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Tuesday, August 30, 2011

Joseph Cirincione: Lessons of Hiroshima and Fukushima (Kyodo) ジョセフ・シリンシオーネ:「フクシマとヒロシマの教訓」(共同)

共同通信の英語版のサイトに8月9日に掲載された、ジョセフ・シリンシオーネ氏(プラウシェア財団会長)による論説文の日本語訳を紹介します。(翻訳 長谷三知子)Here is a Japanese translation (by Michiko Hase) of Joseph Cirincione's opinion article that appeared on the English-language website of Kyodo News Agency on August 9.

フクシマとヒロシマの教訓
Joseph Cirincione (写真はウィキペディアより)

ジョセフ・シリンシオーネ

東京、8月9日、共同

66年の歳月と800キロの距離が福島と広島のふたつの惨事を隔てる。だが、教訓は同じだ:原発であれ原爆であれ、核=原子力技術は本来危険なものだ、ということである。

フクシマが我々に教えたことは、原子力は安くもないしクリーンでもない、ということだ。福島で起きた複数のメルトダウンは、歴史上もっとも高くつく人災のひとつである。原子炉を安定化し、冷却し、密閉するまでに数十年の年月と何十億ドルという金がかかるだろう。

放射能汚染は、事故現場から遠く離れたところの牛乳、食肉、尿から見つかっている。結局は、砂とコンクリートで造った墓の中に原子炉を埋めるしかないだろう。それら原子炉の墓は、産業界と政府の愚行の無言の証言として、何世紀にもわたって、日本の海岸に点在することだろう。

ヒロシマが証明したことは、科学は宇宙の基礎的なエネルギー力は征服したが人間の基本的な本能は征服できなかった、ということだ。原爆禁止を求める人々の声―その中には、最初の原爆を造った米国の科学者たちの声もあった―に耳を傾けることなく、米国、ロシア、その他の国々は何千もの原爆を製造した。

[ヒロシマから]40年後の1986年、世界には7万個の水素爆弾と原子爆弾が存在した。それは、地球上の生命を何百回も破壊し得る量であった。

さいわい、われわれは原子力と核兵器についてのより健全な政策へと転換しつつある。日本の人々は、国のエネルギー政策の根本的見直しを政府に要求している。ドイツ、スイスなどの政府は新たな原子炉建設[計画]を撤回した。そして、原子力コストが上昇するなか、「原子力ルネッサンス」は死んだも同然となり、より安全でクリーンなエネルギー源への新たな投資が増えている。

核兵器数についても大きな進展がある。1986年以来、世界の核兵器の数は70パーセント以上減少し、今では約2万個にまで減ってきている。

核兵器は安全保障上の負債であって資産ではない、ということに各国の安全保障担当者が気づくにつれ、核兵器の数は更に減らされるだろう。今や、米国や日本をはじめとする世界の指導者たちが、バラク・オバマ大統領が述べたように、「核兵器のない世界の平和と安全」を追求しているのである。

しかしながら、こうした変化への強力な抵抗勢力も存在する。現存の体制から経済的あるいは政治的に利益を得ている者たちは、自らの職と利潤を守るためにたたかうだろう。皮肉にも、われわれの強力な新しい味方は世界財政危機である。予算削減に直面する安全保障指導者たちは、実際に必要とする通常兵器を確保するために、時代遅れの上に金のかかる核兵器プログラムを放棄するだろう。こうした動きは、米国、ロシア、英国ですでに起こりつつある。

今後20年間に、各国は、ヒロシマとフクシマがつけた欺瞞の道すじからますます離れ、もっと理にかなった安全保障とエネルギー戦略への移行を続けるであろう。

ジョセフ・シリンシオーネ
核政策を扱う財団、プラウシェアズ財団会長。著書に ''Bomb Scare: The History and Future of Nuclear Weapons" (『爆弾の恐怖: 核兵器の歴史と未来』)がある。
...........................

訳者からひと言:英語の原文では一貫して”nuclear power”が使われていますが、日本での慣用表現にしたがい、「原子力」と訳しました。ただ、冒頭の文章にある”nuclear technology”は、文章が「原発」と「原爆」の両方に言及しているため、またこの論説の論旨からして、「核=原子力技術」としました。

(翻訳 長谷三知子)

OPINION: Lessons of Fukushima and Hiroshima
http://english.kyodonews.jp/news/2011/08/107991.html

By Joseph Cirincione

TOKYO, Aug. 9, Kyodo

Sixty-six years and 800 kilometers separate the disasters at Fukushima and Hiroshima. But the lesson is the same: nuclear technology is inherently dangerous whether in a nuclear power plant or a nuclear bomb.
Fukushima showed us that nuclear power is neither cheap nor clean. The multiple nuclear meltdowns are one of the most expensive man-made disasters in history. It will take decades and billions of dollars to control, cool and seal the reactors.

Radioactive contamination has shown up in milk, meat and urine many kilometers from the disaster site. In the end, officials will likely be forced to bury the reactors in tombs of sand and concrete that will dot the Japanese shoreline for centuries in mute testimony to industrial and government folly.

Hiroshima demonstrated that science had mastered the basic energy force of the universe, but not our basic instincts. Rather than heed the popular pleas to ban atomic bombs -- including from many of the American scientists that built the first bombs -- the United States, Russia and other nations made thousands more.
Forty years later, in 1986, there were almost 70,000 hydrogen and atomic bombs in the world -- enough to destroy life on Earth hundreds of times over.

The good news is that we are moving towards more sane policies on nuclear power and nuclear weapons. The Japanese people are demanding that their government reconsider the entire national energy program. Governments in Germany, Switzerland and other countries have canceled new reactors. And the rising cost of nuclear power has effectively killed the ''nuclear renaissance,'' encouraging new investments in safer, cleaner energy sources.

There is also great progress on nuclear weapons. Since 1986, we have cut global nuclear arsenals by more than 70 percent, down to about 20,000 weapons.

More cuts are coming as security officials increasingly recognize that nuclear weapons are a liability not a security asset. Many world leaders, including in America and Japan, now seek ''the peace and security of a world without nuclear weapons,'' as President Barack Obama has said.

There is great resistance to these changes, however. Those that benefit financially or politically from the existing system will fight to keep their jobs and profits. Our great new ally, ironically, is the global financial crisis. Tighter budgets encourage security leaders to abandon obsolete and expensive nuclear programs in order to preserve the conventional military weapons they actually need. We already see this occurring in the United States, Russia and the United Kingdom.

The next two decades are likely to see nations continue to move away from the false paths charted at Hiroshima and Fukushima and towards more rational security and energy strategies.

(Joseph Cirincione is president of Ploughshares Fund, a nuclear policy foundation, and author of ''Bomb Scare: The History and Future of Nuclear Weapons.'')

==Kyodo

Friday, August 26, 2011

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)から日本政府へ勧告:「国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要」 IPPNW Advises Japan: "We see no alternative but that additional evacuations will be required to implement best-practice international standards of radiation protection."

(9月2日追記。『週刊金曜日』9月2日号でIPPNW書簡のことが取り上げられました。記事を下方に貼り付けます。)

On August 22, IPPNW (International Physicians for the Prevention of Nuclear War) sent a letter to Prime Minister Kan, urging the Japanese government to implement more measures to protect people from radiation effects, particularly children and pregnant women. The physicians of the 1986 Nobel Peace Prize-winning organization expressed concern "whether government agencies responsible for nuclear safety might have put political and economic interests ahead of the public’s health." They remain "profoundly concerned" over the 20 mSV annual dose limit set by the Japanese government in April, and see "no alternative but that additional evacuations will be required to implement best-practice international standards of radiation protection." See the original full text under the Japanese translation below. It is published on the IPPNW blog as well.
 
8月22日、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)が菅直人首相宛てに出した公開書簡の公式日本語版を掲載します。「原子力の安全性に責任を負う政府機関が公衆の健康より政治的・経済的利益を優先してきたのではないかとの疑問」を呈し、4月に日本政府が20mSVに引き上げた避難基準に対し「依然として深く懸念」を表明し、「国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要」と勧告しています。

IPPNWは1980創立、全世界63カ国の医師団体と2万人を超える医師たちで構成されています。冷戦中の1985年には、米ソの医師たちも協力し合い、特に核戦争や核実験の健康被害に重点を置き人道的な立場から、核による人類の滅亡を防ぐため、公衆の意識の向上に貢献したとして、ノーベル平和賞を授賞しています。

英語原文は日本語の下をご覧ください。また、IPPNWのブログでも公開されています。

以下、日本語版です。


IPPNW(International Physicians for the Prevention of Nuclear War核戦争防止国際医師会議)(1985年ノーベル平和賞授賞)

2011年8月22日

100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1
内閣総理大臣
菅直人閣下

拝啓

 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)は、3月11日の地震と津波のあと日本で起きた悲劇的なできごとを綿密に追ってきました。今回の大災害の犠牲者の皆さま、そしてすべての日本の皆さまに、心からお見舞い申し上げます。毎年この時期、皆さまは広島と長崎への原爆投下を思い起こされています。そして、平和を祈念し、核兵器が二度と再び使われることのないようその廃絶を願うアピールを国として採択されています。しかし今年は、悲しいことに福島で起きた新たな核の災害から立ち直ろうとしている最中にそれらの日を迎えることとなりました。IPPNWの全員が、皆さまと悲しみを分かち合いたいと思います。

 私たちがこの数カ月間特に懸念してきたのは、福島第一原発での事故について、そして最も危険な地域に暮らす人びとの放射線被ばくの影響についてです。私たちは危機の初期の頃から、事故を起こした原子炉から出る放射性物質の中身と規模について日本の公衆と国際社会に対し充分な情報提供がなされていない様子であり、これを遺憾に思うと申し上げてきました。また、被害にあわれた住民の方々の被ばくについて適切な調査が行われていない可能性があること、原発周辺に住む方々の避難範囲が充分ではない可能性があること、そして国際的に実践されてきた最善の放射線防護の基準からすれば、被ばくの上限値は日本の人びと、特に子どもや妊婦など弱い人びとを守るために必要なレベルに満たないものであるとも申し上げてきました。

 最近の報道では原子力の安全性に責任を負う政府機関が公衆の健康より政治的・経済的利益を優先してきたのではないかとの疑問が上がっており、私たちはこれを心配しております。

 私たちは、核兵器ならびに福島のような原発事故が健康と生存にもたらす脅威を何よりもまず懸念する国際的な医師の団体です。そのような立場から強く要請したいのは、この危機の対処策について総理が複雑かつ困難な決定を下されるにあたって、日本の人びとの健康と安全をもっと優先していただきたいということです。なぜなら核の事故による影響は、あまりにも重大で長期的だからです。福島の放射性物質による汚染は国境を越えて世界中の大気や海へと拡がり、日本だけではなく世界中で健康に影響を与えるのです。

 総理も仰ってきたように、状況はまだ安定していません。壊れた原子炉と使用済み燃料プールの構造的な健全性が回復し、安定的な冷却が持続し、冷温停止になるまでは、広範囲にわたって損壊した原発からより多くの放射性物質が放出される可能性がまだ残っています。特に余震が頻繁に起こり続けているという背景においてはその危険性があります。したがって、その必要が生じた場合には福島第一原発から少なくとも80-100km圏内で迅速に大規模な避難を行えるように包括的な計画を立てておくことが必要不可欠であると、私たちは考えております。

 たとえ放射性物質のさらなる大気中への放出がないとしても、以下の措置の中でまだ未着手のものは一刻も早く実行に移してください。そして他のすべての利益よりも公衆の健康を明確に優先してくださるよう強く要請します。

