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Saturday, August 31, 2013

オリバー・ストーンと沖縄 —語られなかった物語 (ジョン・ミチェル) Jon Mitchell: Oliver Stone on Okinawa - The Untold Story (Asia-Pacific Journal: Japan Focus)

8月22日、英字紙ジャパン・タイムズ一面に掲載され、その後加筆され『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』の9月2日版に掲載された、ジョン・ミッチェルのオリバー・ストーン沖縄同行記の和訳を紹介します。

Oliver Stone on Okinawa - The Untold Story

Jon Mitchell

翻訳 酒井泰幸



オリバー・ストーンと沖縄 —語られなかった物語


8月14日、沖縄平和記念資料館にて。(写真提供:朝日新聞)
従軍経験者でもある著名な映画監督は「意識の高い人々」の断固とした抵抗運動に目を覚まされる

ジョン・ミッチェル
201392

8月13日に、沖縄県宜野湾市にあるアメリカ海兵隊普天間飛行場の門の外で、12人の基地反対の抗議デモ参加者たちが警察ともみ合いになった。そのとき海兵隊員たちは、フェンスの背後から冗談を飛ばし高笑いしながら眺めていた。日本の米軍基地のおよそ70 パーセントを背負わされ、全国メディアにほとんど無視されている沖縄では、このような光景は毎日のことである(1)。しかしこの日、東京のテレビ各局は抗議デモ参加者の人数を上回るほど大勢の記者たちを派遣してきた。

2004年米軍ヘリ墜落9周年の8月13日、
沖縄国際大学の屋上から普天間基地を見る。
(写真提供:琉球新報)

この記者たちは、アメリカの映画監督、オリバー・ストーンにインタビューするために来ていたのだった。監督は沖縄に到着してすぐ普天間基地を見下ろす丘の上に立っていた。記者たちはストーンに沖縄に展開する米軍への印象について質問を浴びせかけたが、彼は何も語らず急ぎ足で車に乗り込んで、殺到するカメラの砲列を逃れた。

「私に何を言えというのか?沖縄はアメリカと日本の間で板挟みになっている。基地はここに68年間ずっとあったし、これからも変わらないのではないか」と彼は私に語った。

このようにストーンの沖縄への旅は順調なスタートを切ったとはいえないものだった。

彼が約1500人の聴衆を前に沖縄にある米軍基地について講演する予定の時間まで、あと36 時間たらずに迫っていたが、今の彼はひどい暑さに苛立ち、すぐにでも帰国したいと思っているように見えた。

The Untold History of the United States
『語られなかったアメリカ史』
(Simon and Schuster, 2012)
ストーンの沖縄訪問は、広島、長崎、東京を巡る12日間の日本ツアーの最後の目的地だった。同行したのは、『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』を共著した乗松聡子、ワシントンにあるアメリカン大学の准教授、ピーター・カズニックであった。このツアーは、彼がカズニックと共著した『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』と、同名の10時間[訳者注:1話約60分の10話分]におよぶテレビ・ドキュメンタリー・シリーズのプロモーションのために企画された。

このドキュメンタリーは 、多くのアメリカ人が教えられてきた戦後アメリカ史に異議を唱えようと書かれたものだ(2)。特に、日本への原爆投下という無用な残虐行為と、これに続くベトナム、アフガニスタン、そして最近のイラクをはじめとする世界各地でペンタゴンが行ってきた、失敗に終わった武力干渉に焦点を当てる。

ストーンはこのような進歩的な視点をずっと持ち続けてきたわけではない。保守的な家庭に育ち、20歳のとき彼はベトナムで共産主義とこの手で戦うと志願した。ベトナムでの15か月間で、彼は二度負傷した。彼はこの戦闘の経験を1986年の映画『プラトーン』に織り込み、彼はこの映画で第59回アカデミー賞の監督賞を受賞した。ストーン監督が『プラトーン』に続いて作った『ウォール・ストリート』、『JFK』、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』をはじめとする一連の大ヒット作は、人々の間に議論を巻き起こし、ハリウッドで最も影響力のある映画監督としての彼の地位を不動のものにした。

ストーンが『もうひとつのアメリカ史』を書く決心をしたのは2008年のことで、ジョージ・W・ブッシュが大統領職にあった8年間の後にアメリカが突っ走っていた方向に苛立ちを感じたからだった。本とテレビ・シリーズの執筆には4年を要し、彼のこれまでの仕事の中で最も困難なものになったが、同時に最も満足できるものだとも彼は言う。

「私は19や25、40歳の時と同じ人間じゃあない。私は絶えず変化してきた。私は世界を見る目を深めてきた」と彼は言った。「私にとって、人生は常に学びの体験なんだ。」

