした状況下、本年2014年の8月15日という節目の日に当たり、昭和天皇の「玉音放送」の意味を、「村山談話」の基本的観点である侵略責任の明確化という立場から問い直すことは、意義深いものと我々は考える。

 以下、正確な事実の認識深化と広範な定着を求め、「玉音放送」にちなむ個別の事実を挙げて、マスコミ及び教育等の関係者を含む多くの人々に向けたアピールとする。
 
********************************
 
1.「玉音放送」それは天皇制と昭和天皇の戦争責任を回避するための新たな歴史歪曲の始まりであった、という事実。

「聖断」という形式でしか降伏受け入れを決定できなかったことからも、15年間の戦争の最高責任者は昭和天皇であったことに、疑いの余地はない。これまでの様々な歴史研究において、日本軍の敗北が決定的となっている段階でも建前論や面子にこだわる軍部強硬派の主戦論に対抗できる力が政府・官僚側にはなく、当時の絶対的存在である昭和天皇の「聖断」による以外には、ポツダム宣言受諾による降伏を決定する手段はなかったとされている。

  戦前とりわけ昭和20年までの日本社会では天皇の神格化された権威の下で、挙国一致、国家総動員体制の軍国主義化が究極にまで推進されていたからこそ、「欲しがりません、勝つまでは」などのスローガンに従い、国民は15年間もの戦争遂行に従っていた。
 法理論をもってどのように詭弁を弄しようとも、大日本帝国憲法(明治憲法)によって天皇主権を定めた日本社会の元首は天皇であった。昭和天皇が、折々の戦局に合わせて戦略や戦術に口出しをしていた事実も、現在では確認されている(山田朗著『大元帥昭和天皇』新日本出版、1994年)。昭和天皇に戦争責任がないとする主張に、説得力はない。

  しかし戦後の日本社会ではこのことの議論を、保守派が一貫して避けようとし、あるいは「天皇無答責論」などをもって、話題をそらし続けてきた。また、正面から昭和天皇の戦争責任を問うマスコミなどの動きに対しては、右翼などによる公然・非公然の圧力が加えられ、議論の焦点が外されることが多発した。テレビドラマ『私は貝になりたい』は、捕虜虐待の罪でBC級戦犯にされ死刑になった床屋の物語りとして、1958年の初放送以来繰り返し話題にされている。最近でも『朝日新聞』8月2日(土)朝刊別刷りで詳しく扱っている。しかし、そこでは原作の元戦犯の手記にある「上官の命令は天皇の命令であるとされ、上官の命令に従った行為で戦犯にされたのに『天皇は私を助けてくれなかった』。これで死刑にされるのであれば、『今度生まれかわるならば、私は日本人になりたくありません』『私は貝になりたいと思います』」(加藤哲太郎著『私は貝にな
 りたい』春秋社、1994年)という部分が、脚本段階で削られていることへの言及が全くされていない。世代交代が進む記者の間では、政治的圧力等による情報操作以前にまで視野を遡らせての取材は想定外とされている可能性が伺える。
  改めて、「玉音放送」への話題喚起の必要性が認識される事柄でもある。
 
+*以下、昭和天皇の戦争責任回避に向けた歴史歪曲によって、伏せられてきた「玉音放送」関連の歴史的事実を提示していくこととする。
 
 
2.「玉音放送」が伝えたのは『遅すぎた聖断』であったという事実

 昭和天皇が主戦論の軍部を抑え、ポツダム宣言の受け入れを決断したことで日本の降伏が決定したのであり、この「ご聖断」によって日本は救われたのだという主張が、保守派の中にはある。しかし、降伏を受け入れて戦争を終結させるための「聖断」を実行すべきだとする進言が、6か月前の1945年2月14日に近衛文麿から昭和天皇への上奏文(近衛上奏文)で伝えられていた事実がある。