1. 一定以上汚染された地域の住民の放射線防護とケアのために緊急に必要なのは、包括的で一貫性があり、最善の方策を採るアプローチです。その基本的な要素には以下のものが含まれるべきです。
a) 放射能汚染についての詳細な空間地図の作成。
b) 福島第一原発からの単純な距離ではなく、実際の汚染レベルと予想される被ばくの総量とに基づく管理体制。被ばくの総量は、外部被ばくと内部被ばくの両方を含むこと。
c) 陸および海の環境中ならびに食物、植物、動物、水の放射能汚染に関する長期的・継続的な調査。速やかにかつ完全に結果が公表されること。
d) 一定以上汚染された地域の住民と福島第一原発の全作業員の包括的な登録作業。そして被ばくの早期評価と長期的な(生涯にわたる)健康調査。日本政府と福島県は、放射線医学研究所、福島県立医科大学、広島大学、長崎大学と共同で、福島に住む人びとの包括的な健康調査を開始されたとのことですが、私たちはこれを歓迎いたします。また、これらのデータはそれぞれの人に対して最適のケアを提供し、この災害の長期的な影響を理解および記録し、被害にあわれた住民の健康上の必要性に最も見合うサービスを計画しその目標を定めるにあたって重要となります。これらの計画と進展の詳細は、国際社会と共有されれば有益でしょう。包括的な住民登録に基づく健康調査は、長期的で独立したものでなければなりません。また、すべての過程・データ・結果は国際的な専門的評価にかけられるとともに、誰もがアクセス可能な形で速やかに公開されるべきです。チェルノブイリにおいては事故後にそのような厳密なプロセスが欠如していたため、大きな空白ができてしまい、現在例えば国際がん研究機関などがそれを埋めるべく取り組んでいるという状況です。内部被ばくの継続的評価は、住民の健康調査における重要な要素とされるべきです。
e) 一般公衆の医療行為以外での付加的な被ばくの許容線量は、すべての放射性核種に対する外部被ばくと内部被ばくの両方を含めて、合計年間1ミリシーベルトに戻されるべきです。これは特に子どもと妊婦にとって重要であり、一刻も早く実施されるべきです。
f) 慢性的な低レベル電離放射線への被ばくが健康にもたらすリスクに関する証拠の重みが増していることをふまえ、また、世界各国の放射能汚染管理対策に合わせるならば、医療行為以外での回避可能な被ばくは年間5ミリシーベルト以上許容されるべきではありません。さらに、事故発生から一年が経過したあとは50歳以下の大人に対して年間1ミリシーベルトを超える被ばくを許容すべきではありません。
2. 国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要です。私たちはそれ以外に方法はないと考えます。さらなる回避可能な被ばくを最小限にするために、避難計画が迅速に立案、実施されるべきです。環境中の放射能が高い時期に対応するために、余裕をみても2011年末までには完了させるべきです。

3. 今回の事故の結果もし従来の居住地に留まるなら年間1ミリシーベルト以上の付加的な被ばくを受ける可能性のある人びとについては、その全員に対して、移住のための援助策が施されるべきです。その目的は、健康保持を促進し、既に多くを失った人びとに対してこれ以上の金銭的・精神的な負担がかかるのを避けることです。

4. さる4月、貴国政府は子どもや妊婦を含む公衆に対して年間20ミリシーベルトの放射線許容線量を設けましたが、このことについて私たちは依然として深く懸念しています。自国の一般公衆にふりかかる放射線に関連する健康上の危害をこれほどまで率先して受容した国は、残念ながらここ数十年間、世界中どこにもありません。このような基準は、受け入れがたい健康上のリスクを、避けることができるにもかかわらずもたらすものです。私たち医師には、このことを指摘する倫理的責任があります。

5. 市民が自身と家族の被ばくをどのように減らすことができるのかについて、権威ある情報が広く提供されるべきです。しかし、意味のある除染措置を特に農地などで大規模に行うためには、政府の資源を必要とするということもまた認識されなければなりません。
 福島第一原発による放射性降下物にさらされた人びとはもちろん、リスクにさらされることになる未来の世代の健康を最大限守っていくためにも、これらの方策が医学的に必要であることを私たちは確信しています。そのような優先事項が明確に示され実行に移されれば、既得権益が人びとの健康と安全を危うくしているわけではないとの信頼が、国内外で長い時間をかけて回復していくはずです。総理がこうした視点を共有し、これらの方策を確実に実行すると約束をしてくださることを切に願うしだいです。

敬具

核戦争防止国際医師会議(IPPNW)
共同会長 ヴァップ・タイパレ、共同会長 セルゲイ・コレスニコフ、共同会長 ロバート・ムトンガ

(翻訳 田中泉、乗松聡子、川崎哲)

Here is the original letter - click on the letter for a larger view. It is also published on the IPPNW blog.

『週刊金曜日』9月2日号より 「日本の許容線量設定に異議 国際医師会議が書簡提出」(成澤宗男)

(クリックすれば大きく見られます)



Wednesday, August 24, 2011

「政府が学校の放射線量に新たな目安」報道は計算が合わない→追記:文科省8月26日通知書の批判

(追記。文科省の通知書類見つかりました。「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について(通知)」-内容の問題点について8月27日、更に29日、下方に追記しました)

(8月30日追記。文科省の計算のからくりを示す『学校において受ける線量の計算方法について』の存在をコメント欄で読者から教えてもらいました。コメント欄に全文転載しております。)
学校の毎時3・8マイクロ・シーベルト基準廃止という報道が流れている(下記参照)。

「夏休み明けは学校で子どもが受ける放射線量を原則として年間1ミリシーベルト以下とし、この目標を達成するための新たな目安を1時間当たり1マイクロシーベルト未満にすること」(NHK)とある。

数字の「1」さえ使えば聞く方は安心するとでも思っているのだろうか。計算が合わない。小学生だっておかしいと思う数値だ。

毎時1マイクロシーベルトはそのまま年に換算すれば8.76ミリシーベルトである。当初文科省は一日屋外8時間、屋内16時間、屋内は屋外の4割の放射線量という仮定で毎時 3.8マイクロシーベルトの校庭の場合年間20ミリSVである、というこじつけ的な計算をしていた。今回の「新基準」とやらで、屋外毎時1マイクロシーベルト、屋内毎時0.4マイクロシーベルトとして、同じ計算式を適用しても年間5ミリシーベルトとなる。

屋外8時間、屋内16時間(屋内は屋外の4割)の計算で1年1ミリシーベルトに抑えるには、屋外の線量は毎時0.19マイクロシーベルトでなければいけない計算になる。一体どうこじつけたら毎時1マイクロシーベルトが年間1ミリシーベルトになるのかわからない。

私が文科省の役人でこじつけを命じられたら、子どもは学校にいる間の外部被曝しかしない、というあり得ない仮定をして、たとえば学校にいる約6時間のうち1時間は校庭活動をし5時間は校舎の中にいるとしてみたら、できた!屋外毎時1μSVでも年間1ミリSVを達成できる。あとはメディアにごまかし報道をさせればいい。

実際のこじつけをどうやっているかは文科省の書類を見ればわかるのだろう(まだ見つからない)が、校庭が毎時1マイクロシーベルトの学校を国の費用で除染するなど、5月末に「年1ミリSVを目指す」と言った時点で約束していたことだ。今回の「新基準」とやらは、追加費用をかけず追加避難もさせず追加責任も取らず何か進んだことをしているかのように見せかけるペテンとしか思えない。

こんな小細工をしかけて、内外からの20mSV避難基準に対する批判をかわし市民を騙そうとしているのなら断固許せない。子どもの命を何だと思っているのか。プラス、読む人に全く理解できない、計算の合わない数値をそのまま流すメディアの批判能力の欠如は手のつけようがない。忙しい人はササっと読んで、「ああそうか、政府も子どもの健康を考えているのだな」と思ってしまう。みなさん、だまされないように。

本日、アメリカの医師団体IPPNW(核戦争防止国際医師会議)が菅首相宛てに公開書簡を送った。全文はここにある。ここにはまさしく、

We remain profoundly concerned that the 20 mSv annual radiation dose limit for members of the public, including children and pregnant women, set by your government in April, unfortunately represents the greatest willingness to accept radiation-related health harm for the general population of any government around the world in recent decades. As physicians, we have an ethical responsibility to state that such a level is
associated with unacceptable health risks where these can be avoided.

「我々は、あなたの政府が4月に設定した、子どもや妊婦を含む一般市民の年間被曝限度20ミリシーベルトが、この数十年のうち世界中の政府が設定した基準値の中でも、最も公衆を放射線による健康被害にさらすことを容認するものであることに対し、深い懸念を抱き続けています。我々は医者として、このようなレベルの放射線量は、とても許容できない健康被害のリスクをはらんでいるということを訴える倫理的な義務があります」
と書かれている。IPPNWは、4月29日にも高木文科相に書簡を出し「福島の子どもたちの被曝許容量は有害であり、保護義務を放棄している」と訴えている。アメリカの「社会的責任のための医師の会」(PSR)は、4月26日にワシントンで会見を開き、「日本政府が子どもの被曝限度引き上げたことは衝撃的」と述べている。その後5月27日に文科相は「年間1ミリシーベルト」を目指すとし、国の負担で校庭の除染などを進めてきたが、この20ミリシーベルトの避難基準を変更したわけではない。

このIPPNWから菅首相への書簡の日本語版がもうすぐ発表されるのでそのときにまた投稿します。(8月27日追記:26日に投稿しました。「IPPNW(核戦争防止国際医師会議)から日本政府へ勧告:「国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要」 IPPNW Advises Japan: "We see no alternative but that additional evacuations will be required to implement best-practice international standards of radiation protection."」 )



参考報道

NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110824/t10015110761000.html 

学校の放射線量に新たな目安
8月24日 12時31分
東京電力福島第一原発の事故を受けて示された学校での屋外の活動を制限する放射線量の目安について、文部科学省は年間の積算で20ミリシーベルト未満とする数値を廃止することを決め、新たな目安を年間1ミリシーベルト以下とすることを福島県に通知することになりました。

福島県の学校や幼稚園などの屋外での活動を制限する目安の放射線量については、文部科学省がことし4月、年間20ミリシーベルト未満、1時間当たり3.8マイクロシーベルト未満という数値を示していました。その後、福島県内の学校などでは、放射線量を下げるために校庭の土を取り除く作業が進み、現在は、すべての学校で1時間当たり3.8マイクロシーベルトを下回っていることなどから、文部科学省はこの目安を廃止することを決めました。そのうえで、夏休み明けは学校で子どもが受ける放射線量を原則として年間1ミリシーベルト以下とし、この目標を達成するための新たな目安を1時間当たり1マイクロシーベルト未満にすることにしています。また1マイクロシーベルトを超えても屋外活動を制限する必要はないとしていますが、速やかに除染対策を行うことが望ましいとしています。文部科学省は新たな目安について今月26日にも福島県に通知を出して周知を図ることにしています。

読売新聞
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110824/t10015110761000.html 
学校の毎時3・8マイクロ・シーベルト基準廃止

 政府は、学校での屋外活動を制限する放射線量としてきた毎時3・8マイクロ・シーベルトの基準を廃止し、今後は同1マイクロ・シーベルトを目安に校庭などの除染を進める方針を固めた。

 基準線量が高すぎるとの批判や、福島県内外で独自に除染が進められている状況を受けたもので、事実上これまでの「安全値」を見直す形だ。文部科学省は、子供が学校で受ける積算線量を年間1ミリ・シーベルト(1000マイクロ・シーベルト)以下に抑えることを目指し、除染費用を支援する。