沖縄訪問に先立って東京で行われた講演でストーンは、オバマを「蛇」と呼び、内部告発者のエドワード・スノウデンの亡命を受け入れたロシア大統領ウラジーミル・プーチンを支持する発言をしてトップ記事を独り占めにした(3)。 ストーンの 怒りに満ちた批判はアメリカ政府に対しても容赦がなかった。 彼は日本が戦時中の残虐行為を学校で教えないことも非難した。日本本土で行われた何度かの講演でストーンは、彼が「アメリカの起源にまつわる神話」と呼ぶ原爆使用の正当化と、アメリカが冷戦時にあえてソ連との緊張関係を激化させたことが、原爆の政治的側面であることを熟知していることも示した。
The Untold History...の日本語訳
早川書房刊『オリバーストーンが語る
もう一つのアメリカ史』第1巻(全3巻)

だが、ストーンが沖縄を訪れるのはこれが初めてのことで、『もうひとつのアメリカ史』ではこの島の過去にほんの少し触れているだけである。うなずきながら、彼は普天間のフェンスぎりぎりまで密集した家屋を見つめていた。「他の基地のある街と全く同じような景色だ。寂れていて、気が滅入る。」

こういった沖縄への最初の反応から、ストーンがこれから短時間に学ばなければいけないものは膨大であることは明らかであった。
8月14日、平和の礎にて。右は石原昌家沖縄国際大学
名誉教授。(写真提供:朝日新聞)

翌朝早く、ストーンは沖縄本島の南部にある糸満市に向かった。ここは1945年の沖縄戦で最も凄惨な戦いの舞台となった。日米合わせて30万にも及ぶ兵士たちの戦いに巻き込まれた沖縄の民間人たちは、隠れられる場所ならどこにでも逃げ込んだ。そのような場所の一つが轟の壕(とどろきのごう)と名付けられた洞窟だった。

8月14日、轟の壕にて。前方は琉球新報の与那嶺路代記者、
後方はブログ運営者、乗松聡子(撮影:オリバー・ストーン)

沖縄国際大学名誉教授の石原昌家(いしはら まさいえ)の案内で、ストーンは密林を抜け深い岩の裂け目へと下っていった。島の民間人のうち4分の1を上回る10万人以上が沖縄戦で命を落としたと石原は説明する。交戦の犠牲者だけでなく、帝国陸軍によって強制集団死に追い込まれたのだ(4)。石原は、沖縄の民間人を守るはずの日本軍の兵隊が、逆に米軍への投降を禁じたことを指摘した。

ストーンは顔の汗と蜘蛛の巣をぬぐいながら、この洞窟を見てベトナムのトンネルを思い出したとつぶやいた。「戦争は恐ろしい」と彼は言った。

次に立ち寄ったのは、沖縄戦の恐ろしいまでの規模を裏付ける場所、平和祈念公園だった。ここには、アメリカ人、イギリス人、日本人、朝鮮人、沖縄人をはじめ、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった全ての人々のために沖縄県が建立した記念碑がある。亡くなった人々の氏名を刻んだ、黒い御影石の石板が立ち並ぶ列の間を、ストーンはゆっくりと歩いて通り抜けた。命を落とした人々の数に圧倒され、彼はひどく疲れたように見えた。

隣接する平和祈念資料館で、日本軍が戦前に沖縄を軍事化していった記述を、彼は立ち止まって一つ一つ読んだ。1990年代に政府が帝国陸軍の侵略行為を小さく見せるようにこの資料館の展示内容を直させようと横やりを入れていた事実を知った(5)。それから彼は学童の列に混じって沖縄戦についての短いドキュメンタリー映像を見た。
平和祈念資料館で映像をみる。右からストーン、カズニック、
乗松、当記事の筆者ジョン・ミチェル、石原昌家教授、
桃原功宜野湾市議。(撮影:桃原淳)

ストーンが行く先々で、沖縄住民たちは自分たちにとって第二次世界大戦が何だったのかを説明した。沖縄にあった日本の軍事基地は民間人を保護せず、民間人を標的にしたのだった。1945年以後、日本側から接収された基地は、そのまま米軍基地に置き換わり、事故や犯罪を引き起こし、島の経済を停滞させた。沖縄県民の反軍国主義はアメリカだけに向けられているのではない。苦い歴史から、多くの沖縄人たちはこの島でのあらゆる軍事的存在に反対しているのだ(6)。