 進言の趣旨は、最早敗戦は必至であり、このまま負け戦を続けていては、軍部や国民の間に不満が高まり、それに共産主義が乗じて革命を起こされれば天皇制は滅ぶという最悪の事態になるので、早急に休戦・降伏の交渉を進める必要がある、というものだった。これに対して、昭和天皇は共産革命の危険性についてまでの分析に同意しながら、近衛の進言を却下した。理由は、「このような負け戦のままでは、天皇制の存続だけは認めるという有条件降伏の交渉ができない。どこかの極地戦でも良いから戦果(米軍の大損害)を挙げられれば、この有条件を受け入れさせられる可能性が生まれる。それまで待て」というものだった。これに対して、近衛は「そのような時が訪れるでしょうか」と言いつつ、引き下がらされている。

 その後、昭和天皇は天皇制存続の有条件による降伏にこだわり続け、連合国側から可能との感触を得て「聖断」に踏み切る8月15日まで、6か月を費やすことになる。2月14日からの6か月間に、硫黄島が陥落し日本全土へのB29による空襲が本格化し、3月10日の東京大空襲など国内の一般住民の被害がこの間に、激増した。さらに、3月末からの沖縄戦によって、県民の4分の1が死亡した。7月26日のポツダム宣言発表以後も「聖断」が遅れる間に広島と長崎に原爆が投下され、9日にソ連軍が満州への侵攻を開始した。ソ連との関係では、それより以前に降伏をしていれば参戦の口実が失われ、シベリア抑留や北方領土問題も生じることはなかったことになる。さらに、朝鮮半島も南北に分断されずに済んだ可能性が高い。

 こうした回避できたはずの被害や戦後の紛争の種も、ひとえに天皇制(国体)存続の保障を連合国側から得るための交渉に時間を浪費した結果として、生じたものだった。ところで、この事実を正面から取り上げ、昭和天皇の責任を追及したテレビ・ドキュメンタリー『遅すぎた聖断』(琉球放送)は、昭和天皇が重病中の1989年6月に沖縄で放送された。以後様々な番組コンクールなどで受賞のたびに県内では再放送された。沖縄県内にもいわゆる右翼団体が存在するが、この間に街宣車が琉球放送の局舎押しかけて来ることはなく、抗議の電話も全くなかったという。一方で、琉球放送の全国放送キー局の関係者は「この番組名を予告で流しただけで街宣車が押しかけて、局の機能がマヒすることが分かっているので、局内で全国放送の提案することはできない」とした。タイトトルの問題とは、「遅すぎた」という表現が天皇批判である上に、「ご聖断」ではなく「聖断」とされている点を右翼が突いてくると予想されるためであるとされた。

 大手のマスコミがこうした状況である一方で、歴史教育の場では「近衛上奏文」についてのコラムを設けて経過を説明している高校の日本史教科書がすでに登場している(『日本史A 現代からの歴史』東京書籍版、1995年度用以後)。
 
 
3.ポツダム宣言受け入れに関し、もう一つの「聖断」が存在しているという事実。

 もう一つの「聖断」、それは降伏を有条件にするとした上で、天皇制存続を認めることという1条件ですませるか、さらにその他の条件も加えるかについて陸海軍と政府の間で、意見が割れたのに対し、天皇が1条件だけで行くと決めたというものだった。 

 この時挙げられていた他の条件とは、日本側による軍隊の自主的な解散、自主的な戦犯の処罰と占領の制限などで、これらを合わせた4条件で交渉するとのが一つの案だった。天皇が4条件案を却下した理由は、1条件だけでも難しいのに、4条件にまで拡大したのでは、すべてを拒否されかねない。少しでも天皇制存続の1条件承諾を確実にするには、他の条件は組み合わせないほうが良い、ということだったとされている。