 毎時1マイクロ・シーベルトは、年間の積算放射線量が1ミリ・シーベルトを超えない目安と位置づけ、屋外活動を制限する新たな基準とはしない方針。年間1ミリ・シーベルトは、平常時に自然界や医療行為以外で浴びる線量の限度とされる。

(2011年8月24日03時04分 読売新聞)

共同通信
http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011082401000414.html 
屋外活動で放射線量に新基準 政府、学校など除染支援

 政府が、小中学校や幼稚園での屋外活動制限の放射線量としていた毎時3・8マイクロシーベルトの基準を廃止し、毎時1マイクロシーベルトを新たな目安とし、学校などの除染を支援する方針であることが24日、分かった。

 文部科学省は「年間1ミリシーベルトを目指す」とする目標を示しており、これに対応した措置。1ミリシーベルトは一般人の年間被ばく線量の限度とされる。近く開かれる原子力災害対策本部の会合で正式に決める。

 政府は、国際放射線防護委員会の被ばく線量の基準に従い、これまで年間20ミリシーベルトを超えないように毎時3・8マイクロシーベルトと設定。しかし生徒・児童らの被ばく線量を年間20ミリシーベルトを目安に算定していたことに批判があった。
(以下、8月27日追記分。ツイッター@PeacePhilosophyで書いたもの)

先日問題にした「政府が学校の放射線に新目安」報道は計算が合わないという件http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/08/blog-post_24.html と、その元になる文科省通知「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について」http://radioactivity.mext.go.jp/ja/8849/8850/8864/1000_082614_1.pdf は見つかった。

暫定的に毎時3.8μSVが校庭活動制限基準だったが今後「夏季休業終了後,学校において児童生徒等が受ける線量については,原則年間1mSv以下(※3)とし,これを達成するため,校庭・園庭の空間線量率については,児童生徒等の行動パターン(※4)を考慮し,毎時1μSv未満を目安」と。

「夏季休業後」というのがまず問題だ。多量の被ばくをした3月を含め、1学期を考慮しないという意味である。お役所は勝手にそうやって基準を「リセット」できるが、被ばくしてしまった子供たちの体は「リセット」なんてできない。そして問題点がこの通知の注記(3)(4)にある。

「※3 学校での内部及び外部被ばくを含み,自然放射線による被ばく及び医療被ばくは含まない。また,夏季休業終了後からの数値とする。 ※4 学校への通学日数を年間200日,1日当たりの平均滞在時間を6.5時間(うち,屋内4.5時間,屋外2時間)とする。」

学校での被ばくしか考えていないということは、子供たちが学校外でする被ばくには責任を持ちませんよということだ。4月19日通達では少なくとも屋内16時間、屋外8時間と、一日に子どもは24時間生きて空気を吸っているということを認めているが、今回は計算を合わせるために基準を改悪した。

「学校での内部および外部被ばくを含み」と簡単に言って、「内部被ばくを考慮していない」との批判をかわそうとしているように聞こえるが、子どもの学校での内部被ばくなどわかるのか。空間線量からの推測をしようとしているのだろうが数式もない。給食からの内部被ばくなど考慮してないだろう。
 
あとは、問題にしてきた、毎時1μSVがどうしたら年間1mSVになるのかという計算だ。4・19通達では木造校舎での屋内を屋外の4割の被ばくとするという仮定があったが、今回の通達にはそれさえ見当たらない。この書類だけでは計算できる情報を出さず、人に胸張って出せる計算でないことがうかがえる。
 
4・19通達と同じ、屋内が屋外の4割の被ばくと想定すると、注記(4)の、屋外2時間、屋内4.5時間、年間200日の登校で外の線量が毎時1μSVの場合(1 μSV X 2 hours + 0.4 μSV X 4.5 hours) X 200 = 760 μSV (0.76mSV)

初期の大量被ばくはなかったことにして、学校にいるときだけの被ばくで、外部被ばくだけで、毎時1μSVの場合、年間0.76mSVなので、1mSVを下回るということか。子どもたちは学校にいない長時間の外部被ばくと全内部被ばく合計を年間0.24mSVに抑えなくてはいけなくなる。

こんな数のつじつまだけ合わせ、「今後の対応」なんてよくも言えたものだ。悪質な印象操作で、現状はそのままで、年1ミリが達成できるような幻想を与えようとしている。それを鵜呑みにしてメディアも報道している。本当にこの国は子どもの命などどうでもいいのか。


下記にTWしてきた件でAFPの英語記事発見。http://www.japantoday.com/category/national/view/japan-cuts-radiation-exposure-limits-for-children  「日本は子どもの被ばく限度を引き下げた」とある。文中には年1ミリシーベルトに引き下げたと書いてある。こんな誤解を招く記事が海外に出ては大問題だ。
 
(以下、8月29日追記。)

毎日の報道を見た。
http://mainichi.jp/select/science/news/20110826k0000e040048000c.html (下方貼り付け)

毎日「夏休み終了後に福島県内の児童生徒らが学校で受ける線量は、通学日数200日、1日当たりの滞在時間6.5時間(屋内4.5時間、屋外2時間)の条件で、校庭などの線量を毎時1マイクロシーベルトとした場合、給食などの内部被ばくを含めても年間0.534ミリシーベルトとの推計」

前記は文科省の書類にはないので、記者会見で文科省が発表した内容であると察する。以前も書いたが、内部被ばくをどう予測してるのか。「給食での内部被ばく」は当たり前だが文科省が口頭でも認めたとしたらえらいことだ。私は、外部線量から予測した吸引による内部被ばくのことだと思っていた。

いずれにせよ内部被ばくも加味して年0.534ミリなど、計算のプロセスを見せてもらえなければ絶対信用できないし、自信を持って人に提示できるような計算をしているのなら文科省も書類に書くと思うし記者会見でも言うだろう。記者会見で計算式を提示するように誰も問い詰めなかったのだろうか。

とりあえず、内部被ばくの計算式がどうだったのかを脇に置いておいて、この「年0.534ミリ」から逆算して屋内と屋外の比率をどう前提しているのかはわかるだろう。
 (1x2 + X x 4.5) x 200 = 534 のXを割り出せばいい。
 
計算すると、 X = 0.14888...となる。少数二ケタで四捨五入して、0.15。1に対する0.15の割合は当然ながら同じ0.15。屋内被ばくを屋外の15%とみなしている計算だ。これは4月19日時点での文科省による木造校舎内被ばくの屋外に対する比率の推定、40%より随分低く見積もっている。

311から今までの間に福島の学校の校舎を全部鉄筋コンクリートに作り替えたとでもいうのだろうか。この数字に内部被ばく分も入っていると主張しているのだから呆れる。これは断固、文科省に追及すべき問題だ。


参考報道 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/science/news/20110826k0000e040048000c.html
学校放射線量:毎時3.8を1マイクロシーベルト未満に

 文部科学省は26日、東京電力福島第1原発事故を受け福島県内の学校などで屋外活動を制限する放射線量の基準値毎時3.8マイクロシーベルトを廃止し、校庭などで受ける線量の目安として毎時1マイクロシーベルト未満とする方針を同県など全国に通知した。児童生徒らが学校で受ける線量は原則年間1ミリシーベルト以下に抑制する。毎時1マイクロシーベルトを超えても「屋外活動を制限する必要はない」とし、局所的に線量が高い場所の除染で対応する。

 現状では政府の指示で住民が避難した地域以外で積算線量の予測値が年間1ミリシーベルトを超える学校などはなく、暫定基準値の役割が終わったと判断。夏休み終了後に福島県内の児童生徒らが学校で受ける線量は、通学日数200日、1日当たりの滞在時間6.5時間(屋内4.5時間、屋外2時間)の条件で、校庭などの線量を毎時1マイクロシーベルトとした場合、給食などの内部被ばくを含めても年間0.534ミリシーベルトとの推計を示した。

 文科省は4月19日、国際放射線防護委員会(ICRP)の声明を参考に、夏休み終了までの放射線量の目安を年間1~20ミリシーベルトとし、上限値から逆算した毎時3.8マイクロシーベルトを超えた場合に屋外活動を1時間に制限する基準を設けた。だが、「影響を受けやすい子どもには高すぎる」と基準を批判した内閣官房参与が辞任するなど混乱が広がったことを受け、文科省は5月27日、基準を維持しながら、今年度に児童生徒らが学校で受ける放射線量について年間1ミリシーベルト以下との目標を新たに設定していた。【木村健二】

Wednesday, August 17, 2011

Gavan McCormack: Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa (Japanese Version) ガバン・マコーマック 『欺瞞と外交:米国、日本、沖縄』 日本語版

A Japanese version of Gavan McCormack's article in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus "Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa." Go to LINK for the original article.

不当な基地負担を強いられてきた沖縄の抵抗を世界に伝え続けるガバン・マコーマック氏(オーストラリア国立大学名誉教授)による記事 Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa (The Asia-Pacific Journal: Japan Focus 5月23日掲載)の日本語版を紹介します(翻訳 伊藤夏子 協力 杉山茂)。(このブログ上のバージョンは脚注がついていません。脚注つきの印刷用にはこちらのリンクからPDF版をダウンロードしてください。)



ガバン・マコーマック 『欺瞞と外交:米国、日本、沖縄』 
2011年5月23日

Gavan McCormack, Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa, The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 21 No 1, May 23, 2011
http://www.japanfocus.org/-Gavan-McCormack/3532


翻訳 伊藤夏子 協力 杉山茂
 
朝日新聞と琉球新報は日本、沖縄、そして日本・米国・沖縄の関係をめぐるウィキリークスが所有する外交公電の一部を公開した。本論は、公開が始まったこの貴重な文書を存分に活用し、40年に及ぶ欺瞞の歴史に位置づけた最初の論文である。ウィキリークスが公表した外交公電に加え、本論はこの2年間に次第に明らかになった日米間のいわゆる「密約」、また、鳩山前首相の「告白」、不可解な「メア事件」、そして最近の米政界における沖縄問題への視点の転換がもたらす衝撃について論じる。

1.「属国」ブルース

現代日本研究者にとって今は悲しい時である。3月に日本を襲った悲劇とチェルノブイリの如き恐怖が引き続き東日本全域に拡大している状況を衝撃と悲嘆なくして見ることはできない。しかし、とりわけ悲しいのは、日本の人々はもっと報いられて然るべきなのに、日本にこれらの問題に取り組む真に責任ある民主政府がないことである。

日本の人々が半世紀にわたった腐敗と馴れ合いの自民党支配に愛想を尽かし、選挙でこれに終止符を打ったのが昨日のことのように思える。しかし、2009年9月以降、あっという間に取り組みは後退し、刷新と改革は妨げられ、その無責任さと互角に張り合える特徴といえばその無能さのみという従順な米国指向の政権が復活した。これは、核の危機(訳者注:原発事故を指す)に対する官僚、政治家、メディア、核産業(訳者注:原子力産業)の責任回避、情報操作、共謀、あるいは日本が最重視する対米関係の中核である沖縄基地問題の扱いに見ることができる。2006年出版した拙著のテーマは、日本は自国の権益よりも米国のそれを優先する米国の「属国」だというものであった 。その後、このテーマを裏付ける証拠が明るみになり、日米関係は旧ソ連帝国の中央と周縁の関係に見られたようなある種の屈辱に彩られたものであることが露呈された。この関係は、世界の二大資本主義国であり、民主主義の旗手とされる米国と日本の関係としては大変不適切なものである。