沖縄北部の辺野古キャンプシュワブのゲート前で毎週ろうそくの灯をかかげる反対運動「ピース・キャンドル」を続けている沖縄在住の作家、浦島悦子はこう語った。「人々は沖縄の問題について知りません。オリバー・ストーン監督が沖縄に来たことで、この問題がもっと世界に、とくにアメリカに知られるようになることを希望します。」

ストーンの沖縄訪問についての沖縄住民のコメントで、「希望」という言葉が何度も繰り返された。これは、いま沖縄では楽観主義が枯れ果ててしまったことを反映している。昨年の秋、宜野湾市で開かれた10万人の集会も、沖縄へのオスプレイ配備を止めることは出来なかった。1月に、40人を超える沖縄の市町村長がオスプレイ配備撤回を訴えるため東京を訪れたが、政府はこれをほとんど無視し、銀座の華やかな商店街では何百人もの右翼が立ち並んでピケを張った(7)。

ストーンの訪問はアメリカ海兵隊のCH-53Dヘリコプターが沖縄国際大学のキャンパスに墜落(8)してから9年が経った日にあたり、その前の週の8月5日にはHH-60軍用ヘリコプターが墜落していた(9)。

沖縄だけで米軍駐留に抵抗する方策は尽き、抵抗の声は無視されていると、沖縄の人々は感じている。

この精神が最もはっきり表れていたのは、資料館の次にストーンが立ち寄った、北部の名護市だった。日米両政府は、ここ辺野古湾に広大な新しい米軍基地の建設を目論んでいる。両政府の計画の行く手に立ちはだかる重大な障害物の一つが 、名護市の現市長、稲嶺進(いなみね すすむ)である。新しい軍事施設に強硬に反対する稲嶺市長には、再選をかけた選挙が1月に迫っており、対する安倍晋三首相の支持者や建設事業から利益を得ることを見込む企業関係者をはじめとする者たちは、すでに稲嶺市長を倒すために運動を始めている。金で投票を依頼したり、選挙を有利にするため有権者を名護市に転居させているという噂は絶えない(10)。

米軍新基地計画で環境破壊が懸念
される大浦湾を東恩納琢磨名護市議らの
案内で視察。(写真提供:朝日新聞)

政敵に包囲された市長を執務室に訪ねたストーンは、沖縄の印象をこう述べた。「洞窟や資料館を歩いて、私はたくさん学びました。沖縄で私は戦争の大きな悲劇を感じます。」

ストーンは稲嶺市長が新しい基地について説明するのを聞いた。もし建設されれば、辺野古の湾 を2 キロメートルにわたってコンクリートで埋め立て、日本で最も自然が豊かな地域のひとつを破壊することになる。この海域に住む希少な生物種の一つがジュゴンである。フロリダ・マナティーの親類で、かつては沖縄の人々にとって神聖な動物だった。ある推計によれば、ジュゴンの数は20頭以下にまで減ってしまった。

「でもこれ食べたら美味しいの?」とストーン監督は聞いた。

これは、この日の公式の場で繰り出したいくつものジョークの一つで、稲嶺市長は平静を保ったままこれを受け止めたが、ストーンの予想も出来ないような言動は、一緒にいた人たちをやきもきさせたようだった。講演会があと6時間足らずに迫り、壇上で彼の口から何が飛び出すのか不安になっているようだった。
名護の稲嶺進市長を訪問(写真提供:琉球新報)

稲嶺市長との会談の後、海岸での座り込みをこれまで 17 年間続けてきた地元住民たちと話すために、ストーンは船で辺野古湾へと向かった(11)。

白い布製のテントの下で、ストーンの沖縄への旅で最も注目すべき瞬間が訪れた。その場にいた全員が、主催者たちさえも、不意を突かれた格好だった。
辺野古座り込みテントで。嘉陽宗義
オジイたちとの交流
(写真提供:朝日新聞)

白い服を着た辺野古の古老、嘉陽宗義(かよう むねよし)に歩み寄ったストーンは、彼が元軍人ではないかと尋ねた。老人はうなずき、そして足に銃創でできた長い傷跡を指差した。

「どこで撃たれたんですか?」とストーンは尋ねた。

「ベトナム。日本が占領していた1945年のことだ。」

これを、宿命、業、偶然、何と呼んでもかまわないが、ストーンと宗義が固い握手を交わしたとき、歴史の輪が一本に繋がったように見えた。二人とも、ベトナムの負傷兵だった。二人が生き延びたそれぞれの負け戦の歴史を、現在の両政府は隠蔽し、帝国の残忍さを若い世代に教えまいとしている。

ストーンにとって、この出会いで、その日それまでに見た全てのことが突然つながったように見えた。これは彼にとって、歴史をつづるだけでなく、未来をつくるチャンスとなった。