 戦犯裁判は勝者による不公正な裁判だったという指摘が繰り返されているが、そうなった経過の一つには、このように日本側自身が「自主的な戦犯処罰」を提案するのを控えたという事実の存在がある。そうした理由が、天皇制存続の1条件を連合国側に承諾させる上で幾分かでも障害になりそうなことは避けるという自主規制にあったのだったが、勝者によるに不公正な裁判と批判する側が、この事実を指摘したことはほとんどない。

 だが、この事実も、『日本史A 現代からの歴史』(東京書籍版)には、明記されている。 ここでも、天皇制存続(国体維持)の条件が最優先され、日本側の主体性保持の条件提示は二の次にされた事実を、高校生は以前から学んでいるという事実が存在している。
 
 
4 「聖断」によってポツダム宣言受諾を決定した日本側の降伏は、無条件降伏ではなく1条件(国体護持)降伏だった、という事実の存在。

 多くの歴史教科書では、ポツダム宣言受諾による“無条件降伏”と記述している。それは条約の字面に合わせた表現にすぎない。実質的には日本側がこだわり続けていた「国体護持」の1条件に関して、連合国側が8月11日の時点で回答した内容から、日本側は要求が満たされたとして、受諾にようやく踏み切ったのだった。

 その回答とは「日本国の最終的政治形態は、ポツダム宣言にもとづき、自由に表明される日本国民の意思によって確定されたものとする」というものだった。神風特攻隊を実行させられるほどに皇民化教育で忠君愛国の思想にマインドコントロールされた日本国民が、一朝一夕で反天皇制に転換するはずはなく、これならば天皇制の存続「国体護持」は可能と、昭和天皇とその側近たちは読み取っている。

 ただし、ポツダム宣言にはこのことが盛り込まれないまま日本に無条件降伏を要求しているので、宣言受諾による降伏は無条件とされる。その一方で、実質的には「国体護持」の言質を得ているものとして、日本側はその後の交渉を進められることになったという段階で、天皇は「聖断」を下し、「玉音放送」に臨んだのだった。

 つまり、無条件降伏とするのは形式論にすぎず、実質的には「国体護持」の1条件だけを連合国に認めさせた有条件降伏だったことになる。しかし、このことを戦後の社会で、保守派はあまり積極的に指摘したり、主張するということをしていない。それは、一般国民の犠牲が膨大であるにもかかわらず、それを最小で食い止めることよりも、「国体護持」を優先していたことが広く知られた場合の天皇批判の高まりを警戒しているためと読める。

 それだけに、今の時点でもこの事実を再度確認しておくことは必要となる。特に世代交代で、天皇制が危険な存在として機能していた時代を知らない世代が大多数となっている現在においては、重要なことと考えられる。
 
 
5 ポツダム宣言受諾に昭和天皇が逡巡したことで、必要がなかった8月13日と14日の最後の空襲が実行され、多くの人々が犠牲になったという事実の存在。

 日本政府は、原爆投下やソ連の参戦を受けてもなお、「国体護持」の確約を連合国に求め、ポツダム宣言の受諾を保留にしていた。そのため、いらだった米国側は、日本側が受諾の意向を8月10日に伝えてきた段階で停止をしていた日本空襲の再開に踏み切る。それが、埼玉県熊谷市、神奈川県小田原市、神戸市。秋田市などへの空襲だった。これらの空襲で失われた人命と家屋や家財などの犠牲は、何のためだったのか。そうした経過が最近の研究や情報公開などによって、新に判明してきている。
 
 「聖断」と「玉音放送」について隠されていた事実が判明するのにともない歴史歪曲の事実も次々に明らかにされてきている。以下、歴史歪曲の事実を列挙する。
 
 
6 昭和天皇の御製「身はいかになるとも いくさとどめけり ただたふれゆく 民をおもひて」は欺瞞であることが明らかであるとの事実の存在

 すでに明らかにしたように、「玉音放送」時の天皇は「国体護持」が可能とする連合国からの言質を得ていて、「身はいかになるとも」などとひどく怯える必要のない、落ち着いた状態にあった。にも拘らず、天皇であるわが身よりも「民」を思いやって、降伏を受け入れたのだと、いかにも心優しい君主であるかのように装う内容の御製となっている。