2009年9月、アジア太平洋地域の新秩序実現をうたった鳩山政権が誕生した後、国家としての頂点にあるはずのものが欠けているという日本国の特徴が次々と明らかになった。およそ70年前の敗戦後、米国保護下で創られ育ったこの国は、今日まで遠方の建国の父に対し従順な指向を保ってきた。本論では2009年から2011年に起きた5つの出来事に着目する。「密約」、鳩山前首相の「告白」、ウィキリークスによる暴露、「メア事件」、そして2011年5月現在、進行中の「レビン・ウェッブ・マケインショック」とでも呼ぶべき出来事である。これらを通じて導き出されるのは、日本国における民主主義体制の責務―選挙民によって選ばれた政府はそれを選んだ彼らに対してこそ応答責任がある―は幻想であるという悲しむべき結論である。日本の独立とは守るべきものではなく、まだ勝ち取らねばならないものなのだ。


2. 密約:沖縄「返還」と秘密外交 1969-2009

20世紀末から21世紀初頭の日米関係の枠組みは、1960年代末から1970年代初めにかけて合意された一連の「密約」によって形作られた。この「密約」は2009年から2010年、民主党政権下で公式の調査対象とされ、情報公開と裁判所の命令に準じ、公文書が公開された。鍵となる秘密合意の一つは米国の核戦略への日本の密かな協力に関するもので、もう一つは、1972年の沖縄返還をめぐるものである。基調をなすのは不透明な不正と欺瞞である。

「核抜き本土並み」とうたわれた沖縄「返還」は、日本外交の勝利であり戦後の終わりであったはずだが、実際はこれを打ち消す秘密合意で塗り固められていた 。米国が必要とみなせば事前協議なしにいつでも核兵器持ち込み(reintroduce)を可能とする条項により 、両国政府は、公言された「核抜き」と佐藤首相が1967年に発表し、彼にノーベル平和賞をもたらした「非核三原則」を無効にした。日本(と米国)政府は日本と沖縄の人々を欺き、返還の舞台を作り上げ、2009年までの歴代首相および政府は、時には核をめぐる取引を記した米国公文書さえ否定し、嘘をつき続けた。4人の元事務次官が告白し、2009年に政権が交代してようやく真実が認められた。

1969年11月に佐藤とニクソンが交わした沖縄返還合意をめぐる近年公開の秘密文書は、取引の本質をくっきり見せてくれる。

第一に、交渉開始当初から、日本政府は「返還」(reversion)を求めるものの実際は「保持」(retention)すること、つまり、米国が日本に施政権を返還した後、基地を閉鎖しないことを求めた。当時、沖縄基地の主な役目は連日のベトナム爆撃であったが、佐藤政権にとって基地は欠くことのできない抑止力であった。

第二に、米国はこの特異な取引について日本側に支払を求め、将来の基地取り扱いに対する条件を設定した。「返還」とは買戻し(buy-back)であった。米国は6億5千万ドルという法外な金額を主張し、これを「価格」(price-tag)と呼び、大部分を「一括払い」で求めた。6億5千万ドルは、米国への資産返還にかかる費用として公表された3億2千万ドルの2倍である。この3億2千万ドルさえもが出鱈目であった。これには核兵器撤去のためと称する7千万ドルが含まれていたが、40年後、当時の日本側交渉担当者は「『これだけ金を払ったから、撤去したんですよ』と示すために内訳を決めた。国会対策としてやった」と白状した 。沖縄「返還」は、資産がアメリカの手に保持されることを日本が主張した「買戻し」であった。嘘を前提とし、日本国憲法第9条をこの上なく露骨に侵したこの取引は日本国憲法を二重に裏切るものであった。日本は米国に金を支払いながら、買ったはずのものを米国が返還しないよう迫った。口座は二つ用意された。一つは本当の金額が振り込まれた秘密口座であり、もう一つは実際の半分、しかもそれさえも嘘であった金額が振り込まれた口座であった。

米国に軍事資産の保持を求め、その使用について最大限の自由を認め、重要でない権限のみ沖縄に返還し、取引を進めるために莫大な金額を支払うことで、日本は沖縄の一番の存在理由が引き続き戦争であるということを(米国に)保証したのである。沖縄の人々の戦争への激しい嫌悪感と日本国憲法の中枢の原理である平和主義への希求をコケにして、である。

約20年後、冷戦が終結した。沖縄の人々はついに平和憲法が自分達にも適用され、米軍基地の負担が減ると期待した。しかし、再度、これは実現しなかった。基地撤去と島の非軍事化への決意を表明した知事は最高裁に召喚され、米軍への土地貸与の強制執行に署名させられた。

1995年、米兵3人が沖縄の少女を強姦した事件が基地の存在(ひいては「同盟」)を脅かす抗議を巻き起こした。日米両国はそれぞれの利権保持のために譲歩する必要性を感じ、さらに欺瞞を重ねた。両政府は、人口過密の宜野湾市中心部に位置し、ラムズフェルドが世界一危険な基地と呼んだ普天間基地を日本に返還することで合意した。この発表に驚かずにはいられない。この「返還」の欺瞞は報告書の付属文書に記されていた。1972年の「返還」(reversion)が「保持」(retention)であったなら、1996年の普天間「返還」(reversion)は「置換」(substitution)であった。不便、危険、かつ時代遅れの普天間に替わり、新しく大きな洗練された多機能の施設を設ける、というものだ。15年たった今もこの合意は実施されていない。

沖縄の人々はこの合意に当初から反対した。その後の15年の歴史は、日米の圧力の前に沖縄の人々が普天間移設を拒否した歴史である。1998年2月、大田昌秀知事が計画実施の拒否を表明すると日本政府はあらゆる交渉を凍結し、不法かつ憲法に反する多額の秘密資金を用いたキャンペーンによって彼を知事の座から追い落とした。この時の詳細は2010年、暴露された 。

従順な知事が就任した。辺野古計画に対する北部の反対派買収に多額の国家資金を継ぎ込み、小泉首相は2001年、辺野古に普天間代替施設の建設を推し進めようとした。2004年、近海で調査が始まると反対派は抗議の座り込みを開始した。(7年たった今も座り込みは継続している)。この運動は全県の支持と共感を呼び、2005年、小泉首相は敗北を認め、(沖合)計画を断念した。1年後、彼は陸上建設計画としてこれを蘇らせた。キャンプシュワブの敷地内に移すことで反対派による抗議活動は一層困難になる。人々の反発をかわすための常套手段であった。しかし反対派の決意は固く、2008年後半、日本全土で半世紀にわたる自民党一党支配の腐敗と無能ぶりへの憤りが高まると、移設計画は危機にさらされた。野党民主党は沖縄県内に普天間移設は行わないと公言し、全国、とりわけ沖縄の人々の支持を集めた。

オバマ政権初期と自民党政権末期(2009年初頭)は、日米双方の「同盟」運営者が沖縄の人々が望む結果を回避しようとした日々であった。東京の米国大使館は本国に、日本外務省が2006年の「再編成」合意を支持しており、これを「協定レベル」の合意に格上げすることで「後々の内閣にも法的拘束力のあるものとする」ことを望んでいると報告している 。

締結されたグアム国際合意は内容、形式ともに注目に値する外交合意であった。日本は普天間を辺野古に移設するために明示されない金額(100億ドル相当とされる)を支払い、グアムでの米兵の住居、その他施設建設のために61億ドルを支払い、それによって2014年までに「海兵隊員8千人とその家族9千人」を移動させるというものである。協定であるこの合意には法的拘束力があった。人々の支持を急速に失っていた自民党は、2009年5月までに米国財務省に3億6千万ドルを支払うべくあらゆる制限を取り払った。そして、28億ドルを現金で、残りはクレジットで計61億ドル支払うとした。

一番の関心は国家の安全保障ではなく―これは議論さえなされなかった―、コストを無視してでも米国による沖縄支配を継続させること(そして米国のアフガン、イラク戦争に必要であろういかなるサービスをも提供すること)であった。

2009年2月、東京でヒラリー・クリントンが署名し、5月に国会承認されたオバマ政権最初の対日政策は、日本だけに法的義務を課した不平等協定であった。これは、両国政府が日本の人々の民主的意思を欺くために用意した計画である。自民党の支持率急落を目前に控え、調印は大急ぎでなされた。私はこの時、次のように書いた。グアム国際合意は「後の世代によって、日米関係を明確に決定づけた瞬間、両政府があまりに行き過ぎてしまった―米国は(自民党と交渉できる残り時間が少ないと知って大慌てで)要求し、日本は不平等なだけでなく憲法に反し、不法、植民地的、かつ欺瞞に満ちたものを甘受した―瞬間として研究されるだろう。双方の行き過ぎは憤りを生み出すと思われ、長期的には日米関係の維持を一層困難にさせる」 。

これが実際に起きたことである。東京大学の優れた政治学者である篠原一は、この5月28日の合意は1945年8月に匹敵する日本の「二度目の敗北」だと記している 。


3. 民主党:鳩山から菅へ (2009年~)

2009年、日本は米国の支援に大きく頼った半世紀の一党支配に終止符を打った。前年の米国オバマのように鳩山も国のビジョンを持ち、変革への希望というムードに乗って当選した。彼の構想には、選出された議員を通じて政治を官僚の手から人々に取り戻すこと、また、対米中心の一極主義から多極化に向けて対等な立場で日米関係を見直し、日本が東アジアの中心メンバーとなることがあった。最も具体的な公約は普天間基地閉鎖と最低限でも県外への移設であった。

米国は鳩山のアジア共同体構想に極めて懐疑的であった。さらに、いかなる国とも「対等」な関係の実現など決して検討したこともない米国は、従順な日本がそのような提唱をするのは非常識だと捉えた。米国は、とりわけ普天間問題について鳩山を妨害する決意を固めた。鳩山が、深く埋め込まれてきた「属国」制度に挑戦し、民主的かつ独立したアジア中心のビジョンを提示したため、米国政府は彼を潰すか、骨抜きにすべき脅威とみなした。

オバマ大統領は鳩山との面会も鳩山のビジョンや政治課題について議論することも拒絶した。国務省と国防総省は警告と脅迫の度を次第に強め、幾度も最後通牒を突き付け、鳩山に服従と辺野古への新しい海兵隊基地(普天間代替施設)建設を要求した 。米国のいかなる同盟国も、おそらくはいかなる敵国も、鳩山が2009年後半直面した言うなれば虐待と脅しを経験してはいないだろう。

しかし、それだけではなかった。2011年5月ウィキリークスが公表した文書は、鳩山が自国政府に裏切られていたことを明るみにした。知識人の背信というものがあるなら、まさにこれがそうであった。鳩山政権初期から日本政府高官は米政府高官と内々に共謀と呼べる関係を保ち、鳩山は「人格的に欠点がある」首相で「個性の強い人間と話すと弱くなる」、また「大抵、最後に耳にした強い主張に基づき自分の見解を述べる」ため、オバマ政権は主張を変えないようにと助言していた。鳩山政権は「まだ準備中」であり 、「不慣れ」で「愚か」 、その政策決定過程は「無秩序」 である。鳩山の高官は政治家も官僚も、前任の自民党が半世紀そうであったように、彼や日本の有権者ではなく米国に忠実であった。

これら日本の高官は米国に、譲歩しなくてよい、「柔軟さを示すことは避けよ」、自分達は日本政府の方針を変えさせ、合意を実現させることができる、と繰り返し告げた 。 外務省の責任者は同省の重点は「民主党の選挙公約を早く引き下げ、基地再編成の約束を再び軌道にのせる」ことにある、つまり、自分の政府を覆すことにあると述べた 。 沖縄は無視できる、なぜなら、民主党国会対策委員長山岡賢次に言わせると、沖縄では「すべては反対のための反対である。・・・沖縄の意思を尊重すれば何事も決して進まない」からであった 。 この件については日本の人々もさほど違わない、なぜなら、山岡によれば日本の人々は「甘やかされ」米国の保護を当然と思っているからであった 。さらに、外務省北米局の深堀亮は「日本人の大半は安全保障問題を理解していない」と述べた 。 鳩山首相もこの手の施しようがない無知の人々と同類のようで、薮中三十二外務省事務次官はルース大使との昼食の席で「首相に安全保障問題の基本を説くことは米国にとって有益」である、彼に政治の現実を説明すべきだと提案した 。