「沖縄は神聖な島であり、多くの人々にとって、そして世界にとって、大きな意味を持っています。この美しい風景を新たな軍事基地のために開発することに、私は反対です。ここでの戦争は68年前に終わりました。冷戦を戦い続ける基地を持つ理由はもうありません」と、ストーンはテントの人々に語った。

座り込み参加者たちが喝采を送る中、彼は話を続けた。


「ここをもう一つの軍事基地に変えようとしている自民党と安倍総理の勢力に対抗して、2014年の名護市長選挙に稲嶺市長が出馬することを私は応援します。」

わずか24時間前なら、彼がこのような話をするのは想像できないことだったが、いま彼の考えの変化は、話を聞いた座り込みの人たちと沖縄カメラマンの何人かの心を動かし、涙を流すほどだった。

その後、ストーンは宗義と出会ってどれほど影響を受けたかを私に説明した。「宗義は戦争の傷で歩くことが出来なくなった。でも彼は諦めなかった。いま彼は平和の戦士なんだ。」

ストーンはこの怒りに満ちた抵抗の波に乗って、その夜沖縄コンベンションセンターで開かれる彼の最後の講演へとなだれ込んだ。琉球新報の創立120周年を記念して開かれたこのイベントでストーンは、沖縄の過去についての彼の考えから話を始めた(12)。
右から、パネリストの大田昌秀元沖縄県知事、
ピーター・カズニック、乗松聡子、オリバー・ストーン
司会は琉球新報の玻名城編集局長
(写真提供:琉球新報)


1945年以来、アメリカがどうやって極東地域の大部分を支配してきたのか。これはとても奇妙な歴史です。この戦争は決して本当に終わったとは言えません。私達みんな、アメリカ人も、日本人も、沖縄県民も、あの戦争を突き動かした思考パターンの犠牲者なのです」と彼は語った。

琉球新報8月15日1面、シンポ報告

彼の沖縄の第一印象に関連すると見られるコメントで、ストーンはこう語った。「ベトナムで米兵だった私は、ある国にアメリカ軍が来るとどうなるかを見てきてました。その地域がクズのようになってしまいます。文化自体が変わってしまうのです。」

続いて、人生の中で自分がどのように変わってきたかということへと話を進めた。

「私は若い頃(ベトナムの)戦争で衝撃を受け、疎外感を味わい、感覚が麻痺しました。戦争をする理由がしっかりわからなかったのです・・・後に長い時間をかけて目を開かせてくれた人々と話をするまでは。この経験が、残された人類は命の教訓と残虐の経験から学び 、常に光の方向を探し求めるという希望を与えてくれました。」

このあと90分の講演でストーンは、学校でその国の過去について真実を教える必要を強調し、辺野古湾の新たな基地計画への反対を繰り返した。彼はもう一度、稲嶺市長への支持を表明した。「私は市長に最も感銘を受けました。彼は闘士です。」

監督は最後に、政府が押し付ける不当な措置に抵抗するよう世界中の人々に呼びかけて締めくくった。

「声を上げて抵抗する地域勢力が私達には必要なのです。日本は抵抗しなければなりません…。私達は抵抗しなければなりません!」

通訳が訳し終わるずっと前に、聴衆の間に大きな喝采が沸き起こった。そこにいたのは、世界で最も強い力を持った国のうちの2つである、日本とアメリカに対する人々の闘争を支える男だった。これからの困難な日々の中でも、しっかりと掴んでおくべき希望のメッセージだった。
8月14日夕、沖縄コンベンションセンター会場
を埋めつくした参加者(写真提供:琉球新報)

講演が終わったあと、ベトナム戦争時代はアメリカ軍人で賑わったが今は寂れている那覇の飲み屋で、ストーンは私に沖縄の地で彼が遂げた変化について語った。

「抵抗運動をしている人々に会って、私の物の見方はすっかり変わった。高い意識を持つ人々に囲まれて、私は目を開かれた。私は彼らに教えられた。」

泡盛のオンザロックを飲みながら、沖縄で絶えず起きている米軍の事故に人々が注目しすぎないようにすることが必要だと彼が感じたかを説明した。

「米軍が沖縄占領の厳しい現実であることは本当だが、もっと大きな残虐の構図を見ることが大切だ。私が最も困惑するのは、戦後60年以上もここに居続ける論理的な根拠がないことだ。これでは天皇が服を着替えただけだ。アメリカの市民はこのことに気付かない。気付きたくないからだ。」