 「近衛上奏文」をめぐるやり取りやその後の天皇の行動を事実に即してみるならば、この「御製」がいかに虚飾に満ちているか、自明のこととなる。しかし、この御製が毎年8月になると靖国神社の本殿に掲げられ、参拝者に示されている。

 それだけではなく「新しい歴史教科書をつくる会」系の中学用歴史教科書と公民教科書には、この「御製」が掲載されている。そこでは「国民とともに歩んだ昭和天皇」と題した記述との組み合わせによって、昭和天皇を称える学習が展開されることになる。いかにも、虚実取り混ぜて天皇制美化を図った手法さながらだが、そうした手法が許容されたのは、戦前の学校教育においてだった。

 現在の日本社会ではそうした手法は許容できないはずだ。にもかかわらずその手法による教科書が、検定に合格している。そうした脱法行為がなぜ通用するのか。歴史修正主義の政治権力者による影響が検定の場にも及んでいると考えるしかない。この事態を是正する方策の一つは、虚偽の記述を容認している検定関係者の責任を厳しく追及することにある。それとは別に、こうした「御製」自体の欺瞞性を社会全対が認識するならば、教科書に「御製」を掲載すればその歴史修正主義者ぶりが即座に露見することとなるので、掲載そのものを控えることに追い込める。そのためにも、この「御製」にまつわる昭和天皇の「聖断」関連の諸事実が正確に広く知らされることが、必須の条件となる。
 
 
7. 「玉音放送」で周知された「終戦の詔書」では、「終戦(敗戦)」の対象を宣戦布告した「米英二国」に限っていて、中国との戦争は含めていないという事実の存在。

 「終戦の詔書」では「交戦己ニ四歳ヲ閲シ」とある。中国との戦争を含むのであれば4年間という年数は短すぎる。アジア太平洋戦争に限定していることは明らかで、ここに至ってもなお中国を見下す姿勢を取り続けていることが分かる。さらに「詔書」では「朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」として、あくまでも大東亜解放のための戦争だったという姿勢を変えていない。

 ここには、8月15日の敗戦の遠因が、中国を中心とするアジアの民衆の自尊心と抵抗力を見誤り、差別的民族観そのままに思い上がりを武力に置き換えたために、泥沼の戦況に引き込まれ、破局の道に追い込まれたという事実経過についての認識がまるで見当たらない。そのことは、アジアの人々に対する差別的民族観が公然と語られていた当時の状況からすれば、当然と思えなくもない。しかし、そうした民族観は誤りであるとされている現代においては、許容されない。にもかかわらず、現在の日本社会では、この「詔書」同然の戦争認識から抜け出せていない。

 8月15日の「玉音放送」で伝えられた敗戦は,対米英に限定したものであった。そのことを明確に認識することなく、戦後の日本社会は平和と民主主義の社会建設と国際交流推進を標榜し続けてきた。中国や韓国・朝鮮さらには東南アジアの人々の交流が欧米との交流と比較して二の次となったのは、政治的な障壁の存在だけでなく、こうした事実の確認を怠ってきた我々一般国民の責任に由来する部分も少なくない。

 そうした怠慢に気付かせてくれる機会をもたらすものとしても、「村山談話」の今日的存在意義は大きい。
 
 
「玉音放送」から始まった歴史歪曲・、修正主義の動きを、修正主義の極め付きである安倍晋三政権下で検証しなおすための取り組みとして、今後も節目の日にちなむ問題提起のアピールは続けて行きたい。
  

Sunday, August 31, 2014

ジョセフ・ガーソン:「沖縄軍事植民地化は米国の独立宣言の精神にもとる」Joseph Gerson: "Abuses and usurpations" are worse in Okinawa