日本人、中でも沖縄の人々の目を欺き基地取引を実施するため、日米の官僚はグアムに移動する兵士の数と日本が負担する経費を改竄した 。 2006年ロードマップ、2009年グアム合意、そして2010年の米軍移設は8千人の海兵隊員と9千人の家族を沖縄から移動させるもので、グアムでの施設建設に日本が61億ドルを支払い、そのことによって沖縄の「負担を軽減する」ものだった。日本が米国領土での(医療クリニック、独身下士官兵専用地区、消防署を含む)施設建設の為に多額の支払いをするのは、1978年以来、日本が米軍を駐留させるために「思いやり予算」を提供し続けているとはいえ、前代未聞である。しかし、大使館の公電は「日本での政治的価値を最大化するため意図的に大きく見積もられた」としている 。当時は「およそ1万3千」の海兵隊員しかおらず、その家族は「9千人未満」であった。米国側は日本政府にこれらの数を「事あるごとに伝え」たため、政府高官が1万8千の沖縄海兵隊員のうち8千人がグアム新施設に移動し、1万人に削減されると数字を挙げたのは意図的であった。つまり、嘘をついたのであった。経費も水増しされ、これにはグアムでの軍用道路建設への10億ドルが含まれていた。「10億ドルの道路」は「総額を増やすことで日本が負担する金額の比率を減らすための対策」であった 。 この10億ドルによって、101億ドルの総経費に占める日本の負担比率は66%から59%に下がり、不平等さが少し軽減されたように見えた。この道路は必要なものではなく、決して建設されないであろう。

このように、反逆的ではなくとも不実な官僚に囲まれ、米国と沖縄、両方の圧力に晒され、これらと対決する勇気も明確な目的意識にも欠けたため、鳩山の決意と政治的立ち位置は崩れた。圧力が最高潮に達したのはゲーツ国防長官が明らかに威嚇的な訪日を果たした10月で、キャンベル国務次官補は鳩山に「民主党政権が既存の同盟の見直しと調整を提案し続けるなら、米国の忍耐の緒は切れる」と無遠慮な警告を発した 。2009年12月8日、日本政府は民主党国会対策委員長山岡賢次を通じて米国大使館に「決断は下された」「日本政府は取り決めを実施する」が、「国会運営」により即時実施は困難なため、2010年夏までかかるかもしれないと約束した 。 この翌日、沖縄北方担当大臣だった前原誠司は同様のメッセージをルース大使に伝えた。日本政府は「別の選択肢」を探るが、「もし受け入れられる選択肢がなければ、社民党も国民新党も辺野古案を承認する」。つまり、「米国が他の選択肢に同意しなければ」(他の選択肢が見つかる可能性は「事実上ゼロ」)現行案を通す 。 このような筋道を内々に示しておきながら、鳩山政権は人々に対し、半年にわたって沖縄県外に移設先を探すフリをした。この間、日本の政治とメディアが演じたのは手の込んだ茶番であった。

2010年5月、鳩山は沖縄における海兵隊の「抑止力」が重要であることが分ったため、辺野古移設案実施を決断したと発表した。そして5月28日、取り決めに署名すると同時に首相を辞任した。

この半年後、鳩山はこれがでっち上げだったと白状した。抑止力とは、抗い難き官僚と外交圧力に屈したことを正当化するための方便に過ぎなかった、と 。 外務省や防衛省の高官は、鳩山の行動が行き詰まってすべて徒労に終わり、鳩山が自分の強さに確信が持てなくなるまで、彼の考えを「軽蔑し、相手にしなかった」、と 。この鳩山の回顧と前年12月初旬、彼の政権が下した決断を示す文書には明らかに矛盾がある。どちらが正しいにせよ、政府は欺瞞に満ちた政治の罠に深くはまり込んでいた。

交渉担当者は細部をめぐり議論したが 、日本の人々に対する巨大な信用詐欺には躊躇うことなく力を尽くした。「日本での政治的価値を最大化するため意図的に大きく見積もられた」過程を、朝日新聞は「国民への裏切りであり、許されることではあるまい」と書いた 。 沖縄タイムスはこれを新たな密約とし 、琉球新報は「日本は民主主義国のはずだ。民意を実現しようとせず、他国にこびへつらうばかりの官僚たちは、外交交渉に適格性を欠くと言わざるを得ない」、日本は「米国の属国として世界史に刻まれるのではないか」と書いている 。

鳩山の告白とウィキリークスの暴露文書という情報源がいかに非公式で部分的に矛盾するとしても、これらは鳩山政権の悲劇の全容を知る手がかりである。日米安保50年にして、この「成熟した」同盟において日本政府は米国の信頼を失うと生き抜くことができず、日本の官僚は、コストも何もかも差し置いてでも沖縄が米軍の目的のために奉仕すべきことに疑問の余地はないと考え、米国への奉仕に絶対的な優先順位を置いていることが明らかになった。鳩山が菅直人に政権を譲ったとき、メディアはこぞって、菅の任務は鳩山が同盟にもたらした「傷」を癒し米国の日本に対する信頼を回復させ、沖縄に基地受容を「説得」し問題解決を図ることだと論じた。

鳩山政権は中核となる政策目標を9か月(今や、たった3か月の可能性が高くなったが)で放棄したが、ひとつだけ、意としなかった成果があった。これにより、ばらばらになりがちだった沖縄の人々の反対が近代日本史上、例を見ない県ぐるみの大規模な抵抗運動に発展した。2010年を通じ、沖縄の人々はあらゆる民主的手段を使って自分達の意思を伝えた。

1月:名護市長に基地反対派が当選
2月:県議会において全会一致で県内移設反対決議を採択
4月:基地反対の沖縄県民大会
7月:県議会において2度目の全会一致決議 5月28日の日米合意は「県民を愚弄する」もので「民主主義を踏みにじる暴挙」と表明。
9月:名護市議会選で基地反対議員が多数派に
11月:沖縄県外に基地移設を求めると述べた候補者が知事に当選

これらの明白なメッセージと選挙という民主的、非暴力的手段による意思表明にもかかわらず、日米政府は動かなかった。

2011年5月で菅直人は首相就任から11か月になる。この政権は甘い言葉をかけ、沖縄に対し謝罪と深い遺憾の意を表明した。しかし、抵抗運動に取り入り、分裂、説得あるいは鎮圧を試み、普天間代替施設をめぐるあらゆる二国間合意の実施を主張している。

菅首相は米国政府に辺野古への基地建設(そして高江とヤンバルの森のヘリパッド建設)を推進する決意だと請合った。2010年末、菅は名護市長に辺野古周辺の調査開始を強要する手段に打って出た。同じ頃、メディアや人々の目が届かないところでヘリポート建設への抵抗運動の鎮圧に動いた。前原外相は、宜野湾市の学校や病院が隣接する海兵隊基地に迷惑を被っているなら、これらの施設を基地周辺から撤去してもいいとさえ言及した 。 2010年12月、沖縄を訪問した菅は、沖縄が歴代政府に受けた扱いについて「日本人として慙愧に堪えない」と表明したが、普天間を辺野古に移設することは「沖縄の皆さんにとって辺野古はベストの選択肢ではないが、実現可能性を考えたときにベターな選択肢ではないか」と述べた。沖縄の人々は激怒し、知事はいかなる県内移設も「バッド」だと切り返した。仙石官房長官は沖縄の人々は負担を「甘受」すべきと述べた 。 2011年4月、菅政権は米国に最後の争点と思われる事項―海兵隊が望むV字型滑走路の建設を受入れた。皮肉なことに、菅政権が移設実施に向けて動く中、米国は計画破棄と再交渉に姿勢を傾けつつあった。


4.国務省

2010年12月初旬、全く予想外の意味深長な出来事が起きた。国務省の日本専門家でヒラリー・クリントンの顧問であるケビン・メアが、訪日を前にアメリカン大学の学生たちに会った。寛いだ雰囲気の中、メアは外交の機微は脇に置き本音を語った。彼は、沖縄の人々は怠け者(ゴーヤを育てることもできない)、不品行(婚外子が多く、大酒飲み)、「ごまかしと詐欺の名人」で普天間周辺に学校や住宅の建設を認めたと述べた 。 彼らは「肌が浅黒い」「背が低い」「プエルトリコ人のような訛がある」と言い 、ゆすりの名人なので、日本政府が県知事に「金が欲しけりゃ署名しろ」とさえ言えば、基地移設は容易に実現するとも述べた。

このような侮辱は、属国日本の取るに足らない属国であるはずの沖縄が執拗に抵抗する勇気を持ち続けることへの米国政府の苛立ちを示していた。沖縄はメアの言葉を無礼、侮辱、人種差別であると受け止め、怒りを爆発させた。沖縄タイムスは社説で「米軍普天間飛行場の移設返還交渉の米側担当者は、心の中では沖縄を侮辱し、基地問題を軽視していたようだ」と書いた 。同紙は二日後、「沖縄の戦後史や基地問題をめぐる沖縄の現状をより深く理解すればするほど、辺野古移設が無理のある理不尽な計画であることがわかる。無理な計画を、金をちらつかせて、無理矢理、地元に認めさせようと、日米両政府は文字通りあらゆる手を尽くしてきた」と記した 。

侮辱に対する沖縄の人々の怒りはワシントンからのうわべだけの謝罪に和らぐことはなかった 。

琉球新報も同調する。メアは「図らずも米国の本音を露呈した」 。 数日後、同紙は「沖縄の基地問題の根底には、常に日米安保と米軍基地をめぐり『異議を申し立てる沖縄住民』と『維持・強化を追求する日米両政府』の対立構図がある。両政府は戦後一貫して巧みな『アメとムチ』の政策によって沖縄社会と住民を分断し、なりふり構わず『基地の自由使用』を勝ち取ってきた」と書いた 。

メアは退任したが、(キャンベル国務次官補が東京で行い、ルース大使が沖縄で行った)謝罪は実際、うわべだけだったようだ。数週間後、メアは一切を否定した。メアは 4月14日付ウォールストリートジャーナルのインタビューで、「二国間関係にひびを入れようとする」でっち上げであり、学生たちを嘘つきだと非難している 。

メアは更迭されたのではなく退任しただけだった。退任も届け出直後に延期され、福島の地震、津波、核危機への米国の支援活動の調整役に就任した。メアが史上最大の日米合同作戦「オペレーション・トモダチ」の米国側の責任者に選ばれたことは、米国政府が彼の発言を問題視していないことを明らかにした。メアの同僚でブッシュ大統領の国家安全保障問題特別補佐官だったマイケル・グリーンは「メアは誰よりも沖縄政治に精通したベテランのジャパン・ハンド」と彼を擁護した 。

4月6日、ようやく退任したメアは、そのまま日本でいうところの天下りを果たし、福島原発の放射性廃棄物処理を担う多国籍企業の上級顧問に就任した 。 就任1か月後、この新しい職務によりメアは首相官邸に呼ばれ、90分間面会をした。民間のビジネス関係者が首相官邸に呼ばれるのは稀なことで、2か月前には米国政府高官が謝罪を表明した好ましからざる人物が呼ばれるのは前例がない 。日米両政府がメアの日本、とりわけ沖縄に対する暴言を無視し、謝罪をこのような形で受け入れたことは、米国政府の日本に対する軽蔑の深さとこれに対応する日本政府の自己否定の深さを示している。