ストーンはこの4年間力を尽くしてきたテーマに話を戻した。

「日本とアメリカはどちらも自国の歴史を奪われている。この2つの国は戦争が作った無学な孤児のようなものだ。その結果、沖縄はどうなった? 沖縄の人たちは自分の歴史をよく知っているようだ。」

飲み屋を出る前に、ストーンはアルフレッド・テニスンの詩「ユリシーズ」を引用して、この沖縄訪問で彼が出会った人々について最後の感想を語った。

「沖縄人は、テニソンの詩にもあるように『時の流れと運命によって疲弊』している-でも、『その意志は堅固』なのだ。」

[訳者注:テニソンの詩「ユリシーズ」の最後の部分 We are not now that strength which in old days / Moved earth and heaven, that which we are, we are, / One equal temper of heroic hearts, / Made weak by time and fate, but strong in will / To strive, to seek, to find, and not to yield.   から取っている。]

筆者は、琉球新報の松元剛さん、乗松聡子さんと桃原淳さんに感謝いたします。この皆さんの力なしには、この記事は書けなかったでしょう。

この文章は、最初に8月21日にジャパン・タイムズに掲載された記事「オリバー・ストーン監督は沖縄県民に共感し、基地反対運動を激励した」に加筆したものです。


この記事の筆者、ジョン・ミッチェルと
(写真提供:琉球新報)


原文の注:
1 日本本土のメディアがいかに沖縄を無視し差別しているかは、ジョン・ミチェルの “What happens in Okinawa…(沖縄で何が起きているか)” FCCJ Number 1 Shimbun, July 2013.
http://no1.fccj.ne.jp/index.php?option=com_content&view=article&id=937 

2 オリバー・ストーンとピーター・カズニックの The Untold History of the United States, Simon and Schuster, New York, 2012. の前文。[邦訳は『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』早川書房

3 たとえばこの記事。
http://www.usatoday.com/story/life/people/2013/08/16/director-oliver-stone-says-obama-is-a-snake/2665239/ 

4 沖縄戦の詳細は、ガバン・マコーマックと乗松聡子の Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States, Rowman and Littlefield Publishers, Lanham, 2012. 第2章を。[邦訳は『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』(ガバン・マコーマック+乗松聡子)法律文化社]

5 Miyume Tanji, Myth, Protest and Struggle in Okinawa, Routledge, London, 2006. 48 - 51.
(ミユメ・タンジ著、沖縄の抵抗と闘争)

6 沖縄の平和主義、特に沖縄本島北部の山原地区に関係する議論はここを。
http://www.japantimes.co.jp/life/2012/08/19/travel/rumbles-in-the-jungle/ 

7 沖縄の市町村長が抗議のため東京を訪れ、これに右翼が応酬したことは、ここを。
http://www.japanfocus.org/events/view/172 

8 沖縄国際大学のヘリコプター墜落事故の詳細は、ここに。
http://www.japanfocus.org/-Sanechika-Yoshio/1816 

9 “U.S. chopper crashes in Okinawa; no residents injured,” The Japan Times, August 5, 2013.
(米軍ヘリ沖縄で墜落、住民にけが人なし)ここに。
http://www.japantimes.co.jp/news/2013/08/05/national/u-s-chopper-crashes-in-okinawa-no-residents-injured/#.UhyNFuD8820 
(リンク切れ)

10 前回の名護市長選の詳細については、マコーマック+乗松, 144-149(原著)を。

11 たとえば、琉球朝日放送と乗松聡子による、"Assault on the Sea: A 50-Year U.S. Plan to Build a Military Port on Oura Bay, Okinawa,"(襲われる海—沖縄県の大浦湾に軍港を作るアメリカの50年にわたる計画) The Asia-Pacific Journal, 27-1-10, July 5, 2010. ここに。
http://www.japanfocus.org/-Satoko-NORIMATSU2/3381 

12 オリバーストーンの講演、ノーカット版
http://www.youtube.com/watch?v=JjzGRj1u7IY 

ジョン・ミチェルは、ウエールズ生まれ日本在住の作家。沖縄の社会問題について日米両国民に向けて幅広い著作がある。著作の一覧はここに。
http://www.jonmitchellinjapan.com 
現在、彼は東京工業大学と明治学院大学で教鞭を執っている。


ジャパン・フォーカスに掲載された原文は
http://japanfocus.org/-Jon-Mitchell/3992 

ジャパン・タイムズに掲載された初出は
http://www.japantimes.co.jp/news/2013/08/21/national/oliver-stone-warmed-to-okinawans-fired-up-base-foes/ 




1 comment:

Anonymous said...

I could not resist commenting. Perfectly written!



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