Following Peter Kuznick, Noam Chomsky and Gavan McCormack, here is Joseph Gerson's comment on the latest poll results in Okinawa and on his recent visit to the island. They were all signatories of the January 2014 international statement to oppose the construction of the new US military base in Henoko and to call for immediate closure of Futenma Air Station. ピーター・カズニックノーム・チョムスキーガバン・マコーマックに続き、ジョセフ・ガーソン(アメリカン・フレンズ奉仕委員会)による最新の沖縄世論調査および先日の沖縄訪問についてのコメントを紹介する。4人とも、1月の世界の識者・文化人らによる辺野古基地反対と普天間基地閉鎖を求める声明のメンバーである。

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Joseph Gerson speaking at the student symposium at the Okinawa International University August 12, 2014.
8月12日、沖縄国際大学での学生シンポジウムで。左からジョセフ・ガーソン、ピーター・カズニック、乗松聡子。
Photo: New Wave to Hope


                  There is a saying that originated in Latin American struggles for freedom and democracy: "A people united will never be defeated." The recent poll indicating that 80.2% of Okinawans want work on the Henoko base construction cancelled, that 81.5% oppose Prime Minister Abe’s seabed boring operation, and that 79.7 percent of Okinawans do not want the Futemna base relocated within Okinawa demonstrates  remarkable unity.  ラテンアメリカの自由と民主主義への闘いに起源をもつ言い習わしがある-「団結した民衆は決して負けることはない」。最近の世論調査で、80.2%が辺野古基地建設工事の中止を願い、81.5%が海底ボーリング調査を行う安倍首相に反対し、79.7%が普天間基地の県内移設に反対しているということは目覚ましい団結を示している。

                  If it can be maintained in the coming Nago City Council and the gubernatorial elections, Oura Bay and Nago will remain free from massive reclamation, and powerful pressure will be added to implementing the promise of removing Futenma.もしこれが来る名護市議選や県知事選を通して維持されたら、大浦湾や名護は大規模な埋め立てをされずに済み、普天間基地撤去の約束の実行に向けて強い圧力が加えられるであろう。

                  During my recent return to Okinawa, in university and community settings,  I was deeply impressed by the depth of Okinawans’ nonviolent commitment  to resist the construction of the Henoko base, to close Futenma – “the world’s most dangerous air base,”  and to move toward real security and the end of military colonization. I understood in new ways how that resistance is rooted in centuries of Okinawan history and culture and to the land and the environment. 最近再び沖縄を訪れ大学と地域における催しに加わったが、辺野古基地建設への抵抗、「世界で最も危険な基地」普天間基地の閉鎖、真の意味での安全保障と軍事植民地状態の終焉に向けての沖縄の人々による非暴力のコミットメントの深さに非常に感銘を受けた。また、この抵抗は沖縄の何世紀にわたる歴史と文化、土地と環境に根差すものだということを新たな視点で学んだ。