5. レビン・ウェッブ・マケイン ショック

菅政権が辺野古と高江への攻勢を強めようとする中、米国政府は財政赤字の膨張、巨額の経費が掛かり行き詰った二つの戦争、中国の台頭、社会・経済危機の拡大、そして予算と社会保障をめぐる議会の対立に直面していた。統合参謀本部議長マイク・ムレンは、「安全保障に対する最大の脅威は財政赤字」と述べた。2010年5月、軍事支出削減を検討する超党派の下院委員会が設置された。民主党バーニー・フランクと共和党ロン・ポールが代表である。フランクは「沖縄に海兵隊はいらない。彼らは65年前に終わった戦争の遺物」と明言した。彼とポールは、軍事支出の大幅削減が必要であり、その方法の一つが海外の米軍基地縮小であるとの見解で一致した 。下院支出削減委員は支出を抑制すべき海外基地を洗い出し、その中に1996年以降全く進展がない普天間基地返還・移設とグアム国際合意が含まれた。

2011年4月、上院のカール・レビン議員(上院軍事委員会委員長)とジム・ウェッブ議員(元海軍長官、現上院外交委員会東アジア・太平洋小委員会委員長)が東京、沖縄、韓国を訪問した。東京で菅政権は移設計画を実施すると約束した。しかし、沖縄で二人は異なるメッセージを受け取った。県知事は、計画推進は「極めて困難」(不可能と読み替えること)と述べ、琉球新報は公開状で普天間施設を「すべて」沖縄から撤去するよう求め「アメリカの民主主義がこの試練にどう対処するか」に期待と懸念を表明した 。

「米国がくしゃみをすれば日本もくしゃみをし、右を向けと言えば右を向く。考え方の違いに敬意を払い、耳障りな意見も述べ合う。日米関係でどちらをお望みですか。

・・・米軍は戦後、銃剣とブルドーザーによる基地建設、傍若無人な振る舞いによる人権蹂躙(じゅうりん)、自治権制限など幾多の苦難を沖縄に強いました。

・・・1996年4月、日米両政府は住宅密集地にある普天間の返還に移設条件付きで合意しましたが、県民は基地の新設は負担が重いと、ずっと異を唱えてきました。
日米両政府が合意している普天間の名護市辺野古移設は、仲井真弘多県知事と県内41市町村の全首長が反対しています。県議会は県外・国外移設を決議。国政選挙では県内移設容認の政治家がことごとく落選しました。

・・・米国も当事者であり危険の放置に罪悪感を感じるべきです。
 県民は沖縄戦で本土防衛の「捨て石」にされ、戦後は日米安保の「捨て石」にされていると感じています。

・・・普天間の閉鎖、撤去によって「善き隣人」関係の再構築が必要です。お二人には誠実な「沖縄の心」を感じ取ってほしい。そして米国民主主義の真価を示してください」

私が知る限り、この公開状を沖縄以外で公表したのはアジア太平洋ジャーナルだけである。レビン、ウェッブ両議員がこの文書を読んだのは明らかで、二人は数週間後、爆弾発言を行った。レビン、ウェッブと共和党前大統領候補で上院軍事委員会のジョン・マケインが共同発表した声明は、基地再編計画を「非現実的、実行不可能、経済的に負担不可能」とした 。

さらにウェッブは長文の個人声明で「数十億ドルの大規模事業であり広大な埋め立てと既存施設の破壊・移設を求めるもので、最善のシナリオでも数年、長ければ10年かかるとの見積りもある」と述べた 。

3人は国防総省に対し「グアムの海兵隊再編計画は、恒久的司令部に他基地からの戦闘部隊をローテーションで派遣して増強すること。島外の訓練所を検討すること。普天間基地の海兵隊資材については、キャンプシュワブに高価な代替施設を建設するのでなく嘉手納基地への移動を検討し、嘉手納の資材の一部はグアムのアンダーセン基地か日本の他の基地に分散すること」を提案した 。

3人は、この提案は数十億ドルの税金を節約でき、米軍を維持しつつ、普天間をめぐる複雑な政治課題を軽減し、米軍の影響下に置かれた沖縄の土地を減らすものだと主張している。

彼らの提案は事情通の米国政府高官たちに大筋で支持された。なかでも目を引くのは、2010年10月までオバマの国家安全保障担当補佐官を務めた海軍司令官ジェームズ・ジョーンズである。ジョーンズはさらに踏み込み「海兵隊はどこにいようと実は問題でない」と発言し、沖縄は周辺地域と世界の抑止力として欠かせないとする一般に繰り返される見解を完全に否定した 。

菅政権はワシントンの有力議員がこのような見解を示したことに大きな衝撃を受けた。菅首相と枝野官房長官は、レビン議員たちは米国政府ではなく、重要なのは政府間合意であると頼りなさげに主張した。しかし、実際のところレビンのグループは多大な影響力を持ち、逼迫した財政状況を鑑みると彼らの提言に逆らうのは難しい。日本政府はワシントンの決定を待つしかない。日本が40年にわたり事あるごとに出してきた多額の資金提供という海兵隊が沖縄を去らないための切り札は、日本がOECD加盟国で最多の債務超過に陥り、壊滅した東北地方を再建する必要性から一層困難となった。確かに言えることは、過去の例に倣えば、官僚が辺野古案復活に向けてあらゆる手を使って魅力的な提案を作り上げ、ウェッブ、レビン、マケイン(そしてジョーンズ司令官)を誘惑するだろうことである。一方、ウェッブ、レビン、マケインが示したビジョンは辺野古移設を食い止めようとする沖縄の人々の抵抗をさらに勢いづけたことも確かだ。


6. 結語

日米関係は強固に見える。学者も公人も常にそうだと言う。学者のジェラルド・カーチスは2011年初頭「オバマ政権は過ちから学び、対日政策を修正した」と述べた。これに多くの人が同意した。 学者は大概、必要な修正は主として日本が行うべきであり、ワシントンが発する様々なレポートの勧告に沿って同盟を「成熟」させなければならないという。米国の戦略目的に奉仕するために法を改定し、必要とあれば憲法改正をすべきは日本だという 。別の選択肢はあるが、極めて少数意見である。

「安全保障を米国に依存すればするほど日本はジレンマに陥るのだ。米国の一方的な戦略に巻き込まれるのではないか。いざというときに米国には見捨てられるのではないか。米国の意図をめぐって疑念にさいなまれることになる。対米依存に戻るしかないという考え方は、『いらだち交じりのリアリズム』に行き着き、同盟を不安定にするだろう 」

日米の特異な関係は本論に挙げた事例が示す通りで、一方の屈従ともう一方の横柄な態度・侮蔑が呼応するという特徴がある。この関係をもっとうまく表現する言葉がないので、私は「属国」と呼んだ。米国側には、結局のところ日本は米国の創造物であり、日本政府は米国のいわば支店に過ぎないとの確信がある。これは先の大戦とその後の占領に根差すもので、そこに日本政府から毎年引き出す数十億ドルの上納金という現実的なうまみが加わっている。ケビン・メアはアメリカの学生にこのことを仄めかし、「日本とはとてもいい取引をしている」と結論づけた。しかし、日本側に目を向けると、知性的で誠実であるはずの人々(日本のすべての市民)が、なぜ屈従を疑いもなく選択しているかを理解するのは難しい。日本の権力者は、これにより日本の国益が最大限確保されると確信しているようだ。最近の一連の暴露が、日本の人々に日米関係の冷酷かつ不平等な現実について目を覚まさせるならば何よりの成果であろう。

今のところ、沖縄返還と米国の核戦略をめぐる密約や2011年5月に公開された秘密公電が示す幾重にも重なる嘘と欺瞞は、一般の人々やメディアに明白な影響を及ぼしてはいない。ウィキリークスが入手した25万1千通の外交公電のうち、2011年5月中旬までに公開されたのは12,648通であり、全体の5%に満たない。これまでのところ、公電の信憑性に大きな疑問は投げかけられていない。朝日新聞は2011年1月、日米交渉に関する公電「約7000通」を入手したと言い、5月時点でそのうち54通を公表した 。 全体のごく一部であるとしても、公開された文書は日米関係の内実を知る大きな窓を開けてくれた。残りの公電がいつ公開されるか、公開されるかどうか、不明である。

日本政府は公開された文書の正当性や重要性についてコメントを避けている。最初に公開した朝日新聞を含め、主要メディアはこれらの文書に殆ど注意を払っていない。公的追及、議会での追及を求めた人もまだいない。最も真剣に分析を加えているのは琉球新報である 。 その中から3つ、論評を紹介しよう。

元外務省国際情報局長 孫崎享
「09年政権交代し民主党は普天間問題を含め対米関係の見直しを図った。米国はそれに警戒を発し、外務・防衛省幹部は鳩山首相の意図と反し行動した。民主主義の原則に挑戦する行動とみてよい。・・・日本という国はどうなってしまったのだろう。自主性喪失の病は重症である」

元駐レバノン大使 天木直人
「もし米国が日本政府をだましたのなら国民は米国政府を詐欺罪で訴えなければならない。もし日本政府がそれを米国に入れ知恵して国民をだまし、血税を不当、不要に米側に支払っていたなら、国民は日本政府を背任罪で訴えなければならない。それほど深刻な権力犯罪なのである」

沖縄大学名誉教授 新崎盛暉
「(ウィキリークスの)米外交公電は推論を、生々しく、具体的に裏付けてくれた。そこに露呈されたのは、あまりにも無残な、日本の政界や官界の荒廃である。二言目には“国益”を口にし、排外的ナショナリズムを振りかざしながら、アメリカの“国益”と一体化し、アメリカに奉仕する政治家や高級官僚の言動である。私たちは、見たくないものを見てしまったのである」

ウィキリークスの公電、密約、鳩山の「告白」、メア事件、そしてレビン・ウェッブ・マケインショックに対する感度は、国家制度、地方制度の断層線が島直下を走る沖縄が当然、最も高い。過去15年間、沖縄の人々と彼らが選んだ政治家は、民主主義や憲法の原則よりも米軍の戦略を重視し、沖縄に過度の米軍駐留という負担を半永久的に押し付ける制度に抵抗してきた。戦いの不平等な条件にもかかわらず、驚くべきことに辺野古基地計画への抵抗は沖縄が日米政府より優位に立った。

大規模な非暴力の抵抗により、沖縄県民は地球上最強の二大国による強制を15年間、食い止め続けた。政府打倒には至らないものの、2001年から2005年には小泉首相を妨害し、2010年には鳩山首相を辞任に追い込み、今は次の首相および新たな基地をめぐる日米の計画に立ち向かっている。2010年は1960年締結された日米安保50周年の節目の年であったが、関係の「深化」を表明するはずの待望の共同声明は何度も発表が延期された。6月に予定されていた日米の外務・防衛会議(2プラス2)も、これに続く菅首相の訪米も保留になっている。1996年、2006年、2009年、2010年の合意が実施される兆しのない中、日米が未来のビジョンに合意する見込みが高いとはいえない。

独裁制の下では、抵抗する市民を逮捕、打擲、投獄することで辺野古「移設」計画を進めることは可能だろう。菅政権がいまだに理解しておらず、ワシントン(少なくともレビン、ウェッブ、マケイン議員とジョーンズ司令官)が認め始めたのは、民主的な制度が存続する限り、覚悟を決めた反対派を説得する方法、ましてや彼らに屈服を強いる方法など存在せず、辺野古計画を進める方法もないということだ。15年の闘争を経て沖縄の運動は注目すべき勝利を収めた。大浦湾は守られた。これは終わりが見えない闘争の一歩に過ぎないかもしれないが、大きな意味を持つ一歩である。

2010年12月、国務省のケビン・メアは沖縄と沖縄の人々を馬鹿にし、うそつきで二枚舌の「ごまかしの名人」と言った。しかしながら、これらの言葉の意味を厳密に考えてみれば、日米両政府が40年間、沖縄の人々に対してとり続けてきた姿勢こそがまさしくそうなのだ。


ガバン・マコーマック
アジア太平洋ジャーナル』コーディネーター。日米関係、沖縄問題についてアジア太平洋ジャーナルに多くの記事を寄稿。オーストラリア国立大学(在キャンベラ)名誉教授。近著には Client State: Japan in the American Embrace (ニューヨーク 2007年、東京、ソウル、北京 2008年刊) 、Target North Korea: Pushing North Korea to the Brink of Nuclear Catastrophe (ニューヨーク 2004年、東京、ソウル 2006年刊)がある。

脚注付きのPDF版はこちらをご覧ください。


Tuesday, August 16, 2011

高實康稔: 8月9日 長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ Takazane Yasunori: A Message for the Early Morning Gathering to Remember Korean Victims of the Atomic Bombing on Nagasaki, August 9

Here is a keynote speech by Takazane Yasunori at the gathering to remember the Korean A-bomb victims of the Nagasaki bombing held annually on the early morning of August 9. See history of this gathering in the report of the same meeting last year.