                  Before he took our August 12 meeting off the record, U.S. Consul General Magleby shocked those of us who met with him by saying that people who oppose Washington’s and Tokyo’s “narrative” - which insists that due to its geostrategic importance Okinawans must bear the greatest burden of military colonization - “are not rational.”  Rational people, he implied, would accept the massive U.S. military presence across Okinawa and its destructive impacts, and would work with Washington and Tokyo to make minor adjustments that are acceptable to those in our imperial capitals. 米国総領事のマグルビー氏は、8月12日の会合で彼が「オフレコだ」と言う前に、ワシントンと東京の「ナラティブ(語り口)」、すなわち、沖縄の戦略地政学上の重要性により沖縄が軍事植民地化の最大の負担をしなければいけないという語り口に反対する人々は「理性に欠ける」と言って面会した我々[訳者注:ジョセフ・ガーソン、ピーター・カズニック、乗松聡子の3人]にショックを与えた。彼が暗示したのは、理性のある人々というのは、沖縄じゅうに大規模な米軍の存在とそれがもたらす破壊的影響を受け入れ、ワシントンと東京の政府と協力してこれら帝国の中央政府にとって受容可能な微調整をするような人々を指すのである。
Later Mr. Magleby added that despite the fact that the law gives Nago’s mayor the right to refuse authorization of permits needed for base construction, “there are certain things a nations must do.”  As evidenced by their consistent disregard for the clear commitments of Japan’s peace constitution, the U.S. and Japanese governments are willing to operate outside the law - an essential pillar of democracy – to reinforce the power and privilege of their elites.そしてマグルビーはこう付け加えた-名護市長には基地建設のための許可を下ろすことを拒否できる法的権限がありながらも、「国家として行わなければいけないことはある」と。米国と日本の政府は、日本国の平和憲法が定める明確な義務を一貫して軽視してきたことからも明らかなように、エリートたちの権力と特権を強化するためなら民主主義の支柱である法というものを進んで度外視して物事を進めるのだ。
                  Who is being irrational?  I’ve yet to hear anyone assert that the authors of the U.S. Declaration of Independence were “not rational.”   Yet, among the reasons that necessitated the creation of the new American nation and the beginning of the anti-colonial era which were articulated by the authors of the Declaration, was that Britain’s King George III “kept among us in times of peace” “Standing Armies” which committed intolerable “abuses and usurpations.”   Yet, the “abuses and usurpations” inflicted on Okinawans for seven decades by the government that speaks in my name and by Tokyo are more numerous and worse than those of King George III: deadly military accidents, crime, sexual harassment, loss of sovereignty, terrifying noise from low altitude and night landing exercises, environmental degradation,  and  increased likelihood of war – even nuclear war.  Are we to believe that people who want to live and prosper in peace, quiet and real security are irrational? 理性に欠けているのは一体どちらか。私はいまだかつて米国独立宣言の起草者たちが「理性に欠ける」などと言われているのは聞いたことがない。しかし反植民地時代の初頭、独立宣言の起草者たちが述べた新アメリカ国を建国する必要性が生じた理由の中には、英国王ののジョージ三世が「平時においてもこの地に常備軍を駐留させ」、その常備軍が許容しがたい「権力の濫用と権利の侵害」を犯しているということがあったのである。しかし、70年にわたり私の国の政府と日本政府が沖縄の人々に負わせている「権力の濫用と権利の侵害」はジョージ三世のそれよりも多数で質も悪い-死をともなう軍関連の事故、犯罪、性犯罪、主権喪失、低空飛行による恐るべき騒音、環境劣化、そして戦争の可能性の増加-核戦争でさえも。平和で静かな、真に安全な生活をおくり豊かに暮らしたいと思う人々を「理性に欠けている」などと思えというのか?
                  Those of us who initiated and signed the January statement in response to Governor Naikaima’s betrayal, and who joined in opposing the Henoko and Futenma bases will continue to do all that we can in solidarity with the overwhelming majority of the Okinawan people.仲井眞知事の裏切りを受けてさる1月の声明を立ち上げ署名し、辺野古も普天間も基地は要らないという運動に加わった我々は、沖縄の圧倒的多数の人々と連帯しできることは全て行い続けていく。
                Freedom and peace are indivisible. Democracy, rationality, and the rule of law must be honored with the full force of our lives. And, it is encouraging to know that Okinawans are far more united than were the first U.S. Americans.自由と平和は切っても切り離せない。民主主義、理性、そして法の支配は我々が全力で守らなければいけないものである。そして独立当時のアメリカ合衆国の人々よりも沖縄の人々の方がはるかに団結していることを知るのは元気づけられることである。

Joseph Gerson ジョセフ・ガーソン


参考記事:

米総領事「沖縄と対話できぬ」名護に協力求める
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=79858
米総領事「対話できぬ」 県、名護に国防協力要求
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-230081-storytopic-53.html
「沖縄は国に従え」 米総領事、他にも強弁
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-230126-storytopic-3.html

 
http://english.ryukyushimpo.jp/2014/08/26/15018/

Saturday, August 30, 2014

ガバン・マコーマック「沖縄の意思を踏みにじる不当な仕打ち」


オーストラリア国立大学名誉教授、ガバン・マコーマック氏から日本語メッセージ!
 