長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ


高實康稔氏は、朝鮮人被爆者、強制連行他、日本の加害に
重点を置く「岡まさはる記念長崎平和資料館」館長も務める。
 六六年前、米軍が投下した原子爆弾がこの松山の上空で炸裂し、日本人のみならず万余の朝鮮人が犠牲となりました。私たちはその死を悼み決して忘れないために、今日ここに集っています。異郷の地で、米軍の原爆攻撃に遭い、尊い命までも奪われた無念は、どれほど思いを馳せても足りません。それは単に戦争や爆撃を憎むといったものではなかったに違いありません。懐かしい故郷を後にして、はるばる長崎にまで来るに至った因果が一瞬脳裏をかすめ、許し難く思ったことでしょう。被爆者に国境はないとはいえ、朝鮮人被爆者の証言は原爆地獄の「あの日」から始まることはなく、「もう一つ、もう一つのあの日」から始まります。日本の朝鮮侵略がもたらした苦難の道が不運にも原爆地獄へと導いたからです。

 米国の原爆使用はもとより許せるものではありません。日本の侵略戦争に対する報復として正当化する意見が今なお米国内で多数を占める現実は、日本の侵略戦争と同様ナショナリズムの極みであり、空前の破壊力に加え放射線の害毒を伴う非人道的な新兵器であったことを米国民は自覚する必要があります。米国政府はこの非人道性を事前に十分認識しえたが故に批判を恐れて放射線障害の報道を抑圧したことは明らかです。平和条約によって双方が賠償請求権を放棄したとはいえ、国家といえども個人の賠償請求権を奪うことはできないのであり、加えて原爆使用の国際法違反は永久に残ります。私は核兵器廃絶のためにも、せめて道義的責任の自覚を持てと米国政府と国民に訴えたい気持ちでいっぱいです。
献花のために並ぶ参列者。この早朝集会が始まったのは1979年。
最初は数十人だったが今は毎年200-400人が集まる。

 しかし、他方、日本政府が韓国・朝鮮人被爆者をはじめ、在外被爆者を援護の対象から排除してきた積年の歴史もまた許せるものではありません。在外被爆者に対する援護は三〇件を超える裁判闘争によって国側を敗訴に追い込み、少しずつ内外平等な援護へと前進してきたのに過ぎません。今なお医療費の支給に上限を設けて差別し、被爆者健康手帳の取得には証人を求める冷酷かつ最早不可能な条件を課しています。国の敗訴によって撤廃された違法な「四〇二号通達」に対する無反省の証拠といわざるをえません。植民地支配と侵略戦争に対する戦後日本の無反省・無責任な態度も被爆者問題に限らず枚挙に暇がありません。この現実を前に、「日本は原爆二発によって戦争責任を免れた」という見方さえあります。加害の歴史を顧みず、ひたすら原爆被害を強調し、被害者意識のみに立って核兵器廃絶を訴えれば、アジア諸外国の人々の共感を得ることはできません。加害責任に目をつむるエゴイズム以外の何ものでもないからです。

 私は本日のこの集会に在日韓国・朝鮮人とともに韓国からも参加してくださっていることに一つの希望を抱きます。在韓被爆者を大多数とする在外被爆者の平等な援護は、当事者の止むに止まれない要求を支援する日韓の市民の熱い連帯によって一歩一歩前進してきました。それは歴史認識を共有して差別の壁に挑戦する闘いでもありました。若い世代を含むこの連帯感をさらに強めて、日本の排外的な過去と現在を克服していければと願わずにはいられません。その一つの重大な現実として朝鮮民主主義人民共和国在住の被爆者の問題があります。約二千人が当地へ帰国したとみられる被爆者は今ではおよそ四百人しか生存していないといわれていますが、世界中でこの四百人だけが援護の対象から除かれています。国交がないことは理由になりません。同国を敵視して、南北分断を助長してきたのは戦後日本政府の一貫した政策であるからです。朝鮮侵略の加害責任を果たすためにも国交正常化が急務であるとともに、その時を待つまでもなく被爆者援護を早急に実現することが被爆者援護法を遵守するための義務であるはずです。

 以上の観点に立ち、私は日本政府に対し、次の五点を強く要求します。
一、「四〇二号通達」を反省し、在外被爆者の手帳取得の条件を緩和すること
一、在外被爆者の医療費を、国内の被爆者と同様、全額支給すること
一、朝鮮民主主義人民共和国在住の被爆者に被爆者援護法適用の道を開くこと
一、日朝ピョンヤン宣言に基づき、朝鮮民主主義人民共和国と国交を正常化すること
一、「慰安婦」問題やBC級戦犯問題など、未解決の問題に誠実に対処すること

 東日本大震災から五ヵ月になろうとしています。私はこの間の報道をめぐっても、歴史認識の浅さを思わずにはいられませんでした。日本軍「慰安婦」問題の解決を求めてソウルの日本大使館前で九五〇回以上も続く「水曜デモ」が、大震災の犠牲者を悼んで急遽「沈黙デモ」に変更されたことをハルモニたちの深い人間愛に沿って告げる記事にはついぞ接しませんでした。また、在日韓国・朝鮮人も生命と財産の甚大な被害に見舞われましたが、様々な角度から被災・救援・復旧・復興の現状と問題点が報道されたのにもかかわらず、在日韓国・朝鮮人の被災、東北朝鮮初中級学校の校舎全壊や福島朝鮮初中級学校生徒の新潟移動、日本人被災者への救援炊き出しなどはほとんど報道されませんでした。高校無償化政策からの朝鮮高級学校排除に象徴されるように、日本の社会における人権感覚の未熟さと民族差別の根深さを痛感する思いでした。

福島第一原子力発電所の事故は明らかに人災でした。「安全神話」を鼓吹した人々の罪は重く、究極的に制御不能な原発からの脱却こそは、世界三〇数カ国に在住する被爆者の切なる願いであり、再び被爆者をつくらないために原発の廃止をここに強く訴えて、メッセージを閉じさせていただきます。

最後になりましたが、早朝にもかかわらず、本集会に参加してくださいました皆様に厚くお礼を申し上げます。

二〇一一年八月九日

長崎在日朝鮮人の人権を守る会代表 髙 實 康 稔

Saturday, August 13, 2011

英字誌『アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス』に掲載された小出裕章氏記事の和訳 The Truth About Nuclear Power: Japanese Nuclear Engineer Calls for Abolition

This entry introduces an article "The Truth About Nuclear Power: Japanese Nuclear Engineer Calls for Abolition," which appeared in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus on August 1, with a Japanese translation of the introduction.

8月1日、The Asia-Pacific Journal: Japan Focus に、京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏の5月23日参議院行政監視委員会でのスピーチの英訳を含む記事が紹介されました。その記事の紹介文の和訳とともに紹介します。

The Truth About Nuclear Power: Japanese Nuclear Engineer Calls for Abolition

原子力の真実:日本の原子力エンジニア、廃絶を訴える (原文リンクはこちら

小出裕章

(英訳と紹介文)酒井泰幸、乗松聡子

(紹介文和訳)

小出裕章は40年前、原子力の将来性に惹かれて原子力エンジニアとしてのキャリアをスタートした。しかし間もなく、日本の原発政策の欠陥を認識し、小出は原発反対の代表格となった。「原子力村」を公に、そして説得力をもって批判することにより、京都大学では助教という立場に留まるという、一種の名誉ある試練を受けてきた。小出はこうやってキャリア面では代償を払いつつ、京都大学原子炉実験所では、放射線計測という骨の折れる仕事に携わりながら、311までは陰の存在であり続けた。

しかし彼は、地震、津波、福島第一原発での炉心溶融以来、一転して日本の将来のエネルギーの方向性を担う中心的存在として躍り出た。全国で講演は満員となり、取材やインタビューでもメディアに引っ張りだこになり、本も次々とベストセラーとなり、一般の認識や公的な議論を塗り替える動きの一端を担ってきている。

1968年、東北大学の原子力工学科に入学した小出は、原子力は枯渇することのないエネルギーであり、資源に乏しいこの国のエネルギー問題を解決できるという可能性を信じていた。しかし、電力需要の大きい都市部(仙台)から約50キロ離れた女川に原発が建設されたとき、弱い立場にある地域が原発立地の負担を押し付けられるということに気づいた。自らの職場である京都大学原子炉実験所でさえ、京都ではなく、危険を避けるため、より人口の少ない和歌山に近い大阪南端に立地している。このような原発の危険性の社会地理的認識、つまり、中央政府や電力独占企業の決定によって、周縁化された地域が危険性への代償を払わされるという構造への問題意識が、彼のたゆまぬ原発批判の中核を成している。

3月11日以前は、原発に傾倒していた国において、小出の声は孤立していた。その後、彼の講演には何千人もの人々が殺到するようになり、さながら新しいポップスターの誕生のようにさえ見える。かつてなく、小出は新聞やテレビ等、主要メディアにも登場する存在となってきている。彼の新刊の『原発のウソ』はベストセラーとなった。『小出裕章非公式まとめ』というブログは、彼の講演録やメディアでの発言やビデオへのリンクを毎日まとめるもので、福島核危機関連では最も重要でかつ人気のあるサイトとなっている。

5月23日、参議院の行政監視委員会は4人の参考人を招いた-小出と、かねてから原子炉が地震に弱いことを訴えていた地震学者の石橋克彦、元東芝の原子炉技術者であり現在は原子産業に反旗を翻している後藤政志、通信大手ソフトバンク社長であり再生エネルギーへの支持を声高に叫ぶ孫正義である。政府が敢えて自らの原発政策に対する強硬な批判者の助言に耳を傾けるという前例のない出来事は、政府が再生可能エネルギー利用を加速させ、原発を減らして行こうという動きを見せ、原子力産業やそれを支持する官僚たちが抵抗する中、新鮮な風が吹き始めている兆候といえる。

日本中と海外からも何千人もの人が小出の政府批判をインターネット中継で見ていた。それまでは支持者たちのとっておきの秘密のような存在であった小出が、グレイのスーツに身を包み、彼がずっと批判してきた日本政府の中心地に姿を現すの見守った。それと同時に、文科省の周囲をヒューマン・チェーン(人の鎖)が包囲していた。被曝許容限度を引き上げた文科省の決定に対し抗議する福島の親たちと支持者たちである。この同時進行していた二つの出来事をネットで見ていた人たちは、片方の目は容赦なく政府批判をする小出に、もう片方の目は涙を浮かべながら怒りをぶつける福島の親たちに釘付けとなった。以下、小出の演説を紹介する。

原文の英文記事はこちら

小出氏の参院行政委員会でのスピーチは以下でご覧ください。文字起こしは、『まとめサイト』にリンクがあります。








Friday, August 12, 2011

広島 2011 市民による平和宣言 Hiroshima 2011 Citizens' Peace Declaration

「第九条の会ヒロシマ」や「ピースリンク広島・呉・岩国」等、広島のNGOが主体となって毎年行う「8・6ヒロシマ平和へのつどい」の「市民による平和宣言」(日・英語版)を紹介します。This is the  "Citizens Peace Declaration 2011," by a group of NGOs such as "The Article 9 Group Hiroshima" and "Peace Link Hiroshima/Kure/Iwakuni, who organize the annual "8/6 Hiroshima Gathering for Peace." Scroll down for the English version. This year, 2,000 people gathered at the "die-in" at the A-bomb dome, followed by the protest walk to the headquarters of Chugoku Electric to oppose nuclear power and the plan to build a new nuclear power plant in Kaminoseki.


8.6ヒロシマ平和へのつどい 2011

市民による平和宣言

1938年、ドイツの化学物理学者オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーが、人類史上初めてウランの核分裂実験に成功しました。そのわずか7年後には、原子爆弾が製造され、広島・長崎の多くの市民が無差別大量虐殺の犠牲者となりました。しかし、この「人類の狂気」としか表現できない犯罪行為は、米ソならびにその他の核保有国による核兵器開発製造競争というさらなる狂気を産み出しました。その結果、ウラン採掘、核兵器製造ならびに核実験による放射能汚染が、急速に地球的規模の問題として拡散していきました。

1953年末、突然、米国大統領アイゼンハワーが国連演説で「原子力平和利用」を表明し、米国は原子力発電技術の輸出に乗り出しました。しかし、この政策で米国政府が真に目指したものは、同年8月に水爆実験に成功したソ連を牽制すると同時に、西側同盟諸国に核燃料と核エネルギー技術を提供することで各国を米国政府と資本の支配下に深く取込むことにありました。日本もこの米国政策のターゲットにされ、安保体制の下で、兵器では「核の傘」、エネルギーでは「原発技術と核燃料の提供」、その両面にわたって米国に従属する形をとりました。このように、原発と核兵器は背中合わせになっている単一の問題です。そのため、一方では、国内、とりわけ沖縄の米軍基地が朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など米国が行う様々な戦争の重要な拠点として活用され、他方では、がむしゃらな原発建設で政治家・官僚・財界癒着の構造腐敗を促進し、環境破壊を拡大してきました。その結果、日本政府は、核兵器による威嚇を中心戦略とする日米軍事同盟と、原発からの放射能漏れならびに放射性廃棄物の大量蓄積の両面で、これまで多くの市民の生存権を長年脅かしてきただけではなく、国家政策に対する根本的な批判を許さないという体制を維持してきました。

スリーマイル島、チェルノブイリなどでの原発事故にもかかわらず、日本政府と電力資本、原子力産業界は「安全神話」を唱え続け、これまで様々な事故を隠蔽してきました。したがって、今回の福島第1原発での破局的事故は、大地震という天災によって引き起こされた「事故」などではなく、本来、起こるべきして起こった「人災」と呼ぶべきものです。その結果、アジア太平洋侵略戦争の戦後補償すら実行しない日本政府が、今度は原発震災で、多くの自国民のみならず、近隣諸国民・世界の市民まで放射能汚染の被害者にしているのが現状です。

このような深刻な事態の中で、菅政権ならびに与野党のほとんどの政治家たちは、被災者が直面している様々な苦難・苦闘に真摯に対処するのではなく、自己の権力維持強化にのみ躍起になっています。放射能被害から本当に市民を守ろうという強い信念と堅実な環境保護理念に基づいた長期的エネルギー展望を全く欠いているため、政府の対応は二転三転するという無能ぶりをさらけ出しています。米国は、こうした混乱に乗じて、核戦争を想定した放射能専門部隊や海兵隊の訓練を、「トモダチ作戦」というマヤカシの名称で行いました。これが、私たちの税金から毎年2千億円近くも「思いやり予算」として受け取っている米軍の実態です。

広島・長崎の被爆者は、生涯にわたって爆風、火傷、放射能による様々な病気に苦しんできました。被爆者は、いつ癌やその他の致命的な病に冒されるか分からないという恐怖に怯える生活を今も余儀なくされています。このように、長年にわたり無数の市民を無差別に殺傷する核兵器の使用は、重大な「人道に対する罪」です。今回の福島原発事故も、内部被曝の結果、これから数十年にわたって予想もつかないほどの多くの市民をして、無差別に病気を誘発させることになるでしょう。このことから、原発事故も「無差別大量殺傷行為」となりうるものであり、したがって「非意図的に犯された人道に対する罪」と称すべき性質のものです。にもかかわらず、政府は、市民防護にはあまりにも不適切なICRP(国際放射線防護委員会)の基準をもって、原発による犯罪行為を隠蔽しようとしています。

兵器という形であれ電力という形であれ、「核と人類は共存できない」というヒロシマの叡智を、私たちはこの惨事を機会に深く再認識し、反核運動・反戦運動を拡大強化し、飛躍させなければなりません。広島が叫んできた「ノーモア・ヒバクシャ」の声の、これまでの弱さと狭さをとらえ返し、すべての核被害者の無念の想い、無数の嘆きを受けとめ、原子力科学技術に依存する文明からの根底的な転換を問わなければなりません。私たちの運動は、核・放射能兵器と原発の廃棄をめざすだけにとどまらず、自然エネルギーへと転換し、人間相互の関係ならびに人間と自然との関係が平和的で調和的である社会を構築することをめざすものでなければなりません。そのことを67回忌(被爆66周年)の被爆地・広島から、私たちは訴えます。

8.6 ヒロシマ平和へのつどい 2011 (代表/田中利幸) 参加者一同

(広島市西区天満町 13-1-709 kunonaruaki@hotmail.com    郵便振替 01320‐6‐7576「8・6 つどい」)


The 2011 Citizens’ Peace Declaration

August 6, 2011

In 1938, with the help of Lise Mitner, the German chemist Otto Hahn discovered the nuclear fission of uranium. Just seven years later, atomic bombs were dropped on Hiroshima and Nagasaki, indiscriminately killing many civilians in these two cities. This criminal act of mass killing with a tsunami of radio-active fire can only be described as “human madness.” Yet sadly more madness was to follow, as the nuclear powers of the world, particularly the U.S. and Russia, developed and produced further nuclear weapons. As a consequence, radioactive contamination rapidly became a serious global problem, due to uranium mining, production of nuclear weapons, and the nuclear tests conducted in various parts of the world.

In December 1953, at the U.N. General Assembly, the U.S. President, Dwight D. Eisenhower, unexpectedly launched the policy “Atoms for Peace,” a concept to promote “the peaceful use” of nuclear energy. The primary reason for launching this policy was an attempt by the U.S. Government to curtail the power of the Soviet Union, which had carried out its first hydrogen bomb test in August that year. “Atoms for Peace” was devised to persuade Western nations to accept plans by the U.S. government and American investments to produce nuclear fuel and technology. Japan was among the most important of the targeted nations. Indeed, it soon became subjugated to the U.S. in two crucial ways: it came under the U.S. nuclear umbrella as part of the military strategy that evolved; and nuclear fuel and technology became part of its energy policy. This has had profound ramifications. On the one hand, U.S. military bases located in Japan, particularly that in Okinawa, were extensively used for many wars that the U.S. engaged in, such as those in Korea, Vietnam, the Gulf and elsewhere. On the other hand, the building of nuclear power plants induced the structural corruption among collaborating politicians, bureaucrats and entrepreneurs, and caused severe environmental problems. As a consequence, the U.S. – Japan Security Treaty, based on the nuclear deterrence strategy, as well as the leak of radiation from nuclear power plants and accumulated nuclear waste have long been threatening the livelihoods and well-being of the Japanese people. Despite this, the Japanese government firmly established, and continues to maintain, a political system which permits little criticism of these two issues.

The Japanese government, together with the electric power companies and the nuclear industry, has for many years promoted the myth that nuclear power is clean and safe, covering up various accidents at nuclear power plants and related facilities. The danger manifested by major accidents such as those at Chernobyl and Three Mile Island have also been consistently ignored. The fatal accident at the Fukushima No.1 Nuclear Power Plant was not in fact an “accident” caused by a natural calamity, but rather a pending time bomb of “self destruction” which was destined to go off. Through its policies the Japanese government is now punishing its own people, as well as those in neighboring nations, with dangerous doses of radiation.

Despite the national crisis, however, not only Japanese cabinet members, but most Diet members, too, are now busy with their own power politics and are therefore totally incapable of dealing with the grave situation that confronts the victims of the earthquake and nuclear accident. As these politicians have neither the strong political commitment to protect civilians, nor any long-term vision on energy and environmental issues, the government countermeasures for this disaster have been less than effective, and there is political chaos. This state of confusion has provided an ideal environment for U.S. military forces to carry out training of their own special troops, specializing in radiation problems, as well as Marines, under the misleading name “Operation Tomodachi.” Every year Japanese taxpayers pay almost US$ 2.5 billion to maintain such U.S. troops in Japan.

Many A-bomb survivors from 1945 have died – often after a lifetime of suffering - or are still suffering from various diseases caused by the blast, fire or radiation. They live with the constant fear that they may suddenly be struck down by a fatal disease like cancer or leukemia. The use of nuclear weapons, which indiscriminately kill large numbers of people for decades afterwards, is clearly “a crime against humanity.” Yet the scale of damage to people and the environment that could be caused by a major accident at a nuclear power plant, where radiation is emitted either from the nuclear vessel or spent fuel rods, may be comparable. In this sense, a nuclear power accident could be seen as an “act of indiscriminate mass destruction” and so “an unintentionally committed crime against humanity.” The Japanese government is trying to cover up this event, adopting an inappropriate protection standard set by the ICRP (International Commission on Radiological Protection).

The wisdom of Hiroshima – that human beings and nuclear power, whether in the form of weapons or energy, cannot co-exist – must be reaffirmed and should be utilized to strengthen and expand our anti-nuclear and anti-war movements. We need to reflect on our hitherto narrow application of the expression “No More Hibakusha (victims of radiation)”, so that it covers not only A-Bomb survivors, but all victims of radiation, including those of nuclear power plant accidents. We need to consider the pain of all the victims of radiation and to think about drastically changing our society that so heavily relies on nuclear technology. Not only do we need to abolish nuclear weapons and nuclear power plants, but we must also devise ways to initiate a hitherto impossible, totally new, peaceful and environmentally harmonious society.

(Coordinator and Author: Yuki Tanaka)

Tuesday, August 09, 2011

城山の朝

痛みと かわきと

飢えと 病と

寂しさと 不安かかえて

生きてきた あななたちが今

ここにいる

66年前の夏

見上げた空

真っ青な空のひと時が

永遠となる



ヒロシマナガサキの子どもたち

フクシマの子の手を取って逃げる

逃げる 逃げる どこまでも逃げる

ひとり

またひとり

もうひとり

十人になり   百人になり   千人になり   

一万人になり   十万人になり   

原爆の子と 原発の子の群れが

南へ   西へ   手に手を取り

走って 走って 着いた



泉邸の木陰へ  城山の丘へ

疲れはてた体はたわみ

眠りに落ちた



目がさめて

見上げる空

あの子たちはどこ

まだ眠い



夕なぎのむこうへ

小高く鳴る丘へ

日は暮れていく