沖縄から、美しい貴重な大浦湾で繰り返される安倍政府の蛮行が毎日伝えられ、悲しくてたまりません。 ブイを打ち込まれる度に海の生き物や沖縄の友人たちの嘆きや悲鳴になって海を越えて伝わってきます。

しかし、明らかな差別感を持って、沖縄の意思を踏みにじる不当な仕打ちにもめげず、根強く抵抗する沖縄の強靭さに驚かされると同時に逆に励まされる気がします。大浦湾の自然破壊や基地だけが問題ではなく、日本の民主主義そのものが、危機に瀕しています。安倍政権の独裁政権的ゴリ押しをはねのける沖縄の闘いに、 民主主義は意味もないと感じていた無数の声なき人々が励まされています。
 
7月初頭、沖縄市民たちとともに辺野古海上リポート。New Wave to Hope より
 

ノーム・チョムスキー:「沖縄の人々は正しい」Noam Chomsky's response to the latest Okinawa poll

Here is linguist Noam Chomsky's comment to the recent poll results in Okinawa indicating 80% of the people there want the work towards the new US military base contruction to be stopped. 80%が辺野古新基地作業中止を求めた沖縄の最新の世論調査結果についての言語学者ノーム・チョムスキー氏のコメントを紹介する。(翻訳:乗松聡子)

Chomsky, left (with the son of a journalist who interviewed him, 2013, Tokyo)
The opinions of the public in Okinawa seem to be very clear. 
沖縄の公衆の意見は大変明確なものに思える。

My judgment does not matter, but for what it is worth, I think that Okinawans are right. 
私の意見など取るに足らないものだが、沖縄の人々は正しいと私は思う。

I have seen the arguments to the contrary, and find them highly unconvincing. 
私は逆の議論を聞いたことがあるが、説得力のあるものには思えない。

But my views on the issue aside, the standpoint of the people of Okinawa about what is happening to their homes and lives should certainly be honored.
しかしこの問題についての私の見解など別にしても、自分たちの居住地や暮らしに影響を及ぼしている出来事についての沖縄の人々の立場は確かに尊重されるべきものである。  
Noam Chomsky ノーム・チョムスキー  

訳者コメント: このコメントにおいてチョムスキー氏は「私の意見など重要ではない」という趣旨のことを繰り返しているが、これが彼のメッセージのコアの部分ではないか。「自分に意見を求められても、沖縄については沖縄の人々が決めることであり私の意見など関係ない」-と言うことで、この調査結果を尊重する重要性をかえって強調しているように思える。

注: 転載される場合は本投稿のURLを明記してください。 翻訳はアップ後微修正する場合があります。

Peter Kuznick's response to the new poll results in Okinawa 沖縄の最新世論調査結果へのピーター・カズニックのレスポンス

Here is a response by Peter Kuznick, Professor of History at American University to the latest poll in Okinawa that said 80% of people there call for cancellation of the Henoko new base plan that the Japanese and US governments are forcing through.80%が辺野古新基地計画を中止すべきだと答えた最新の沖縄での世論調査に対するアメリカン大学歴史学教授ピーター・カズニック氏のコメントを対訳で紹介する。(翻訳・乗松聡子ー訳はアップ後微修正する可能性有)

★転載の際は出典としてこの投稿のURL
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2014/08/peter-kuznicks-response-to-new-poll.htmlを明記しリンクしてください。
Peter Kuznick (centre) and Joseph Gerson (left) take part
in the protest at the Camp Schwab gate, August 13.
Photo: New Wave to Hope

The latest poll results are very encouraging and fit the pattern that I was able to observe while in Okinawa and since my return to the U.S. 最新の世論調査の結果は励みになるものであり、私が沖縄にいた間、そして帰ってきて以来見てきた傾向と合致するものだ。

Governor Nakaima's betrayal and the aggressive actions of the Abe administration, with strong U.S. backing, may have temporarily convinced some of the people in Okinawa that resistance to the base relocation was futile. 仲井眞知事の裏切りと、米国に裏打ちされた安倍政権の強引な行動により、一時沖縄では抵抗をしても無駄だと思うような人もいたかもしれない。

But that mood has changed. The people of Okinawa understand that in their struggle against U.S./Japanese militarization of their islands, they embody the hope of all progressive and peace-loving people around the planet. しかしその雰囲気は変わった。沖縄の人々は米国と日本によるこの島々の軍事化に対する闘いにおいて、自分たちが地球上すべての進歩的で平和を愛する人々の希望を体現しているということを理解している。

Abe's bullying and anti-democratic tactics have not intimidated them. They are turning out in increasing numbers to show their defiance of these repressive measures. 安倍の弱い者いじめや民主主義に反した戦術で沖縄の人々がおじけづいているということはない。抑圧的な方策に抵抗して[反対運動に]参加する人たちの数は増えている。

As the U.S. political attaché in the embassy in Tokyo told us, if the people in Okinawa hope to stop the base relocation, they will have to make a lot of noise. They are doing exactly that and this latest poll shows that, far from being demoralized, they are rallying with great courage and conviction. 東京の米国大使館の政務担当公使は、沖縄の人々が基地移設を止めたいのなら声を大にすべきだと私たちに言った。沖縄の人々がやっているのはまさしくそれである。この最新の世論調査が示すものは、沖縄の人々は志気が衰えているどころか、大いなる勇気と信念をもって集会を行っているということである。

We know that the governments in Tokyo and Washington are paying serious attention. Our immediate job is to show militarists in the U.S. and Japan that they cannot win. 東京とワシントンの政府は真剣に注目している。私たちの差し迫った任務は、米国と日本の軍事主義者たちに、お前たちが勝つことはできないと知らしめることである。

Our long-term job is to reverse the militarization of the planet that undergirds their efforts, which includes restoration of the original meaning of Article 9 in Japan and forcing the United States to abandon its empire of bases and global domination.  私たちの長期的な任務は、日米政府の試みを下支えするこの地球の軍事化の方向性を逆転させることである。それは日本の憲法九条の本来の意味を復活させ、米国に対して基地帝国と世界支配を放棄させるよう強いることだ。

The brave people of Okinawa are leading this struggle. My only fear is that they will be hoodwinked again as they were by Governor Nakaima. 沖縄の勇気ある人々はこの闘いを率いている。私が唯一恐れているのは人々が再びだまされないかということだ。仲井眞知事にだまされたように。
 
This November's gubernatorial election will be crucial. Okinawa must not only defeat Nakaima, it must elect a governor who will stand with the majority of the people of Okinawa who are against the base relocation. この11月の知事選は極めて重要だ。沖縄は仲井眞氏を打倒するだけでなく、沖縄の多数派である、基地移設に反対する人々の立場に立つ知事を選ばないといけない。
 
The people and the media must directly ask the candidates whether they are ready to cancel the reclamation approval by Nakaima. Any wavering on this issue cannot be tolerated. 人々とメディアは、候補者たちに対し、仲井眞知事が下した埋め立て承認を撤回する用意があるのかと率直に問う必要がある。この点におけるいかなる揺らぎも許容されない
 
Electing someone who will lead in this struggle will send the clearest signal to Abe and Obama that they cannot succeed in their nefarious plans and that the people of Okinawa will not be defeated.この闘いを率いる人を選ぶことは、安倍首相とオバマ大統領に、彼らの非道な計画は成功しない、そして沖縄の人々は負けないとの最も明確なシグナルを送るであろう。

Peter Kuznick ピーター・カズニック